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BACKSTAGE / # 18. アウトライン

 警察にテディが拉致されたときの状況などを話したあと、ロニーたちはホテルのスイートルームに集まっていた。既に時刻はもう少しで日付が変わるという頃だった。テーブルにはビールやコーヒー、レモネードなどいくつかの種類の飲み物が並べられていたが、ビールはただキャップを開けただけでほとんど減っていなかった。皆テディの身を案じ、静かに待っていた――警察からの朗報、ただそれだけを。  やがてノックの音がした。ロニーがはっと顔をあげると、ドアのすぐ近くにいたドミニクが「誰?」と尋ねた。 「俺だ。入れてくれ」と聞こえたその声に、ドミニクが自分のほうを見る。ロニーは頷き、ドミニクが開けるドアから覗いたその姿を認めると、ぴんと張っていた背筋を少し緩めた。  イヴァンはすたすたと部屋の真ん中まで入ってくると、テーブルを挟んでロニーの向かい側、ソファの端に腰を下ろした。 「クロアチア警察は車を発見すらできてない。俺たちは、後手には回ってしまったが連中が車を乗り換えるところまでは街頭のカメラの映像で確認した。が……カメラの映像では追いきれなかった。やっぱり向こうから連絡してくるのを待つしかない」  その話を聞き、皆が疑問に感じているであろうことを、ユーリが訊いた。 「やっぱりあんた、どこかの捜査員なんだな。どこのだ? ……まさか、インターポールとかか?」  するとイヴァンは首を横に振り、こう答えた。 「ああ、黙っていてすまなかった。俺の本当の名前はステファン・カルジェロヴィッチ、BIA(ビー アイ エー)……セルビア保安・情報局(Bezbednosno-informativna agencija)のエージェントだ」  ロニーは驚き、目を見開いてついさっきまでイヴァンだと思っていた男を見た。かなり正解に近いところを云ったユーリ以外、ルカたちも皆同様だった。BIAという聞き慣れない略称に、ジェシが「あの」と挙手しながら声をあげる。 「それって、MI6(エム アイ シックス)とかCIA(シー アイ エー)みたいな……」 「スパイってことか!?」  イヴァン改め――ステファン・カルジェロヴィッチは苦笑した。 「映画みたいな任務はほとんどない。まああったとしても云えないけどな。……俺の今の任務は、バルカンルートを通って欧州へ運びこまれるはずだった、ある積荷の在り処を捜すことだ」 「バルカンルート?」  ユーリが眉根を寄せ、鋭い目つきで云った。「その積荷ってのはまさか、ヘロインか?」 「そうだ。経緯はこうだ……ある組織が、アフガニスタンから運ばれてくるヘロインをイスタンブルで受け取り、船でブルガリアのヴァルナ港へ運んでるっていう情報を、俺たちは入手した。ここ一年ほど、セルビアに持ちこまれるヘロインの量が半端じゃなく増えててな。インターポールも本腰入れだして、俺らBIAやセルビア警察とブルガリア警察も協力して、その密輸組織を叩こうってことになったんだ。  で、捜査員を何人か組織に潜入させようって話がでたんだが……組織、まあセルビアンマフィアだが、ああいった連中と俺らBIAには過去にいろいろあって……いつどこから情報が漏れるかわからないって不安もあったりして……」  なんだか奥歯に物が挟まったような言い方をするステファンを、ロニーは怪訝そうに見つめる。 「いろいろって……どういう?」  そう訊くと彼は、露骨に嫌そうな顔をした。 「……BIAは昔、セルビアンマフィアと深い繋がりがあったんだ。密輸を摘発するどころか、いろいろ便宜を図って荷を運ぶトラックを護衛してたりしたのさ。テロリストの情報や賄賂と引き換えにな」 「ええっ――」 「今はかなりクリーンになったんだが、まだ似たようなことをやってる莫迦も少なからずいて……だから、BIAから捜査員を送りこんでも早々に正体がばれる可能性があった。潜入だけじゃない、俺らの動きも局内では一部の人間にしか知られないように気を張ってるんだ。そんな状態だから、潜入のために接触を図る捜査員はブルガリア警察からだそうってことになった。それで、なんとかひとりだけ潜りこむことに成功して、荷を積みこむ船にも一緒に乗ることができたんだ。  