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第13話 立ち直れない……
――なんてこった。僕を守るという意志が、僕の抱き枕を脅かしている。
再びフリーズしてしまったニケを見つめたまま、先輩に声をかける。
「白髪って目立つみたいですし。短い方が良いと先輩も思いますよね? ホクトさんくらい短くしたいな」
リーンは腕を組んで丹狼の青年を思い出す。
「あー。あのイケメンしか許されないウルフカットか?」
偏見がすごい。
「まあ、お前の顔面なら似合うんじゃないの? 知らんけども」
褒められたと感じ、笑顔で自分の顔を指差す。
「それって俺がイケメンってこと? 先輩、俺のこと好きになった?」
「一回死んで女性に生まれ変わってからそういうことを言え。俺様はキン〇マに興味はない」
まったく脈がなく、泣きそう。
いじけてニケのほっぺをツンツンしていると、見覚えのあるイケメンがひょいと顔を出した。
「おや。ここにいたんすか? ところでちょっと聞こえたんすけど、よければ精神汚染系の魔九来来の話、詳しく聞かせてもらえないかっすね?」
フリーズから解凍されたニケもそちらに視線を向ける。
赤犬族より一回り大きい狼の耳。ふさふさ尻尾。着流しの上から黒い羽織を身につけた姿。
三人と目が合うとヒトの良さそうな笑みを浮かべ、その際唇から牙が覗く。
丹狼族のホクト。本名クァフトである。きちんと名乗ったのだが、ボスであるオキンが「ホクト?」と聞き間違えたせいで――しかもそれを同僚が言いふらした――あっという間にみんながホクトと呼ぶようになってしまった悲しき過去を持つ男である。
「……」
ペポラはこちらを一瞥すると、呆れたように息を吐いた。
ホクトはフリーとリーンの間に腰を下ろす。
「お邪魔するっす。それで? 『操縦士』でしたっけ? 魔九来来の種類を記録するのも仕事なんで、是非……」
紙と筆を取り出すホクトに、ニケは心底不思議そうに首を傾げた。
「あなた、誰ですか?」
執務室が静まり返った。
「何言ってんだ?」というより気まずそうな空気が充満する。クリュが驚いたような、感心したような。とにかく目を丸くしてニケを見ている。
ホクトは結構ショックを受けたように、笑顔を引きつらせる。
「あ……。あっしのこと、忘れちゃった、っすかねぇ……?」
声が震えていて気の毒だが、ニケは口をへの字に曲げる。
「いえ。覚えています。恩人の顔を容易く忘れたりしません」
「うっ」
この台詞はリーンに刺さったらしく、胸を押さえている。
それにニケの耳も鼻も、目の前の男がホクトだと言っている。
「じゃ、じゃあ、なんで誰? なんて言うっすか?」
「……」
「リーンさんは⁉ あっしのこと、覚えているっすよね?」
黙っちゃったニケにしびれを切らし、リーンにすがりつくも……
彼もまた、他人に向けるような顔をするのだった。
「ホクトさんのことは覚えてますけど、あんたとは初対面だよな?」
「……ッ!」
殴られたような衝撃を受けて、ホクトはのけ反る。手から筆がぽとっと落ちた。
「な、なんで……? そんなことを言うんすか?」
「いや~」
リーンは、襖の絵を眺めている白髪を指差す。
「あんたがホクトさんだったら、そこのモフモフ大好き野郎がマッハで反応しているはずなんだよ」
「……っ……?」
ホクト(仮)がバッと顔を向けると白髪は襖を眺めていた。しかも「ふむ。襖にニケの絵を描くのもいいな」など、よく分からないことを真面目な顔でのたまっている。
ホクト(かもしれない)はフリーの肩を掴んで強めに揺する。
「ちょっと! フリーさん。どこ見てんすか?」
振り向いたフリーの瞳にあたたかさはなかった。
「……なんですか、あなた。俺が愛した人以外、俺のことフリーって呼ばないでください」
「がっ‼」
ホクト(なのか?)の目に涙が滲む。
