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第42話 牛舎生活

 出発当日。  『海鮮を食べて首都に行こう!』を企画した海産物を取り扱っている大きな店、「青海波(せいがいは)」が用意した牛車。竜車を見た記憶を消せば、大きくて豪華だと感動できる。車を引く牛も毛艶が良く、体格もしっかりしている。よく歩きそうだ。  他にも当選したヒト達で、いい感じに賑わっている。  今年の残暑はメリネでも吹き飛ばせないほど、しつこく尖龍国に粘着していていた。朝は少しマシだが、昼になると暑い暑い。  青空の下、牛車停には見送りに来たキミカゲ――それとオキンとジェリーがいた。先輩とディドールさんからは昨日、すでに「行ってらっしゃい」の言葉をいただいている。  なぜ桃源郷兄妹がいるのか。  アギュエルが帰ってきたと聞きつけたオキンとジェリーが、二日に一度はくすりばこに顔を出すようになったからだ。滅多に会えない長兄がいるのだから、無理もない。  ジェリーは散々たぷんとしたお腹に抱きついて甘え、オキンは共に酒を嗜む。……フリーはアギュエルの耳とたぷたぷ腹に触りたくて、追いかけ回していた。 『助けないんですか?』 『アギュエルちゃんは少しやせた方が良いと思うんだ』 『同意』 『そうだねぇ』  妹、年上の弟、伯父上。誰も助けてくれず、アギュエルは愕然としていた。でもそのかいあってか、少し痩せたと思う。旅先で食べるその土地のご飯に甘いもの、美味しいのだよね。  そんなわけで、オキン達も見送りにきてくれたのだ。アギュエルは仕事。 「せいぜい、気をつけるのだぞ?」 「オキンさん。俺ら黒羽織じゃないのに心配してくれるんですね」  ニケを撫でていたジェリーが見上げてくる。ジェリーの中ではリーンとニケは「命の恩人」となっているらしい。くすりばこに来ると、かなり親切にしてくれた。ベッドの下から助けただけで大げさなとは思うが、それだけ彼女にしてみれば怖い出来事だったのだ。  竜のおじさんはフンッと鼻を鳴らす。 「貴様らがいなくなれば、伯父貴とリーンが悲しむだろう。ワシの家族を悲しませることなど、許されんぞ」 「オキンさん、ツンデレですもんね!」  スンっとオキンの表情が冷める。旅行に行こうと集まったヒト達と車に繋がれた牛まで一斉に逃げ出す。  目の前の白髪だけはにこにこと笑っている。いつもいつも上等な口を利くではないか。いっぺんどついてやろうかと思ったが、キミカゲが間に入ってきた。 「はいはい。フリー君、気をつけるんだよ? 二回目だからって油断せずに、しっかりニケ君の言う事を聞くんだよ?」 「はいっ」  きりっとした顔で元気よく頷く青年に、ジェリーは呆れる。 「なんでだ? 普通、この兄ちゃんが保護者の立ち位置なんじゃないの?」 「こやつは人生経験が乏しいので……」  慣れた口調のニケに、なんだか一気に不安になってきた。ジェリーにそんな権限はないが、護衛に誰かを貸し出してあげたい。  ジェリーはニケの肩に手を乗せる。 「ニケちゃんも、気をつけてな? なにかあれば、オキンちゃんの名前を出しても、構わないからな?」 「それは心強いです」  にっこり笑うニケに、うんうんと頷く。  フリーはキミカゲにこそっと耳打ちする。 「このふたり、仲良くなりましたよね」 「いいことだよね。私は嬉しいよ」  兄馬鹿竜の目は怖いが。  ここでようやく、「青海波」の係の者が逃げ出した牛を連れて戻ってくる。  声を張り上げる。 「お、お待たせしました。そろそろ出発の刻限です! 首都に行かれる方はお乗りください。乗車前にチケットの確認を――」  フリーとニケは慌てて荷物鞄を肩にかける。 「それでは、行ってきますね!」 「お土産買ってきますから。翁も身体に気をつけて。整理整頓を忘れないでください」 「うん。頑張るよ。……うううっ! 寂しいよ。やっぱ私も一緒に行く~」  フリーに抱きつこうと手を伸ばした困ったおじいちゃんの襟首を、甥っ子ががっしり掴む。 「いい加減にせい」 「じゃあな、ニケちゃん。フリーも、ちゃんとご飯食えよ!」 