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第3話 大嫌い、じゃ――④
「いつもの調子が出てきたみたいだね」
「うるさい」
「……俺、何かしたかな? もし、気付かないうちに君を傷つけてしまっていたなら、教えてくれないか?」
「別に……」
そういうわけじゃない、と言おうとして躊躇った。
グランが自分を傷つけていたならどれだけ楽だっただろう。でも、実際は逆だ。グランが自分を傷つけないからこそ、リンネはこんなにも苦しんでいる。
「これ以上、僕に優しくするな」
ぽつり、と言葉がこぼれた。
一度声にすると、自分の中の感情が堰を切ったように溢れてくる。これまでに塗り重ねてきた殻にヒビが入り内側から割れていく。その中にいるのは、ただの一人の青年だ。
「僕は人間が嫌いだ」
リンネはぽつぽつと自分の生い立ちを語り始めた。
早くに母親が死んだこと。人間たちは自分を恐れたこと。幼いころに山に捨てられたこと。以来、人間のことが大嫌いで、決して許せないこと。
それでいいと思っていた。一生そうやって生きていくつもりでいた。
なのに。
「お前だけは違うんだ……」
溢れたのは言葉だけではなかった。
ぱたぱたと目から雫が溢れて、握りしめた拳の上に落ちる。泣いたのはいつぶりだろうか。自分にこんな機構があることすら忘れていた。抑えようとしても、十余年分をため込んでいたかのように涙は溢れて止まらない。
急に泣き出したリンネに、グランは慌てたように宙で手を動かしていたが、やがて覚悟を決めてそっとリンネの頬に触れた。はらはらと涙を流すリンネは、抵抗する元気もなくグランの方を向いた。
グランはリンネの顔を真っ直ぐと見る。揺らぐ視界の中、彼の瞳の青さばかりが輝いて見える。
「リンネ、俺と一緒に町に行ってみない?」
続けて放たれたグランの言葉に、てっきりまた慰められてしまう、と思っていたリンネは一瞬思考を止めた。思考だけではない、涙さえも引っ込んだ。
何を言っているんだこいつは。丁度今、人間への憎しみを吐き出したばかりなのに。
「ぼ、僕の話聞いてたか?」
「聞いてたよ」
グランの指がそっとリンネの目元を拭った。クリアになった視界で見るグランの顔は真剣で、けっして冗談を言っているわけではないらしかった。
「リンネが人間を嫌いでも、俺はいいと思う。君を傷つけたやつらは最低だ。リンネの苦しみは俺には計り知れないから、許しなさいなんて言えないよ」
語り口は静かでありながらも力強く、リンネは黙って頷いた。
「でも、もし、リンネが俺は、俺だけは許せるというのなら、きっとそれは『俺だけ』じゃないんだ。この世界は広い。俺よりすごくて、優しくて、面白い人間もたくさんいて、その中にはリンネが大切に思える人間もきっといる。悪い人間のせいでリンネの方が苦しみに閉じ込められてしまうのは、すごく、勿体ないことだ」
世界は広い。
少し前までリンネはそんな当然のことも知らなかった。リンネにとっての世界とは、この山が全てだった。
だが、今は違う。リンネはもう知ってしまった。世界は広く、リンネには想像の及ばないような美しい景色がそこにはある。
グランは世界の美しさを閉じ込めたように煌めく瞳を細めて、優しく微笑んだ。
「リンネには、幸せであってほしいよ」
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