「もふもふ、好きなんすよね? ……こ、この耳が見えないんすか?」
震える指で狼耳を指差すも興味を抱いてはくれない。
それどころか、
「偽物でしょ? それ」
困ったヒトを見るような顔をされてしまう。
「…………はい?」
「ホクトさんの狼耳は、もっと我慢できないくらいやわらかそうで見ただけでさらさらだと分かる素晴らしいものなのです。もふもふ舐めんな」
ばっさり切り捨てられ、ホクト(可能性はまだある)は魂が抜けたような顔になった。
ざざっと全身がテレビの砂嵐のように霞んだかと思うと、姿が変わる。
「「「!」」」
三人が見守る中。まったく知らない黒羽織のヒトが、自信喪失したように頭を抱えていた。
リーン並みに小柄で濃い灰色髪の少年……少女? いまいちわかりにくい。
獣耳も角もなく、フリーのように面白みのない身体だ。
ぽたぽたと涙を流す。
「うっ……ううっ。同僚ならともかく……。こんな、普通に一般人でなんの特技もなさそうな凡人共に見破られた……」
笑顔のリーンが拳を振り上げたのをニケがやんわり止める。
リーンが殴ろうとしたということは、この方は男性だな。と、フリーとニケは少年――年齢はまだ分からないが――を見つめる。
納得いかないとばかりに、濃い灰色髪の方は子どものようにじたばたと暴れる。
「う、うあああんっ。何かの間違いだああっ。おま、おまえらごときが、幻影族であるわたしの変身を見破るなああ!」
ちっちゃい子の姿になった途端、フリーの瞳にあたたかさが戻る。駄々をこねる幻影族を微笑まし気に眺める。
幻影族。常に誰かに変身しており、本当の姿は親兄弟姉妹くらいしか知らない。姿を偽り身を守る。人族ほどではないにしろか弱き種族である。
この少年っぽい姿も、きっと誰かに変身している姿なのだ。おそらく。
幻影族は身体を丸めぐすぐすと泣く。
「ううっ、ううっ。……ボスは見てもくれないし、ペポラ様には一瞬で見破られるし。もうやだああ」
小さい子が泣いているのに誰も慰めようとしない。クリュに至っては「うるさいです。半人前」と厳しい言葉を投げかけ少年をさらに泣かしている。
見かねたリーンがその背をぽんと叩いてやる。
「ほら……。泣くなって。オキンさんって才能あるやつが好きなんだろ? そんなんじゃ捨てられちまうぞ?」
「ガーンッ‼」
真っ白になった幻影族。
「先輩って……慰めるのドヘタですよね」
「ああ? どういう意味だよ?」
今のは完全にフォローする流れだったですやん。
呆れた顔のフリーに憤慨する。
「俺様が珍しく野郎を慰めてやったってのに!」
海での事件を忘れたのか。ホクトさんは常識人の皮を被ったクレイジーな男だぞ。中途半端な変身で怒らせたら危険だ。
しばらく「立ち直れない……」と蹲っていた幻影族だが、やがてのろのろと起き上がる。
「……で。魔九来来の情報を纏めるのが仕事ってのは本当なので、聞かせてくれませんか?」
拗ねた顔つきで落とした筆を拾う。
フリーは満面の笑顔を向ける。
「その前に。俺はフリーって言います。お名前教えてくださいませんか?」
幻影族はそっぽを向いた。
「名乗る馬鹿が幻影族にいると思ってんですか? 無知。低能。お馬鹿」
トイレ後、猫が砂を蹴るようにぺぺぺっとフリーを蹴る少年。
「ああんっ」と、やられている本人は嬉しそうだったが、これにムッとしたのはニケだった。
僕の持ち物を蹴った罪は重いぞ。
フリーの髪を引っ張って身体を傾けさせ、耳元でひそひそと囁く。
「おい。何してんだ」
「え? 何って?」
「いまの蹴りは幻影族の言葉になおすと『好きにしてください』って意味だ」
「え……?」
フリーの瞳から理性が消える。ニケとリーンは逃げた。
のちの、「大部屋の惨劇」と(面白おかしく)語られる事件の、引き金だった。
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