「はい!」 「ありがとうございます」  大きく手を振ると、ぱたぱたと牛車に向かって走って行く白黒。動物に気を遣い、オキンはこれ以上近寄らない。  用は済んだと、オキンは伯父を摘まんだまま回れ右した。その背中に、ジェリーもついていく。他にいた見送りに来たヒトらも、ちらほらと帰っていく。 「……」  オキンはこの場に「あの兄弟」がいることを分かっていたが、子分になる前の出来事だし被害を受けた本人もこれと言って相談してこないので、放置しておいた。 「出発しまーす」  がらがらと車輪が回りだす。  抽選に当たったラッキーな者たちを乗せて、店の紋の波模様がでかでかと描かれた牛車が三台、連なって進む。  やわらかい椅子に腰かけ、フリーはニコニコと微笑む。 「今回は馬車じゃなくて、牛車なんだね。スミさんと花子さんに会えるの楽しみだねぇ」 「うむ」  横が開いているのに、わざわざフリーの膝に座ったニケが頷く。  金持ちっぽい者が多いなかフリーたちは些か浮いていたが、皆、首都の話題で持ちきりだ。  ちょっと一服、と懐から白い骨を取り出す。  口に銜えようとしたら、白い指にひょいと取り上げられた。 「え?」  口を3の形にしたまま振り返る。なんだその可愛い口の形は。触りたい触りたい触りたい。 「触らせ……あ、ごめん。なんでもない。馬車って急に止まるかもしれないから、口に何か入れていると危ないかも」  フリーに正論を言われるとは。何も言い返せない。 「お前さんの言う通りだな」 「えへへ」  骨を懐に仕舞い、代わりにフリーの手を齧っておく。 「これでいいや」 「あれぇ?」  くすぐったいんですが、とか苦情が出た気がするがニケは無視した。自分より長い指を、あむあむと食む。 「……」  ニケが黙っちゃったので、フリーは外の景色を見ているか、ニケを見ているしかない。  一回目の休憩地点に着くまでずっとしゃぶられ、フリーの指はべとべとを通り越してふやけた。 「失礼。貴方たちはどちらへ?」  牛車生活二日目。  当然のようにフリーの膝に座っていると、対面席に座っている品の良さげな夫婦に話しかけられた。 「私たちはランランアート大会に行くのだよ。妻がキュートリリィ(国王の孫娘)様のことが好きでねぇ」  六割の方の観客のようだ。  初老の男性が自慢の髭を撫で、奥さんはその腕に自分の腕を絡めている。ふたりとも毛並みの良い耳をしている。フリーは真剣に尻尾を探すが見当たらない。尻尾がない種族なのだろう。  肩を落とすフリーに代わり、ニケが返事をしておく。困ったやつだ。 「奇遇ですね。僕たちも大会に行くのです」 「おお。そうなのか?」 「はい。知人が出場していまして、その応援です」 「ふふっ。まあまあ。しっかりしたお子様だこと」   奥さんらしき女性がふふっと小さく笑う。お髭の男性はその笑顔を見て、顔を真っ赤にして目を逸らす。 「ほう。知人が出ているのか。そのヒトの名前は? 高名な芸術家なのかね? それなら是非応援したい。投票もするぞ」  おそらく馬車生活で退屈になってきたのだろう。どんどん質問してくる。  ガタガタ揺れる車内で、ニケは冷静に首を横に振る。 「いえ。ですが、ランランアートに向ける熱と愛は本物の方です。名前は……教えないでおきます。どうか、良いと思った作品に投票してください。投票制なのか審査員が決めるのかは、知りませんが」 「「……」」  あまりにしっかりした言葉に、老夫婦はあっけに取られたように目を丸くする。その反応に、何もしていないフリーが自慢げになる。どうだ、ニケはすごいだろう。  まあ、自慢に思う一方で、「やっぱニケって年齢間違ってないか?」とも思うが。  初老の男性は声高らかに笑う。 「はっはっはっ! なんて素晴らしいお子様だ。いや、貴方の言う通り!」 「あなた。あまり大声を出してはいけませんわ。他のお客様に迷惑ですよ?」 「おっと……。すまんすまん」  慌てて口をつぐみ、にこっと微笑み合う。なんかいいな。こういうの。

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