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第6話 たまには俺の膝にどうぞ

 目だけで白髪を見上げると、口の前に人差し指を立てていた。誰か寝ているヒトがいるのだと理解する。 (ニケさん。寝てたんか) (はい。寝顔ってなんであんなに癒されるんでしょうね。ほっぺ舐めたりむにむにしたら怒られますかね? ……ちょちょちょ! 俺まだ入ってないんですけど?)  戸を閉められそうになり、慌てて両手を差し込む。 (お前だけ廊下で過ごせよ) (なんでそんな寂しいこと言うんですか?)  このまま締め出したい気持ちをこらえ、戸を開けてやる。お世話になる家の戸を外してはいけない。 「暑いし、戸は開けときます?」  振り返ると、キミカゲは小さく頷く。 「そうだね。私はそこまで暑くないけど、開けておいて」 「はーい」  布の床を珍しそうに歩き、椅子を見て驚く。 「なんじゃこりゃ」 「めっちゃ座り心地いいですよ。どうぞ」  座りやすいように椅子を引くと、リーンはどっかりと腰掛けた。  顔を上げて目を閉じる。 「……寝そう」 「ね? 座り心地いいですよね」  身体ポッカポカのフリーは背もたれに触れるのを嫌がったのか、オットマンの方に座る。 「オキンさんに手ぬぐい返しそびれているんですけど。オキンさんてこの家のどこにいるんですか?」  キミカゲに訊ねると、「貰っちゃえば?」と笑われた。 「そういうわけには……」 「ふふっ。まあ、ご飯の時に会えると思うよ? あの子、ご飯はみんなで食べないと落ち着かないから」  それはさぞ大人数で食べるんだろうなと、賑やかな食事風景を想像する。 「ここって、何人くらいが住んでいるんですか?」 「正確には分かんないね。首都や青真珠村とかに出張中の子たちもいるから。でも百人はいると思うよ?」 「そうですか。そのうち、お子様は何名くらいですかね?」  がたがたっと音がする。横を見ると器用に椅子ごとリーンが距離を取っていた。 「どうして距離を取るんです?」 「どうして距離を取られないと思うんだお前は」 「ちょっとほっぺの数を聞いただけじゃないですか」 「ニケさん早く起きないかな」  この変態を(拳で)黙らせられる存在がいま即急に必要だ。でもキミカゲの着物を握りしめている小さい子を起こしづらい。  俺様がやるしかないのか……と、リーンが拳を作ったところで、何かを感じ取ったキミカゲが片手を小さく挙げる。 「喧嘩は駄目だよ」 「なんの話です?」 「俺様がお前を殴ろうと思ったんだよ」 「なんで?」  冷たく睨まれたフリーが泣き声を上げるも、誰も返事をしなかった。 「ところでキミカゲ様」 「ん?」  リーンは拳を開いたり閉じたりする。 「俺……本格的に光輪を探そうと思って」 「オキンの下につきたいけど、どうすればいいのかって? 普通にあの子に頼みに行けばいいよ。食後は比較的のんびりしているから、行くのなら夕食の後とかにした方が良いかな」 「……あ、はい」  相手の言いたいことが分かるのは人生経験の豊富さゆえか。甥っ子のことになると饒舌になるなと半ば感心しつつ、リーンは素直に頭を下げる。 「ありがとうございます」 「礼はいいよ。ないだろうけど、あの子に変なこと言われたりいじめられたりしたら、すぐに私に言うんだよ?」 「は、はい」  にっこり微笑むキミカゲに、このお方と喋ると子ども扱いされるから調子が狂うぜ、と言いたげに首の後ろをなんとなく揉む。 「リーン君が決心してくれたようで、嬉しいよ」    これで彼にちょっかいをかける者もいなくなるだろう。竜の庇護下に入るということなのだから。  だが、それに噛みついたのはぽけっと二人のやり取りを見ていたフリーだった。オットマンから腰を上げ、キミカゲの白衣を掴む。 「なにが嬉しいんですか? 光輪を見つけちゃったら、先輩、帰っちゃうんですよ?」 「お、おう」  勢いにキミカゲが頬を引きつらせると、リーンが後輩を押しのけた。 「キミカゲ様に絡むな。お前は表面上だけでも俺の味方をしろ」  尻からすっ転んだフリーがきっとふたりを見上げる。 「無理です! 輪っかを見つけて先輩を喜ばせたい気持ちと、輪っか見つからなけりゃいいなーという気持ちがずーっとインファイトしているんですから」  リーン的には前者の気持ちの応援を全面的にしたいところだが、それほどまでに自分と離れたくないと言ってくれる友人も貴重ではないかと悩みかけ、ハッとする。 (いやいや。こいつは俺のためじゃなく自分が悲しい思いをしたくないから言っているだけであって……。だから光輪見つからなくても、なんて一瞬でも考えるな俺!)  ふるふると首を横に振る。危ない。なんかほだされるところだったがそうはいかないぞ。  考えが纏まらなくなったのか、フリーはキミカゲの足にしがみつく。 「キミカゲさん! オキンさんの下で輪っかを探す先輩を全力で邪魔したい俺と、応援したい俺がいるんですが! 俺はどうすればいいと思いますか?」  邪魔をすれば俺とのインファイトが始まるが? と思いつつ、リーンは据わった目で成り行きを見守る。  フリー君がくっついてきてくれた……めっちゃ嬉しい、と涙をぬぐい、眼鏡をかけなおす。 「さてねぇ。私は君に命令できないから、まあ応援すればいいんじゃないの? という提案しか出せないね」 「そう……ですか」  しゅんとなるが、キミカゲが微妙に味方してくれたことにリーンはのけ反りながらガッツポーズを取る。  キミカゲは白髪を撫でる。しっとりとしていた。 「それより君たち。髪の毛を乾かしなさい」 「ぶー。はーい」  拗ねながらも元気よく手を挙げるフリーに、気を良くして頷く。 「はあ。やれやれだぜ。暑いからすぐに乾きますって」  めんどくさそうに背もたれにもたれるも、キミカゲが真顔になったので慌てて手を動かした。  その後。各々自由に過ごしていたが昼過ぎになると……  ビュウウウウウッ!  叫び声か? と外を見たくなるような音を伴い、強風が紅葉街を揺らし始める。  がらがらと、どこかの部屋から雨戸を閉める音が聞こえてくる。キミカゲたちがいる部屋にもペポラがやってきて、雨戸を閉めていったばかりだ。雨戸ってもっと早い段階で閉めておくもんじゃないの? と思うが、この邸宅の耐久度なら、閉めなくとも余裕なのだろう。それでも閉めたのは念のため、か。  暗くなってしまった部屋では読書も難しい。光源を求めて、キミカゲとフリーとさっき目を覚ましたニケが、リーンに集まる。 「「「……」」」  三方向からじっと見つめられ、椅子が落ち着かず床で書物の表紙を眺めていたリーンは変な汗を流した。 「いやあの! 『もっと光強めていいよ?』みたいな顔をされても、俺自分で光ってるわけじゃないんでっ? 蛍じゃないんで!」  着物が勝手に発光し始めるだけだ。というか、そこまで暗くないんだから読書くらいは出来ると思う。  鬼や星影のように闇を見通す目を持っていないキミカゲは、書物を閉じて苦笑する。 「ごめんごめん。アキチカみたいに光るのかなと思って」 「アキチカ様光(ひか)んのっ?」 「俺は単純に先輩の側に行きたかっただけです」 「うるせえ。どっか行け」 「僕は別に……。風の音が怖いからみんなの側に行きたかった、とかじゃ、ないんですからね……」 「ニケさん。たまには俺の膝に座ります?」  笑顔でぽんぽんと膝を叩くリーン。ほんの少し迷ったが、お邪魔することにした。  膝に尻を乗せる。ひとりだけ冷たくされたフリーはわざわざ部屋の隅で膝を抱える。 「むう」  リーンの膝に座るのは初めてだ。ほんのりいい香りがするのは風呂に入ったからだろう。 「……」  なんだろう……落ち着かない。香りも浴衣の肌触りも申し分ないのに。  笑みを消し、尻をもぞもぞさせるニケに気づいて下を向く。 「どうした?」 「うーむ。……なんか不安です」 「不安?」  俺の体臭のせいか? と心臓が跳ねたが、どうもニケが気にしているのはにおいではなく膝のようだ。もにょもにょと頻繁に尻の位置を動かしている。ちくちくする尻尾がくすぐったい。  座り心地が悪いのだろうか。フリーとそんなに変わらない気がするが。部屋の隅でキノコを生やしている後輩と自分を見比べる。 「正座した方が良いか?」 「いえ。いいです」  ニケは膝から下りてしまう。寝ぼけていた頭が覚めてフリー以外の人に甘えているのが恥ずかしくなった、というのもある。  ちょっと座っていただけなのにニケを乗せていた膝は熱がこもっていた。体温高いんだな、これが子ども体温かと自分も子どもな少年は感心する。 (フリーのやつ、冬はニケさんを手放せないだろうな)  赤い瞳がリーンの足をじっと見下ろす。 「細いので、折れないか不安になるんです。翁みたいに」 「おふっ」  威力は低めだが無視できない衝撃に見舞われた。……キミカゲも。

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