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BACKSTAGE / # 23. Born Under a Bad Sign
『待たせてしまってすまないね。では早速だが――』
「テディは!? もう一度テディと話させてくれ、頼む!」
『彼は食事のあと眠ってしまったよ。今頃はきっといい夢をみてるんじゃないかな……だから残念だが、電話にはでられない』
男の言い方が、なんだか少し引っかかった。ルカも同じだったらしく、彼は眉をひそめステフと自分の顔を見やると、男に云った。
「眠ってるって、テディになにもしてないだろうな!? ちゃんとあんたらの云うとおりにするから、あいつにはなんにもしないでくれ。頼む!」
『彼の嫌がるようなことはなんにもしてないさ。この電話はちゃんとロニーも聞いているかな? 今から云うことをよく聞いていてくれ……明日の朝六時、ザグレブ国際空港からプライベートジェットに乗ってソフィアまで飛んでもらいたい。手配はしてあるので、君たちは遅れずに空港に行き、専用のカウンターで名前を云うだけでいい。およそ二時間ほどのフライトだ。もちろんフラッシュメモリを忘れずにな』
朝一番に飛行機でソフィア――ブルガリアへ? ロニーはステフの顔を見た。ステフはスマートフォンを手になにか素早くタップすると、その画面をルカに見せた。
画面に表示されている文字を見て、ルカが頷く。
「……わかった。そのチャーター機には俺とロニー以外も乗っていっていいのか? ユーリもテディのことをひどく心配してるし、他にも俺とテディの付き人も――」
『悪いが、用意したのは定員が八人ほどの小型機でね。ソフィアからは俺たちも同乗させてもらうんで、君とロニーのふたりだけで来てもらいたいな』
「ソフィアから……って、ソフィアでテディとフラッシュメモリを交換して、それで終わりじゃないのか!? 同乗してって、いったいどこに――」
『細かいことは会ってからにしようじゃないか。君たちはこっちの云うことに素直に従っていればいい』
ステフがルカに頷いてみせる。ルカは一瞬心細そうな顔をしたが、すぐに「わかった。そっちの云うとおりにする」と返事をした。
『では明日のために、今夜はゆっくり寝 んでおいてくれ。ああ、云い忘れていたが、もちろん妙な小細工をしたり招いていないゲストを見かけたりしたら、彼はロック界の伝説的なクラブに、新たにその名を刻むことになる。覚えておくことだ』
ロック界の伝説的なクラブ――27 クラブ。薬物の過剰摂取 や自殺、事故など、何故か二十七歳でこの世を去るミュージシャンやアーティストが多いことから生まれた、都市伝説のようなもの。そのリストにはブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンと、錚々たるメンバーが名を連ねている。
そういえば、ルカもテディもいま二十七歳だ。聞こえてきた言葉にロニーは、悪い冗談だわ縁起でもない、と唇を噛んだ。
「なにもしようなんて思わない。ただテディを無事に返してほしいだけだ」
『それが賢明だ。では明日、ソフィアで』
電話は切れた。
ロニーはふと不安になった。ルカがテディを信じると云いきって、ステフたちBIAはベオグラードに絞って捜索することになったが、それはなにかの思い違いか、組織の張った罠ではなかったのか――テディは本当は、ベオグラードではなくソフィアに監禁されているのではないのかと。
「ステフ……」
まさかとの思いが拭えず、ロニーはステフの腕にそっと触れ、云った。「テディはひょっとして、ベオグラードじゃなくてソフィアにいるんじゃ……」
しかし、ステフは首を横に振った。
「周到な奴らだ。行き先として地名をだしてきたってことは、ソフィアははずれだったんだと俺には思えるね。――失礼」
ポケットに手を入れ、ステフはラップトップや資料を積んだテーブルのほうへと移動した。他にも話したいことは山ほどあったが、ロニーは電話で話している彼を見て今は邪魔をするべきじゃないと判断した。ソファで祈るように両手を組んでいるルカの隣に腰を下ろし、そっと肩に手を置き「大丈夫よ」と声をかける。
「テディはあなたを信じて待ってる。一緒にテディを無事にたすけだしましょ」
「ロニー……、俺も、どんなことをしてでもたすけようって思ってる。でもなんか、さっきのあの男の言い方が……」
テディが酷い目に遭っていないか心配でしょうがないのだろう。当然だ。ロニーは顔を伏せてしまったルカの背中を摩 っていたが、ステフがぱたぱたと足音をたてて戻ってくると手を止め、そっちを向いた。
「ルカ、お手柄だ。俺はベオグラードに戻る」
いきなりそう云ったステフに、ルカも顔をあげた。
「ベオグラードに? どういうことだ、テディの居場所がわかったのか!?」
「いや、まだ特定はできていないが、街頭カメラの映像を当たってたチームが、こっちでは見失ってしまった車を発見した。かなり範囲を絞りこんで今、他の映像をチェックしてるところだそうだ。連中は俺たちBIAが動いていることも、テディを拉致したあとクロアチアからセルビアに移動したのを知ってるとも感づいてないはずだ。うまくいけば、今夜中に居所を割り出せるかもしれない」
「今夜中に――」
ロニーは驚き、ルカと顔を見合わせた。
「じゃ、じゃあ空港には――」
「まあ待て。ちょっと整理しよう……奴らはチャーター機でソフィアまで来いと云った。そしてソフィアからは自分たちも同乗するとも云った。つまり、ソフィアはただの合流地点で、そこでテディを解放する気も、あんたたちを自由にする気もないってことだ」
ロニーは眉根を寄せ、考えた。
「そうよね。でも、ソフィアからいったいどこへ……」
