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第43話 賊だ!

 見惚れていたフリーが口を開く。 「お二人は、夫婦ですか?」 「ん? そうだよ。家内とは愛のない政略結婚だったが、一目で好きになったよ。なにせ、お人形のようにかわいかったからねぇ」  当時を思い出しているのか、お髭の男性は目を閉じる。 「妻より素敵な女性はいないよ。彼女につり合う男になりたくて、猛勉強したね。家を継ぐ気があまりなかったが、一気に燃え上がったよ。ほれ。今はこの通り、とびきり美人になっているだろう?」 「もうっ、あなたったら。恥ずかしいわ……」  頬に手を添えて、ため息をついている。だがその目元は赤くなっていた。  そんな妻の表情を見て、男性は発作が起こったように胸を押さえていた。さっきから奥さんしか見てないな、この方。 「ご夫婦でしたか」  咳払いした男性が、青年と幼子に目を向ける。 「貴方たちは? ご兄弟……えっと?」  ニケは一度だけフリーを振り向いた。 「この白いのは、僕の護衛です。一人では危険だと、お爺様が」  絶対この質問されるだろうなと思い、考えてきた設定だ。馬鹿正直に伝えてもいいが、リーンの時のような反応になるのは目に見えている。ちなみに「お爺様」とはキミカゲのことなので、嘘はついていなかったりする。 「ほほう。白髪ですか。さては貴方、安っぽい着物を着ていますが、そうとうな家柄のお坊ちゃんなのでしょう? しっかりしているのも納得だ。ご両親の教育が良いと見える」 「そうね。あなた」 「ありがとうございます」  余計なことは言わずに、礼だけ言っておく。嘘は言っていない。相手の勘違いを正す義理もない。  ニケはぽんぽんとフリーの腕を叩く。 「おい。喉が渇いたから、水筒を取ってくれ」  荷物は最後尾の馬車にまとめて積んであるが、貴重品や水筒、携帯食の入った小さい袋ならば、ひとりひとつだけ持ち込める。 「はい。坊ちゃん」 「……」  呼び方もあらかじめ決めておいた。ちなみにこの設定、ジェリーも一緒になって考えてくれた。年が近い女性と話すというのは、なかなかに楽しかった。  白い指が蓋を外し、水筒を差し出してくる。 「どうぞ。坊ちゃん」 「……ああ。ありがとう」  苦い顔でそれを受け取る。どうも慣れないな。神妙にしているフリーが。 (マヌケ面全開でニケ~って呼んでいる姿しか浮かばん)  それこそフリーだろう。別に戦っている時の横顔とか、凛々しいなとか思ったことないし!  ごくごくと水を飲む。一日目の水筒には翁が赤丸の皮を入れてくれたので、いい香りがした。今飲んでいるのは休憩地点で汲んだ水なので、なんの香りもしない。ちょっと寂しい。 (もっと寂しがっているのは、翁だろうな)  苦笑し、フリーにも飲んでおけと渡す。 「ありがとう。ニケ……坊ちゃん」  遠慮なく水筒を傾ける。  普通は護衛が先に毒見として飲むのだろうが、どうせ数日しか使わない設定だ。それに毒を感知するなら、鼻が利く自分の方が適任。 (小腹空いたな)  くうっと、腹の音が鳴る。昼休憩にはまだ早いし、携帯食に手を付けるのもまだ早い気がする。  またフリーの指でも噛んでいようかなと思っていると、今度は隣から声をかけられる。 「もし。お坊ちゃん」  隣に座っている、目が大きく耳がヒレのような形になっている男性だ。恐らくだが、海の民だろう。量の多い深藍(ふかあい)色の髪を背中に流している。  内心面倒くさそうに、ニケは赤い瞳を向ける。なにせこの男性、昨日からちらちらとこちらを見てきて落ち着かなかったのだ。 「なにか?」 「へへっ。なに。私は海流商会の者でしてな。そ、それで話なのですが、その白髪の彼は、どこで借り受けたのです?」  時は金なりとでも言いたいのか。挨拶もそこそこに男は興奮気味に話す。 「いや、私の実家でも腕利きの護衛を雇っているのですが、白髪を貸してくれるところなど、ありません! ぜ、ぜひお教え願いたい!」  護衛の貸し出し屋なら、「青の会」や「氷蛟(こおりみずち)屋」が有名ですが、もっとマイナーなところですかな? と一人でずっと喋っている。  オキンも護衛の貸し出し屋のようなことをしている。もちろん貸し出すのは優秀な子どもたち〈黒羽織〉だ。 (名前出して良いって言われたし。さっそくで悪いが、出しちゃおうかな? いやでも、そこまで困ってないしな)  少し悩んだが、結局ニケは申し訳なさそうに首を横に振る。 「この者は借りているのではなく、僕個人が雇っている者です」 「そうなのです」  嬉しそうに胸を張るフリー。  男は残念そうに額を扇子で叩く。 