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第3話 大嫌い、じゃ――③

 人間のことを嫌いだと思えば思うほどに、自分がグランに向けている感情が異質であることを実感してしまう。  自分が捨てられた時のことを忘れたわけじゃない。自分を恐れ、憐れむあの顔も、声も、まだ思い出せる。  だが、グランの笑顔が、声が、体温が、醜い記憶を上書きしていく。  リンネは頭の中から彼を追い出すように首を振った。これ以上喋っているとボロが出そうで、自分の表情を隠すように深く頭を下げたまま、小走りで神殿を出る。  背後で扉が閉まった。息をついて顔を上げて、心臓が止まりそうになった。 「見つけた。小屋の方にいなかったから」  目の前にグランが立っていた。  会えて嬉しい、と書いてあるような笑顔にリンネは口をはくはくとさせた。先ほど父と交わしたやりとりが楔のように胸に刺さる。 「ん? どうかした?」  リンネの反応が普段と違うからか、グランは不思議そうな顔をした。頬に触れられて顔を覗き込まれたので、一瞬すぐ近くで彼の顔を見つめてしまう。何故だか手を振り払うことができなくて、慌てて後ずさった。 「なんでもない!」 「そうは見えないけど……」  触れられた頬が、体温以上の熱を持っている。心配そうな声も聴きたくなくて、リンネはグランを振り切るように駆け出した。  僕に対して、どうしてそんなことをするんだ。どうして、そんな風に笑いかけて、触れて、優しくするんだ。  与えられる優しさに身を委ねるのは怖い。今までの自分が塗り潰されてしまうようで。これまでの自分を、そして父を裏切ってしまうようで。  振り切るように走って、走って、気が付くと、リンネは川のほとりに立っていた。あの日、釣りをした場所だ。  水を掬って顔を濡らして、ふっと息を吐く。じっと水面を見つめると自分の姿が浮かび上がる。動揺して、みっともない顔をしている。  ゆっくりと汗で額や頬に貼り付いた髪を剝がしているうちに、少しずつ焦燥感は落ち着いてきたが、それに合わせて、今度は強い不安が襲ってきた。  僕は一体どうしたらいいんだろう。お父様に嘘をついて、グランからも逃げ出して。どっちつかずで、急に寄る辺がなくなってしまったようだ。  自分の腕を思わず抱きしめたその時、背後からがさりと物音が聞こえた。聞き覚えのある音にリンネは振り返る。  グランが、茂みから飛び出してきた。  反応する間もなくばちりと目が合い、グランは安心したように息を吐いた。はにかむ額には汗が浮かんでいて、かなり急いで追いかけてきたことがわかる。  再度グランと向かい合ったところで、リンネは逃げることも悪態をつくことも出来なくなった。じりじりと言葉もなく後ずさると、グランは握りしめた手を差し出してきた。  ぱっと、目の前で手が開かれる。  手のひらの上には紙に包まれた小さな塊が乗せられていた。視線で促されて、リンネはおずおずと拾い上げる。 「開けてみて?」 「……?」  リンネがちらちらとグランの様子をうかがいながら紙を開くと、中には、黄金色に透き通る石のようなものが入っていた。リンネは指先で摘まみ上げて、光に透かす。柔らかくも無機質な輝きは、リンネの心を少し溶かした。 「宝石……か?」 「キャンディー、甘くて落ち着くよ」  キャンディー、という食べ物の存在は知っている。  まだ町にいたころ、子供が嬉しそうに貰って食べているのを見たことがある。リンネはついぞ誰からも貰えることはなかった。 「それを食べて、その……口に合うといいんだけど」  グランは珍しく歯切れの悪い言い方をした。見れば、彼の顔には不安が滲んでいる。迷子みたいな表情を見ていると、いらないと突き返すのも悪いような気がして、リンネはキャンディーを口の中に放り込んだ。  数秒間は、石を舐めているように味がなく、リンネは怪訝な顔をした。だが表面が溶けてくると、口の中に甘い味が広がりだす。少し香ばしく、味覚に直接訴えかけてくる甘美な味わいに、リンネは黄色い目を猫のように大きく見開いた。 「美味しい?」  リンネは夢中でこくこくと頷いてからはっとする。  まただ。また、こんなことで喜びを感じてしまった。リンネはキャンディーを頬の内側に追いやって、グランに背を向ける。 「こんなに甘いものを食べたのは初めてだから、びっくりしただけだ」  わかりやすい強がりに、ほっ、と小さく息を吐く音が背後で聞こえた。

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