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第一章 幼き日①

――十二年前。  新暦三十二年五月六日。午後五時半頃。  バルヴィア山が三十二年ぶりに火を吹いた。  バルヴィア山は、夕暮れ時の淡い黄と紫の空を黒煙で真っ黒に汚し、やがて陽が落ちると夜空を真っ赤に焼いた。  マティアスはその夜、二階の寝室から母と二人、遠くにそびえるバルヴィア山を眺めていた。母の周りには光の妖精たちが不安そうに飛び回わっていたのを覚えている。マティアスの肩くらいまで伸びた金の髪にも隠れたり絡みついたりしていた。  当時マティアスは五歳。  母と一緒にカノラと言う小さな村に住んでいた。  母セラフィーナは王女であるにもかかわらず、田舎領主の青年と恋に落ち、駆け落ち同然でカノラに嫁いで来た。しかしその青年は息子マティアスが生まれてすぐにこの世を去り、以来伯父夫婦の家に世話になっていた。 「母さま、何が起こってるの?」  マティアスは不安な顔で母を見た。 「大丈夫よ、マティアス。ここは安全だから」  そう言って母は抱き締めてくれた。  恐怖心は確かにあった。しかしマティアスはこの非日常に少しワクワクしていたように思う。母に守られている安心感。その安全な領域の合間から赤い空を見ていた。  そのまま母の腕の中で眠ってしまったマティアスが次に起きた時、辺りはもう明るくなっていた。   そして、母はこの国を守りこの世を去ったのだと聞かされた。  周囲の人々は皆泣きながら、母セラフィーナは英雄だ聖女だと褒め讃えた。しかしマティアスは何か頭に霧がかかったかのようにぼんやりとしており、母の死を嘆き悲しむことは無かった。  周囲の人々はマティアスが涙を流せないほどショックを受けているのだと思い、その幼い少年を憐れんだ。  マティアスは母が死んだとは信じられなかった。まだどこかで生きているような、ふらっと帰ってくるような気がしてならなかった。  それから数日経ったある日、王城から遣いがやってきた。マティアスを城へ迎えたいと言ってきたのだ。母セラフィーナと共に叔父で第一王位継承者だったクラウス王子も殉死してしまった為、現国王の血を引く者がマティアスだけになってしまったからだ。 「ダメよ! マティアスはうちの子だって、お父様言ってたじゃない!」  二つ歳上の従姉ロッタは泣きながらマティアスの城行きを止めた。 「そうだよ! マティアスはうちの子だって思ってる!」  伯父はそうロッタを諭しつつ、「ああマティアス」と言ってマティアスを抱き寄せた。 「私達家族は皆君を愛してる。でも君はこの国の王子で、国王は君の実のおじい様だ。私達が淋しいからと君を独占できないんだ……」  ロッタは「わあぁぁん」と泣き伯母に縋りつき、伯母も涙を流していた。  この家族が心底自分と母を愛し大事にしてくれた事はよくわかっていたし、王様に逆らえない伯父の苦しみも五歳ながら理解できた。 「おじさん、僕、おじい様の所に行きます」  マティアスはそう決意を口にした。 「ああ、マティアス! きっとおじい様も君を愛してくださる。あのセラフィーナ様のお父上なのだから……」  伯父はそう言って涙を流し、マティアスを強く抱き締めてくれた。

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