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第二章 フォルシュランド②
カイは五年前からここアールグレーン家が経営するテーラーで働いている。働き始めは単なる下男で、荷物運びや掃除などをさせてもらっていた。
アールグレーン家には五人の兄妹がいた。
現アールグレン家当主は長男アルトで、ヨエルは次男で現在二十六歳。短い焦げ茶の髪に中肉中背の平凡な容姿ながら、商人魂は長男アルト以上だ。
そしてニーナは一番末の娘。お転婆で好奇心旺盛。兄ヨエルとよく似た性格だ。
ヨエルは下男のカイをその見目の良さから顧客訪問時に荷物持ちとして連れ歩くようになり、カイはヨエルを間近で見るうちにどんどん仕事を覚えていった。
ヨエルが試しにカイに服のデザインをやらせてみると、カイが作った服はあっという間に貴族や商人達の間で人気となり、アールグレーン家を大いに潤す事になった。
この時からヨエルはカイを自身と対等な立場の右腕として扱っている。
一年程前、ヨエルはここフォルシュランドを出て国外に店を出したいと言い始めた。アールグレーン本家はアルトが既に継いでいるし、自立し己の力を試したいと考えた為だ。
ちょうど数年前からアルヴァンデール王国では真っ白な絹が作られるようになり、それを取り巻く産業が爆発的に発展していた。どうせなら流行の最先端で力を発揮したいとの野心から、出店先をアルヴァンデール王国の王都ナティーノに決めた。既に工房兼住居も手配済みだ。
当然ヨエルの右腕となっていたカイもついて行く事にした。稼ぎ頭となっているカイを連れていかれる事に当主であるアルトは難色を示したが、カイの才能を見出したのはヨエルだった為、強く反対は出来なかったようだ。
二人ともやる気は十分。しかし異国の地で上手く経営できると言う保証は無い。そこに嫁入り前の妹を連れて行くのは無謀と言うものだ。なぜアルトは許可したのかカイは疑問だった。
「ニーナ、その……これは君の人生に大きな影響を及ぼす事になると思うからはっきり言わせてもらうが……」
ダイニングから廊下にニーナを連れ出し、カイは声を落とし話した。
「君がまだ……その、俺を想ってくれているとしても、俺はその想いに応えるつもりはない。と言うか……前にも言ったが、結婚するつもりがないんだ」
ニーナはヨエルと同じ焦げ茶の瞳をまっすぐに向けてくる。
「一回りも歳が離れたこんなどこの馬の骨ともわからない男より、ここに残って誠実な若い紳士をアルトに見つけて貰ったほうがいい」
それは誰もが考えるごく当たり前な事だ。しかしニーナは力強い目を逸らさずに口を開いた。
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