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第三章 絶望の淵で⑤
帰り道の方が何故か早く進めた気がした。
行きと違い雲が晴れ大きな月が夜道を照らしていたせいかもしれないし、単にカイの錯覚だったのかもしれない。
馬車が老人の家に近づくと、カイは家の前に十人程の人が居ることに気付いた。
「ずいぶん集まってるな」
老人がポツリと呟いた。
「何かあったのでしょうか?」
「何って、あんた達が来たことが大事件なんだよ。こんな小さな村だ。大抵こうなる」
老人はごく当然のような口ぶりだ。
カイはマティアスのことがさらに心配になり、馬車から飛び降りると老人の家まで走った。
カイは「すみせませんっ」と声をかけつつ人垣を掛け分け、その木戸を開けた。
「ああ! おかえりなさいっ」
老婆にそう声をかけられながら部屋を見ると、藁束に布を被せて作った簡易のベッドにマティアスは寝かされ毛布が掛けられていた。
カイはマティアスに駆け寄り顔を覗き込んだ。相変わらず青白いが息をしていることを確認しホッとする。
「あんたがウィルさんかい?」
「えっ……」
男の声にカイが驚き顔をあげると、部屋には老婆以外にもう一組老夫婦が増えていた。
「さっき、少し意識が戻って、『ウィル、ウィル』って呼んでたぞ」
太った老人がそうカイに告げてきた。
「そ、そうです。俺のことです……」
カイは咄嗟に肯定した。
どの道、偽名を使うべきだと考えていたから、もうそれでいいかと思った。きっとこの先もマティアスはカイを『ウィル』と呼ぶ気がする。
その時、木戸が開き老人に連れられ魔術師が入って来た。
「おやおや、またずいぶんと悪そうだね」
魔術師はマティアスを見て笑う。
「お願いします!」
怪しげではあるが、今はもうこの魔術師にすがるしかない。カイは頭を下げた。
「なんだ? 医者ではないのか?」
「医者は帰っちまったんだが、領主様のところにこの魔術師さんがおってな」
「魔術師?! こんな田舎に?!」
老人二人が話しているのを尻目に、魔術師はマティアスに掛けられている毛布を捲った。
マティアスは濡れた服を脱がされ裸のまま藁束のベッドに寝かされていた。傷部分はカイがシャツで止血したままだ。そこはシャツの白い色が見えなくなる程に血で赤茶に染まっている。
「その布切れは取ってくれ」
「は、はい」
カイが返事をすると老婆がカイにハサミを渡し、横に座った。
「手伝うわ」
「ありがとうございます」
血で濡れ固まっている生地を老婆が持ち上げ、カイがハサミを入れ、布を取り去る。
「あぁ、可哀想に……」
マティアスの肩口付近にぽっかりと開いた穴に老婆が顔を顰めた。
布を取り去るとまた血が溢れてきた。
顔だけでなく身体も血の気が引き青白く、美しい金髪は淀んだ湖の水と血で汚れくすんでいる。それでもマティアスの胸は生きようと浅いながら呼吸をしていた。
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