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第45話 生き延びた者たち

 武器を抜いた山賊が一斉に襲い掛かる。 「くたばれ! 蛇野郎!」  その中でも一足先に蛇男の間合いに入ったのは、山賊の斬りこみ隊長。自前の熊爪(ベアクロー)を振り上げる。熊の獣人。護衛のほとんどを片付けたのはこの獣人だった。  可愛らしい熊耳のついた頭巾を被り、突っ立っている蛇男の顔面を狙う。 (俺より顔の良い男は殺すっ)  いつもの決意を胸に、熊の獣人は唇を引き締める。  けっして蛇男もその、美男子ではないが、自分の顔に自信のないクマ男にはそう見えたのだ。  こちらを見もしない蛇男。だが斬り込み隊長は油断しない。的確に顔面を狙い瞬きした瞬間、蛇男の姿が消えた。  斬り込み隊長に続けと言わんばかりだった山賊たちも、ぴたりと足を止める。  呆けたように周囲を見回す。 「え?」 「あ、あれ?」 (消え……た?)  瞼を下ろし、上げた時には忽然といなくなっていた。結構存在感のある男がいきなり消え失せたことで、山賊たちは取り乱す。  一瞬の困惑。その足元を、一陣の風が吹き抜ける。 「あっ。この野郎――」  気づいたのは誰だったか。  山賊どもの足元をするりと駆け抜け、リーダーの男へと迫る。 (低いっ)  蛇乳族の走りは、地を這っているかのように。そのせいで消えたように見えたのだ。  毒液滴る牙が迫るも、山賊は落ち着いていた。 「だが――遅い!」  蛇乳族は決して足の速い種族ではなく、冷静に対処すれば恐れる相手ではない。  盗品の両刃剣を、地面に突き立てるように振り下ろす。 「!」  それは的確に、蛇男の脳天を貫いていた。 「よっし! さすが頭目」 「ざまあねえな!」  喝采を上げる山賊たち。中には口笛を吹いて讃えている者もいる。 (そんな!)  あの蛇乳族がなんとかしてくれそう……と希望を抱いていたニケは愕然とした。そう。動体視力に優れた赤犬族ですら、脳天を貫かれたように見えたのだ。  だが、実際は――急な速度上昇に、残像が見えただけだった。  突き刺された剣を登り、蛇が両腕をつたってくるような動きで、山賊の首筋へ狙いを定める。首にある、太い血管。  そして、蛇男の顎(あご)が開かれる。  かぷっ。 「――へ?」  気づいた時には、噛みつかれていた。 「……? ……、……ッ?」  両腕で抱きしめられ、たっぷりと毒液を注ぎこまれる。  がくがくと身体が痙攣し、手から両刃剣が落ちる。ぐるりと眼球が裏返った。なんという速効性。 「こいつ!」  時が止まる中、我に返ったのは熊の獣人だった。別に頭目を助けようと思ったわけではない。美男子は殺す。それだけだ! 「背中ががら空きじゃあああっ!」  その叫びで、他の山賊たちも正気を取り戻す。その全てが蛇男に向かう。 「うおおおおお!」 「あいつを殺せええ」  雨が降る。  山賊たちの頭上のみに、雨が降る。 「あ?」 「へ?」  トスットストストス。  その雨に「刺さる」と例外なく、ばたばたと倒れていく。  支えを失い、山賊の頭目も地に伏せる。 「……お前の針は便利だな」  口元を拭い、蛇の男は背後を振り返る。  山賊の一人を椅子にして、腰掛けている三つ編みの男。握り締められた指の隙間から、髪の毛のように細い針が。  キミカゲが使った物より細いそれからは、透明な液が滴っていた。  毒針、である。山賊たちがハリネズミと化している。命が助かったとしても、社会復帰は難しいだろうと思わせるほどの、容赦のなさ。  一人で針を雨のように撒くなどどういう訓練をしたのか。だがそれでも、毒針使いの男はいかにも自信の無い表情で目を逸らす。 「殺していい相手というのは、楽でいいですね……」 「お前は怖いなぁ」  ケラケラと笑う蛇乳族。 「……」  山賊どもが無力化されたのを確認すると、ニケは奥さんの腕の中から飛び出す。 「あっ」 「おい。起きろ、フリー!」  フリーの縄を引き千切り、べしべしと顔を叩く。  それを見て、奥さんも旦那のもとへ駆ける。 「あなた!」 「……これは」 「は、早く、治安維持部隊を!」  無事だった三号車の客が怪我人の手当てをし始める。  ここから紅葉街まで、牛車の足で一日の距離。今から走っても、到底間に合わないだろう。それに、別の山賊にかち合うリスクもある。下手に助けを呼びに行けなかった。 「ど、どうすれば!」 「とにかく! 助かりそうな者だけでも、手当てするんだ! 助けるんだ」  指示を飛ばすもの。荷物から救急箱を探すもの。何をすればいいか分からず、おろおろするもの。 「おやすみ~」  蛇乳族の男は手当てを手伝うでもなく、牛車に戻るととぐろを巻くように身を丸め、すかーっと寝てしまう。 