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第一章 赤紫の炎Ⅱ②

「ヒトの記憶と言うのはとても複雑じゃ。綺麗に層になっているわけじゃない。複雑に絡み合い入り組んでいる。その記憶を同じヒトの仔が弄るのだ。記憶を深く抉るとどうなると思う?」 「ど、どうって……」  マティアスは困惑した。動揺して瞳が揺れる。 「思い出どころか、ヒトとしての、生きる物としての行動の基礎まで忘れてしまう。物を食うとか、危険から逃げるとか、生きていく上での基本を忘れれば、大きな赤子も同然じゃ。そんな状態になっているかもしれん者を、お前のジジイ達はフォルシュランド付近の森に捨てて来ようとしておるぞ」 「そんな……!」  マティアスはウィルバートの言葉を思い出した。法廷で彼は『貴方を忘れて屍となって這いずり回るなんて嫌だ』と言っていた。今まさにその状態になろうとしているのか。 「わ、私があの刑を選んだからっ! ウィルは嫌だって言ってたのに……!」  マティアスの目から再び涙が溢れ出た。死ぬよりマシだと思っていた。でももしかしたら死んだほうがマシな刑を与えてしまったのかもしれない。 「わしが、あの男の命を守ってやろうか?」  魔物が笑いながら赤い目でマティアスを覗き込んできた。宝石を嵌めたような吸い込まれそうなほど美しい瞳に見えた。 「で、できるのか……?」 ――魔物の誘いに乗ってはいけない。  と、頭の奥が警告する。しかしマティアスはもうこの提案にすがるしか無いと思った。 「命を守るとなると、単なる悪戯(いたずら)とはわけが違う。わしにも力が足りない。だから契約が必要じゃ」  魔物はニコッと笑いマティアスに言ってきた。予想通りの要求だった。 「対価は? 私の腕か? 脚か?」  なんでもくれてやろうと思った。  それでウィルバートが助かるならば迷わず差し出せる。 「そうじゃの。その緑の目玉一つなら五年は守ってやれるかのぉ」  ニヤニヤしながら聞く魔物にマティアスは迷わず答えた。 「わかった。目玉だな」

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