「決まってる。ヴァルナ港へ連れていって一緒に船に乗せて、メモリに入ってる座標をその場で正しいかどうか確かめるつもりなんだ」
ルカの言葉に、ロニーははっとした。ステフが顔を顰めつつ、首を縦に振る。
「ご明察だ。それしかないだろうな。俺は今すぐベオグラードに飛んで向こうのチームと合流して、なんとしても監禁場所をみつけてテディを救けだす。だからロニー、ルカ。あんたたちも多少危険が伴うが、奴らの要求通りに夜が明けたら空港に行って、飛行機に乗ってくれ。大丈夫、テディを無事に保護したらすぐに連絡するし、そうでなくても時間には俺もソフィアに行く」
そう云ってステフはルカの前に、ことりとUSBフラッシュドライブを置いた。
「……要らないとは思うが、いちおう渡しておく」
「必要にならないことを祈ってるよ」
なにしろ、これがダミーだと発覚すれば、みんな殺されてしまうかもしれないのだ。ロニーはいったい本物はどこにあるのだろうと思いながら、地獄へ通じる門の鍵かなにかのように、そのフラッシュメモリを見つめた。
* * *
――不幸と厄介事 それだけが俺の友達
――俺は十の歳からずっとひとりぼっち
――悪い星の下に生まれちまった
――這い這いしてた頃からろくなことがありゃしない
――運が悪いんじゃなきゃ、俺は運を持ってないってことだろうな
「……なにを歌ってる? 自分のバンドの曲か?」
見張りの男に尋ねられ、テディは自分が歌を口遊 んでいたことに初めて気づいた。ベッドで腰掛け、プラムに齧りついている男に向き、テディは「違うよ」と首を振った。
「〝ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン〟っていう、アルバート・キングの曲だよ。クリームやポール・バターフィールドや、ピーター・グリーンもカバーしてる名曲なんだ」
「へっ、そう云われても、どの名前も聞いたこともないや」
「……ま、しょうがないね。旧いし」
会話はそれきりで終わってしまい、ろくに暇つぶしにもならなかった。それにしても、こんな曲を口遊んでいたなんて洒落にならないな、とテディは苦笑した。
――我ながら、なかなかハードな人生を歩んでいると思う。そうそう人がしない経験を、いくつも強いられて生きてきた。父親を知らずに育ち、あちこちの国を転々として、母親の情人に玩弄物 にされて。そして母を喪って、引きとられた祖父にはすぐに寮制学校 に送られ、休暇のたびに過ごさなければならなかったホストファミリーの主にまで、何度も関係を強要された。
おまけにバンドを始めてから、曲作りのために滞在していたイビサでは四人の無頼漢 に襲われた。ツアー中のドキュメンタリー映画では撮らなくていいところばかり撮られ、お蔵入りかと思っていたら動画サイトにアップされ、自分の知られたくないなにもかもが全世界に広められるという事態に陥った。ずっと存在すら知らなかった双子の弟は、初対面したその日に自分と間違えられ、襲われて死んでしまった。
ルカと出逢って、ユーリたちとも知りあえてバンドを始め、想像もしたことのなかった成功を手にした。だから、どこかでバランスはとれているのかもと思わなくもない。だがこれほどの成功を与えてやる代わりに、これだけの不幸を引き受けろと云われたならば、テディは迷わずノーと答えただろう。
しかし、そんな選択は神も悪魔も自分にさせてはくれなかった。これまでは、自分が調子に乗って道を間違った罰だと思えることもあったが、今回は自分になにか非があったとは思えない。なのにこんな事件に巻きこまれ、せっかく三年も断ち続けているヘロインまで無理遣り打たれてしまった。そのうえ自分と引き換えにここの連中が要求しているものはルカの手にはなく、自分が隠してしまっているという最悪な展開だ。その事実を告げるわけにもいかない――いったいどうするつもりなのか、ルカは既にフラッシュメモリは自分が持っている、ちゃんと渡すと云ってしまっているのだ。
「……悪い星の下に、か……」
テディはなんだかおかしくなってきて、ふっと笑いを漏らした。
「どうした、なにがおかしい」
「別になにも」
自分のこれまでを顧みたら、もう怖いことなどなにもないような気になった。マフィアに拉致され、四肢の自由を奪われて監禁され、殺されるかもしれないが――子供の頃に覚えた恐怖と比べれば、今のほうがまだましな気がした。
少なくとも、これ以上悪いことなんてそうそう起こりはしないに違いない。もしもそんなことがあるのなら、死は恐怖ではなく、救いだ。だから、平気だ。そのうえ色つきの夢までみせてくれるのだから――堪らえられず、テディはくっくっと声を漏らして笑った。
見張りの男が訝しげな目で見ていることに気づき、テディは云った。
「……ねえ、知ってる? 俺、いま二十七歳なんだよ」
テディの言葉に、男は首を傾げた。
「それがどうした」
かのエリック・クラプトンが在籍したスーパーグループの先駆けでもあるバンド、クリームさえ知らなかったらしいこの男のことだ。27 クラブのことなど、まったく聞いたこともないのだろう。
テディは、男が袋から何個めかのプラムを取りだすのを見て「俺にもちょうだい」と小首を傾げ、ねだった。男は「しょうがねえな」と言 ちながらも、ナイフを取りだしてプラムを半分に切り、種を除きながら自分の傍に来た。ほらよ、と口許に差しだされたその赤紫色の果実に齧りつくと、甘酸っぱい果汁が口のなかいっぱいに広がった。残りも一気に頬張り、鼻に抜ける香りと喉に落ちていく酸味に、満足気に顔を綻ばせる。
「ありがとう、ごちそうさま」
微笑んで礼を云ったテディに、男は「まったく、いい度胸してやがるぜ」と、呆れたように肩を竦めた。
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