「くっ! それは残念! ……それで、あの、お坊ちゃんから彼を借り受けるというのは、出来ますかな? 礼は弾みますよ? お坊ちゃんの店と、優先的に取引をしてもいい」  これは、子どもということで舐められているのだろうか? 「そ、それに、へへっ。彼には夜の方も頑張ってもらいたいですしな。いや、私は銀髪など珍しい髪色に強く興奮出来るので、それはもう。それはもうっ! 楽しいのですよ。へへっ。白髪と出会えた機を逃したくないですね」  うっせぇ黙れと言いたい気持ちを我慢する。後ろでフリーも気まずそうな表情をしている。  男の目は肉欲に塗れていた。そんな目で僕の物を見るな。  今すごく困っている。やはりオキンの名前を借りればよかったか。  頭を抱えていると、対面席の初老の男性がキッと男を睨みつける。 「これ。子どもになんということを」 「恥を知りなさい」  奥方にも睨まれ、男は唇を尖らせるも素直に引っ込んでいく。  ニケは目を丸くした。 「あ、ありがとうございます」 「なに。乗り合わせた仲だ」 「そうよ。何か困ったことがあれば、言ってちょうだいね。力になるわ」  和気あいあいと空気が和む馬車内。海の民の男だけは拗ねたように腕を組み、ぶすーっと頬を膨らませていた。  ガタンッ。  順調に進んでいた牛車が急停止した。 「うわっ」 「ぬっ?」  フリーはニケを、初老の男性は反射的に妻を支える。海の民の男性は座席から滑り落ちた。 「あなた……。ありがとうございます」 「怪我はないか?」 「はい」  なにが起こったのか。奥さんは不安な顔で周囲を見回す。  フリーはまた九天九天(神獣)が出たのかと、すだれを上げ窓から顔を出す。  それと同時に、「賊だ!」という声が響いた。 「え?」  牛車の周りを、馬に乗ったガラの悪そうな者たちが取り囲んでいた。フリーはすぐに首を引込め、ニケを抱きしめる。  むぎゅっと抱きしめられながら、ニケは努めて冷静に鼻をスンと動かす。 「けっこうな数だな」  座席に戻りながら、海の民の男は腕を組む。 「ふんっ。この辺は賊がよく出没しますから、商人ならまず通らない。だから「船の墓場」の方の道を通れと、出発前に言ったのに……」  不機嫌そうにぶつぶつと呟いている。こういった事態に慣れているのか、つまらない芝居でも見ているかのように落ち着き払っていた。  対して、フリーはきっちりと慌てる。 「ど、どど、どうしよう。ニケ。外に出て、追い払ってこようか?」  景気よく「GO!」と言いたいが、ニケはフリーの頬を摘まんで落ち着かせる。 「落ち着け。金持ちのヒトが多く乗っているんだ。企画側が護衛を雇っているに決まっている。そのヒトらに任せろ」 「ふえ(はい)」  フリーのマヌケ面を見ながら耳を澄ませる。すぐに「青海波」の係の声が聞こえた。 「お客様! ご安心を。すぐに対処いたしますので、車内にてお待ちください。危険ですので、決して外には出ないで!」  ニケは自慢げにニヤリと笑う。 「ほら、な?」 「おお。本当だ」  すだれを上げ、ちらっと外を見る。牛車と同じ模様の着物のヒトたちが、賊と戦っている。  これなら呼雷針を呼ばなくて済みそうだ。ホッとし合うニケとフリー。  怒声や剣戟の音に、荒事に慣れていない様子の奥さんは旦那の胸にすがりつく。 「あなた。怖いです……」 「大丈夫だ。大丈夫だぞ? なに。もし賊めが護衛を突破してきても、私が斬って捨ててくれる。私が強いのは、知っているだろう?」  初老の男性が杖を持ち上げ、茶目っ気たっぷりにウインクする。恐怖を取り除く効果があったのか、奥方は安心したようにかすかに笑う。  そんなやり取りに、海の民の男が胸やけを起こしたように青い顔をしていた。  ほどなくして、徐々に争う声や音が聞こえなくなってくる。 「あなた」 「ああ。終わったようだな。護衛がすべて片付けくれたようだ。しょせんは賊。鍛えられた彼らには敵うまい」  言いながら、片手ですだれを持ち上げる。  外では倒れた賊が、 「お逃げ下さい、お客様! 我らでは――っ」  これは、係のヒトの声ではないか?  車内の全員が目を見開く。  一拍置き、絹を裂くような悲鳴が上がり、初老の男性は戸を蹴り開けた。 「何事だっ」  怒鳴りながら外に出ると、護衛の者たちが全員、地に伏していた。 「なっ」  初老の男性は愕然とする。  護衛たちが勝っていたのではなく、負けていたという目の前の事実に。 「危ない!」  ニケが初老の男性を車内に引き戻そうと手を伸ばすが、遅かった。

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