「……兄貴」  三つ編みの男は困ったような顔で怪我人と兄貴を交互に見るが、結局彼も車の中へ引っ込んでいった。  ――どうしてこんなことに。  ニケは途方に暮れていた。いや、それは他のヒトも同じだろう。  ニケが持ってきていたキミカゲ印の薬は活躍したが、残念ながら助からなかった者たちもいる。身内や友人の亡骸を前に、泣き崩れている者たち。  起き上がってこられても困るので、怪我をしていない者たちで山賊を川にでも捨てようという話になったが、毒針が刺さっているので迂闊に触れない。そのため、山賊は放置するしかなかった。  きっちり薬を一人分確保し、フリーの手当てをしてやったが彼はまだ目を覚まさない。弱いこやつのことだ。死んでなかっただけ良しとすべきか。  膝を抱えてフリーの隣で蹲る。  助かった者たちも怪我が酷く、すぐには動けない。包帯に血を滲ませ、ぐったりと車や樹木にもたれている。  紅葉街へ戻れない。首都へと続く道は牛車を止めるために山賊が置いた岩や樹木が壁となっており、封鎖されている。誰かが通りがかるのを待つしかなかった。 (やはり幸運を使い切ってしまったせいか……?)  それと今月の厄日がダブルブッキングしたような出来事。  だったらこれは、ニケのせいなのだろうか。  力なく天を見上げる。  本物の雨まで降ってきた。 「……風邪を引いてしまうな」  車の中に運んでやりたいが、車の中は動けない怪我人で満杯だ。  三号車は蛇の兄ちゃんたちがいるし。 (毒使いとか、近寄れん!)  もうキミカゲの薬は使い切ってしまったのだ。毒なんて喰らえばお終いである。小雨とはいえひとまず、フリーを木の下に移動させる。  じっと、フリーの青い顔を眺める。 「……フリー」  見ていても起きないようなので、せめて寒くないようくっついておいてやろう。 (ふんっ。感謝しろよ)  ニケも横になり、むにっと頬を押しつける。  寂しくなり、むにむにとフリーの腕に顔ごと押しつけていると、誰かが木の下にやってきた。  目を向ける。誰かと思えば、同じ牛車に乗っていた耳がヒレの形をした海の民の男性だった。上半身裸で、胸元が包帯でぐるぐる巻きになっている。  ずり、ずり、と身体を引きずってくる。  ニケはむくりと起き上がる。 「……っ」  たしか彼は、背中をざっくりと斬られていたはずだ。現に、後ろの髪の毛の一部が、斜めに切断されている。 「大丈夫ですか? よく動けますね。動かない方が良いですよ」  隣に座った男に声をかける。血のにおいがする。本当はもっと包帯できつく巻くべきなのだろうが、包帯も数が限られているため、何重にも巻いてやることが出来なかった。  海の民の男性は応えずに懐に手を突っ込むと、小さな包みを取り出す。 「はいこれ。非常食の干し杏です。食べなさい」  と言って、ニケの手のひらに一粒乗せる。  傷が痛むのか不機嫌そうに男ももぐもぐと食べだす。 「いいんですか?」 「……」  男性は何も言わない。だが、フリーが気絶している今、誰かが隣にいてくれるというのはありがたかった。  スンスンとにおいを嗅ぎ、杏をぽいっと口に放り込む。噛むと、酸っぱくてほのかに甘くて、美味しい。唾液がたくさん出てくる。 「おいひいです」 「もうひとつ食べなさい」  またもや手のひらに、杏を乗せてくる。  ニケは男を見上げる。 「……なんで優しくしてくれるんですか?」  このヒトにとって、ニケなどいい思い出がない相手だろう。  海の民はぼうっと空を眺める。 「あの蛇共を除けば、怪我をしていない男子はお坊ちゃんだけだ。……食べて体力をつけて、もしもの時はひとり逃げなさい」 「え?」  そういうと、海の民の男性は瞼を閉じた。手にしていた包みが落ち、干し杏が散らばる。 「ちょ!」  ニケは慌てて呼吸を確認する。息はあった。海の民は回復が速いと聞くが、びっくりするではないか。 (ほっ……)  ゆっくりと、フリーの隣に戻る。 「……」  怪我をしていない男子なら、三号車の乗客もいるのに。きっとニケが子どもだから、気にかけてくれたのだろう。旅行客の中で、子どもはニケひとりだった。  強くなる雨が、杏を濡らす。勿体ないのですべて拾い集め、ちまちまと齧っていく。 (フリーに落ちたもの食うなと言ったのに、僕が……。まあいいか)  起きたらフリーも食べるだろうし、残しておいてやろう。三つほど食べたところで包みも拝借し、杏を仕舞っておく。  盗賊が使っていた馬で街まで戻ろうかと考えたが、一頭も残っていなかった。蛇乳族に怯んでしまったか。まあ、毒蛇がいたらニケでも逃げる。 (フリー。寒くないかな?)  布団代わりに彼の胸元に乗っかると、ニケも目を閉じた。

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