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第8話 キミカゲ先生による性の授業、はっじまっるよ~!

 書物蒐集家が複数いるため、オキン邸の書庫はすごいことになっている。うかつに入れば迷ってしまう林のように本棚が続いているのだ。  用がある者や関係者以外立ち入り禁止なため、書庫の入り口に見張りが一人必ず立っている。  欠伸をしていた見張りはこちらへ笑顔でずんずんやってくるキミカゲを見つけると、小指をぶつけたような形相になった。 「おぐっ。キミカゲ様……。お久しぶりでござんす」 「語尾どうしたの? 書庫に入ってもいいかい? 書物を数冊、持っていきたいんだけど」  歯を喰いしばったままの見張りは鍵を取り出し、扉を開ける。カコンといい音が響いた。 「どのような書物で? 拙者が探してきます。素人が下手に入ると迷うので……」 「司書のオケイちゃんはいないのかい?」  いつも書庫で狂ったように本を読んでいるのに。薄暗い書庫内を見回すも見知った顔がいない。  見張りは腰に手を当てる。 「放っておくと飲食も風呂も忘れて読みふけっているので、さっきペポラ様が風呂に連行していったところです」  キミカゲにここで待つように伝え、中に入ろうとしてまだどんな書物を必要としているのか聞いていないことを思い出す。 「台風で、することがないので書物で時間を潰す気なのでしょう? それならおススメの『読むのに時間がかかる』本を持ってきましょうか?」  気を利かせる見張りに首を横に振る。 「それはまた今度で……。えーっと。子ども用の性教育の本と解剖学の本をいくつかお願いできるかい?」 「? キミカゲ様に今更そんな本、必要なんですか?」  首を傾げる見張りに苦笑いを返す。必要だよ。自分で言うのもあれだが、元から良くない記憶力が劣化気味だからね。  そうではなくて。 「子どもたちに教えようと思ってね」  見張りはぱあっと表情を明るくした。 「そうでしたか。それは良いことですな。拙者のいとこは恥ずかしがって、子どもにそういうことを教えるのから逃げ回っていましたから。そのせいでお子さんが被害に合っちまって……」  おじいちゃんは凍りついた。 「えっ? そ、その子は無事だったのかい? は、早くオキンに報せなきゃ……」  狼狽えだすキミカゲの肩を(ものすごく)やさしく叩く。 「あー。落ち着いてください。知らない大人に身体を触られたのに何が嫌なのか分からず、やめてと言うことも逃げることも出来なかったってだけです。もう二十年? も前の話ですよ」  キミカゲは気絶しそうになった。動物が酷い目に合う物語を嫌うヒトがいるように、キミカゲはこの手の話が駄目だ。後ろにひっくり返りかけた。まさにそういう事件に合うかもしれない瀬戸際なのだ。親友の孫とフリー君は私が守る!  キミカゲは手をばっと前に突き出す。 「さあ! 早く取ってきてくれたまえ」 「え? は、はい」  駆け出す背中を見送り、そわそわしつつ廊下で待つ。風は相変わらず邸宅をがたがた揺らし、庭の木々をざわつかせていたがそれすら耳に入らなかった。  数冊を脇に抱えた見張りが戻ってくる。 「児童向けと、解剖学の書物です。これでよろしいでしょうか?」  差し出された書物の表紙にさっと目を通し、キミカゲは片手をあげて去って行く。 「ありがとう。君も困ったことがあれば、いつでもくすりばこに来なさい」 「……あ、はい」  キミカゲ様ってあんなに機敏に動けたんだなと見送り、鍵を閉めた。  台風のオキン邸。伯父専用客間にて。子供向け教室が開かれていた。  教師はキミカゲ。最前列に陣取るはフリーとニケ。故郷で一通り教わったが、せっかくなのでリーンも耳を傾ける気でいる。  ……教室の開催をどこで聞きつけたのか、ペポラもやってきた。クリュや子供たちの首根っこを掴んで。  小さい子が来ると、部屋が一気ににぎやかになる。  増えた子どもにフリーはしばし狂喜乱舞で飛び跳ねていた。ペポラが「しまった。変態がいること忘れてた」と己の迂闊さを呪い、帰りかけたがフリーは大人しくなった。大人しくした(ニケが)。 「よいせ」  ペポラは部屋の一番後ろでどっかりとあぐらをかく。その前に子どもたちが座り、その前にフリーとニケ、リーンという順番だ。 「いや待て。