だが、どうやらブルガリア警察のなかにも奴らの息がかかってる莫迦がいたらしい。ヴァルナ港で俺たちが待ち伏せしてることを知らされた組織は、黒海で積荷を棄てた。仲間はフラッシュメモリに座標を記録しておけと云われて、本物のメモリは自分が隠し持ち、まったく違う場所を示す偽の座標を組織に渡したんだ。  積荷を棄てられて証拠がなく、俺たちは組織を押さえることができなかった。潜入してた仲間も、疑われ始めてたんだろう……プロヴディフまでは連中と行動を共にしてたんだが、まったくひとりになるチャンスがなかったらしい。だから座標を記録したフラッシュメモリをすり替えて自分が持っていることを、なかなか連絡してこれなかった。プロヴディフでようやく隙をみて電話をかけてきたんだが、それがまずかった……。酷い殺され方だった」  想像もしなかった、まるで映画のような現実感のない話に、皆ただ茫然とするばかりだった。 「フラッシュメモリ……、まさか、それをルカが持ってると思って捜してる?」  すぐ隣で、ぼそりと独り言のように呟かれた言葉に、ロニーははっとした。 「え、そうなの!? でも――」 「でも俺はそんなもの、なんにも見た覚えも預かった憶えもないぞ。そんなことより、そいつらが俺んちや事務所や楽屋を荒らして、エミルを襲って警備員を殺した犯人なんだな!? テディを攫ったのはじゃあ、俺が持ってるって誤解してるフラッシュメモリと交換するために?」 「そうだ。そのうち受け渡しの方法を知らせる連絡がくるだろう」  人質というのはそういうことだったのか。ロニーは喉がからからになっているのを感じ、ビアグラスに手を伸ばした。しかし、懐かしいはずのカルロヴァチュコの味などまったくわからなかった。 「連絡って、そんなもんないって云ってんのに、どうしろっていうんだ!?」  ルカが悲痛な声で云った。そのとおりだ。これまでにも何度か訊かれていたが、ルカはまったくそんな心当たりはないのだ。しかし―― 「知らない持ってないって言い張っても、信じてもらえない、か」 「そんな!」  忌々しげに云ったユーリの意見は、おそらく正しいのだろう。向こうはルカがUSBフラッシュドライブを隠し持っていると信じきっているのだ。他に接触した人間がいないとか、そういうことなのかもしれないが―― 「……イヴァン……じゃなかった。ステファンだったわね」 「ステフでいい」  ロニーはステフを見つめ、尋ねた。 「テディと引き換えにフラッシュメモリを寄越せっていう連絡がきたら、どうしたらいいの」 「……またダミーでなんとかごまかすしかないだろうな。危険はあるが……」 「ダミーって、一度それをやってばれたから、その潜入してた奴が殺されてしまったんだろう? 二度同じ手を使うなんてそんな、向こうも警戒してすぐに確かめるだろうし……もしばれたらテディが――」  ルカがその先を口にできずに首を振った。「だめだ! どうにかしてそのメモリをみつけられないのか? 俺以外に受け取ったかもしれない人間はいないのかよ!」 「俺らだってよく調べたさ! しかし、どれだけリディヤの足取りを追ってもルカ、おまえしかいないんだよ! 組織の連中も同じだ、おまえしかいないと確信してるからこうなってる」  リディヤ。それが潜入していて殺されたという捜査員の名前なのか、とロニーは少し驚いた。 「女性だったの……女性の捜査員が、密輸組織に?」  ステフは口惜しそうに、顔を歪めた。 「……上の命令だった。そんな方法でしか近づけなかったんだ。俺は、そんなやり方は問題があるって反対した」 「色仕掛けで近づいたのか」 「捜査のために、そこまで?」  スパイ映画ではよくあるが、本当に現実にあるのだとロニーは驚き、しかしやはり考えられないと首を振った。自分の反応を見つめるその顔に、苦笑が浮かぶ。 「最低だと思うだろ。実際最低なのさ。奴ら、リディアを殺しただけじゃない。メモリを捜すために咽喉(のど)から肚まで切り開いてダンプスター(ゴミ箱)の中に棄てていきやがった。でも、俺たちが相手にしてるのはそういう連中なんだ」  あまりのことに思わず口許を覆う。  だがそんな話を聞きながらも、いつもどおり冷静に自分の得意なことをやっている者が、ひとりいた。 「リディア、ひょっとして、この人?」  エリーがソファの肘掛けに置いたラップトップで画像を開いていた。