26 / 166

第一章 幼き日⑤

「どっか痛い所無いか?」 「手、痛い」  マティアスは壁で擦り剥いた手のひらをその男の前にズイッと出した。 「あー、ちょっと擦り剥いてるな。すぐそこに井戸があったから洗っておこうか」  男に促されてマティアスは一緒に井戸まで歩いた。 「俺はウィルバートだ。ウィルでいいよ。お前は?」 「マティアス」 「マティアスは一人で遊んでたのか?」  ウィルバートはマティアスが壁に登って遊んでたと思っているようだった。マティアスは迷いながらも頷く。一人であることには違いない。 「お母さんは?」 「母さまはね、死んじゃったって」  ウィルバートは一瞬固まったが「そうか」と小さく呟いた。マティアスはなんとなくこの男なら自分の話を真摯(しんし)に聞いてくれるような気がした。 「あのね、くろぎりのやくさいで、死んじゃったって言われた。だからおじい様の所に来たけど、ここ、すっごいつまんない。遊んでくれるひと、いないし」 「そうか……。マティアスは何歳なんだ?」 「五歳だよ。ウィルは?」 「俺はもうすぐ十三だ」  ウィルバートはその時まだ少年だったが、マティアスは遥かに大人だと感じた。  背はマティアスよりずっと高く、カノラ村の伯父よりは細いが、先程抱き留められていた感触は安心感があった。服装は簡素なシャツとズボンで斜め掛けの布袋を下げた素朴な田舎の少年だ。  目的の井戸に着いてウィルバートが水を汲んでくれた。 「はい、じゃ手出してー」  マティアスが手のひらを差し出すと、ウィルバートが桶を傾げて水をかける。 「ピリピリするーっ」 「おー、よく洗え」  痛みに耐え手を洗うと、ウィルバートはズボンのポケットから布巾を出し、マティアスの手を優しく拭いた。自分の手を包む大きな手にマティアスは胸の奥が温かくなるのを感じた。 「家族は、おじい様だけなのか?」 「んー、いとこ? いとこのお兄さんがいるけど、すごくおっきいし、僕とは遊んてくれる気はないみたい。あ、ウィルとね、同じくらいだよ」  マティアスはウィルバートの耳元に口を近づける囁いた。 「だからね、僕、カノラに帰ろうと思うんだ」 「カノラってカノラ村か?」  ウィルバートがそう聞いてきたのでマティアスは「そうだよ」と答えた。 「カノラにはね、おじさんとおばさんとロッタがいるんだ。友達もたーくさんいるし。みんなは死んだって言うけど……母さまももう帰ってるんじゃないかと思うんだ」  ウィルバートは「そうか……」と小さく相槌を打ち、マティアスの頭を撫でながら話を聞いてくれた。

ともだちにシェアしよう!