身長だけあるお前さんが最前列では、後ろの子が見えないだろう」 「なんか引っかかる言い方だったけど、じゃあ俺は一番後ろに行くよ」  ペポラの隣に行きかけたフリーを、立ちはだかったクリュが止める。 「待ってくださいです!」 「おっ」  クリューソスマキスデン。オキンの養子で竜族の一人。金髪金目の幼児で、だぼだぼの黒羽織といった姿だ。以前やらかしてしまい、「二度と話しかけんな」レベルで嫌われてしまった相手に、フリーはぎょっとして立ち止まる。  フリーを睨みつけ、びしっと指差す。 「てめーが背後にいると落ち着かんです。前にいろです! 前に」 「ぐううっ」  久しぶりに合えた嬉しさと、話しかけてくれた喜びと、あまりの可愛さに胸を押さえて蹲った。ニケとリーンがいつもの目線を向ける中、クリュはキイィと怒り冷めやらぬ様子で、人差し指を腕ごと振る。 「それに! なにしれっとペポラしゃまの隣に座ろうとしてやがるです。てめーごとき馬の骨が! 身の程をわきまえろやああああっ?」  騒いでいる途中でペポラに羽織を掴まれずるると引きずられた。ちょんと膝の上に乗せられる。  頬を風船にしたまま、師を見上げる。 「なにするです! ペポラ様。こいつにはガツンと言ってやらなきゃ駄目なんです」  ペポラはからかうように笑う。 「はあ。お前が俺の心配だと? 四十五年早いわ」 「はあああっ? わいは竜なのですから、ペポラ様を追い抜くのに四十五年も必要ないです! 数年ちょっとでわいの方が強くなるです」  ムキーと歯を見せて怒る幼竜。確かに、生まれた時からまあまあ強いのが竜だ。師がいるクリュはもっと成長(強くなる速度)が早いだろう。ペポラがどれほどの達人だろうと、やがて埋まらない種族差を実感することになる。  ペポラはそんな息子の頭をひとつ撫でる。 「そうか。じゃあもう俺は必要ないな」 「え……?」  ぱたっと、今までの勢いが消える。  強くなったからといって、精神は子どものままだ。母から離れるなど考えたこともないだろう。  クリュはぎゅっと母親代わりで師でもある女性の着物を握る。 「……」  泣きそうな顔で大人しくなったクリュに内心安堵のため息をつき、ペポラは騒がせたなと目で詫びておく。  ニケとリーンが「お構いなく」と手を振り、変な人を部屋の隅に引きずっていく。 「ていっ」  部屋の隅に捨て、リーンはその隣に腰を下ろす。ニケは倒れている椅子の背に腰掛ける。ここならば邪魔にはなるまい。  子どもたちは星空柄になりかけの浴衣を、物珍しそうに見つめている。気にせずリーンはぺしぺしと膝を叩く。 「では、キミカゲ様。はじめてください」  熱心に予習していたキミカゲは、最前列に三人がいないことにやっと気づく。 「? ……大事な話をするけど、フリー君はどうしたんだい?」 「すぐ復活するのでお構いなく」  そうかい? と首を傾げ、こほんと下手な咳払いする。 「では、大事な『性』のことについて話すよ」  借りてきた書物の最初のページを開いて見せる。小さな男の子と女の子が手を繋いでいる絵が描いてあった。浮世絵風ではなくポップな絵柄だ。  寺子屋などで何度かやったのでこういったことには慣れている。懐かしい。  が、欲を言えば事前にもっと準備をしたかった。子どもでもわかりやすいように絵にして、紙芝居風にすると子どもたちはよく聞いてくれる。  妹の子たちにもこうやって教えてきた。昔のオキンは可愛かったなぁ。今も可愛いけど。飽きずに毎回付き合ってくれた妹にも感謝している。……思えば、一番熱心に質問してくれたのも妹だったな。  顔つき以外まったく似ていない身内を思い出し、キミカゲは懐かしさでふっと目を細める。するとオキンの子ども――養子やわけあって預かっている――たちがぱちぱちと拍手してくれた。なんで? あ。始まりの拍手? 確かに紙芝居でも「はじまりはじまり~」で拍手したりするもんね。  子どもたちを見て「やらなきゃ駄目なの?」と思ったのか、無表情だがペポラやリーンたちまで手を叩いてくれた。ニケや倒れたままのフリーも拍手している。  ――子どもたちの拍手って、なんでこうあったかい気持ちになるのだろうか。  無垢な瞳に癒されつつ、もう一枚ページをめくる。

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