以前ルカの足取りを追っていたときに見た、プロヴディフのフィリッポポリス古代競技場跡近くでルカがファンたちに囲まれていたあの、SNSにあげられ拡散されていた画像だ。  が、エリーが指さしているのはその背後、ルカの脇を通り過ぎたように後ろ姿で写っている女性の姿だった。 「ああ、それがリディアだ。俺らもその画像はチェックした。殺される数分前だ」  ルカもこっちに来て、エリーの手にしているラップトップを覗きこんだ。そして「あっ」と声をあげる。 「思いだした。プロヴディフで大勢に囲まれてるとき、ぶつかっていった女性がいたんだ。あれがたぶん、この人だ」  それを聞き、ステフが勢いこんで訊く。 「ぶつかっただけか? なにか云われなかったか」 「なにかって……ぶつかって、ごめんなさいって云って一瞬、顔を見ただけだよ」 「そのときも、いつものあのバッグを持ってたか?」  ユーリが訊いた。ルカではなくエリーが答える。 「別の画像を見ると、持ってる」 「バッグならいつも持ってたよ。ここのところずっと愛用してるからな。最初はトートバッグなんて女が持つもんだとか云われたけど、なんでもぽいぽい放りこめるんで楽で――」  云いながら、ルカも気づいたらしい。ロニーがそういうことかと思い至ってステフの顔を見ると、彼も首をゆっくりと縦に振っていた。 「わざとぶつかってバッグにメモリを入れたんだ。部屋や楽屋を荒らされたとき、そのバッグは?」 「いや見事に引っくり返されてたさ! それまでにも中身を全部だして整頓したりしたけど、そんなもの入ってなかったぞ」 「……疑うわけじゃないが、ヴィトか誰かにバッグを持たせたりは?」 「他の荷物はともかく、トートバッグにはタブレットや手帳も入れてるから人に持たせたりはしないよ。いつも自分で持ち歩いてた」  うーん、とステフとユーリが唸る。 「……しかし、そのトートバッグの中に紛れこませたとしか思えない。誰か、バッグを触った人間はいないのか? その、整頓やらするより前に」 「だから、自分の大事なものが入ってるバッグを触らせたりしてないって! テディでも俺からなにか取ってくれって云わない限り、勝手に触ったりは」  そこまで云って、ルカははっとしたように言葉を切った。 「まさか――」        * * *  意識が浮上するより先に、胸のむかつきを覚えた。  大きく深呼吸しながらゆっくりと顔をあげる――頭がくらくらした。昨夜なにかきつい酒でも飲んだっけと思いながら、テディは重い瞼を開け、周囲を見まわした。蝋燭の灯りがか細く照らしだしているのは廃業した安ホテルのような、壁紙がところどころ剥がれた薄汚い部屋。まったく見覚えのない場所だった。  ここはいったい、と何気無く動こうとして気がついた。両手を椅子の背凭れの後ろで縛られている。脚もだ。念入りに椅子の脚に掛けて固定してあるのか、手も脚もまったく動かせなかった。  そして、はっと思いだす――そうだ。ザグレブで食事をしたあと、皆と歩いていたら突然、車から男が降りてきて……自分をリアシートに押しこんで―― 「目が醒めたか」  聞こえたのは英語だった――声がしたほうを向く。男がいた。男は部屋の片隅にあるベッドに腰掛けていた。長めの髪を後ろで束ね、タンクトップから覗く鍛えられた肩や腕には、びっしりとタトゥーが彫られている。男は立ちあがってぎっ、ぎっと床を鳴らしながら近づいてくると、テディを見下ろし、にやにやと笑った。 「……大声はだすなよ。だしても無駄だ、此処いらにゃ誰もいねえ。おとなしくしてるこった」 「……俺を、どうするんだ? ルカたちになにをする気なんだよ、いったいあんたたち――」  テディがそう疑問を口にすると、男はすっと手を伸ばしてきて、テディの口許を覆うように顎を掴んだ。 「おとなしくしてろっつったろ。まあ、でかい声だして暴れてくれても、俺はちっともかまわないんだけどな。この綺麗な顔が歪んで、もうゆるしてくれって泣き叫ぶまでいたぶってやるのも愉しそうだ」  自分を見下ろし、サディスティックな笑みを浮かべる男に、テディはなにか冷たいものが背筋を這っていったように、ぞわりと身を竦ませた。

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