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第三章 震⑨
「マティアスっ! 駄目だっ! 行くなっ!」
村人たちが見ているのにも関わらずウィルバートは掴んでいたマティアスの左手を引き寄せ、強く抱きしめてきた。
「……道は出来た。行かなくちゃ……」
ウィルバートに強く抱かれながらマティアスは声を絞り出した。
「ウィル、ごめん……ごめんね」
ウィルバートの背中に腕を回しマティアスもまたきつく抱きしめ返す。抱き合う二人をフェイはグルル……と小さく喉を鳴らし見つめていた。
「れ、レオン! それに乗って行くのか?!」
村人たちと遠巻きに見ていたハラルドが声を上げてマティアス達に近づいてきた。
「ハラルドさん、お世話になりました」
マティアスはウィルバートから身体を離しハラルドに向き合う。
「お、お前さん、一人であの山に行くのか?! だって一人でなんて無理なんだろう?!」
「一人で向かったという記述が無いだけです」
「そ、そんなのっ、無理って事だろう?!」
ハラルドは目をギョロギョロとさせ必死の形相で怒鳴ってきた。
「でも、鎮められなかったらどうなるのかもわからない。放置したらこの村にもあの黒い霧が届くかもしれないんです。私は、アルヴァンデールもこの村も守りたいんです」
「レオン!」
すると少し離れた所にいたヘルガもずんずんと近付いてきた。
「あなた、ちゃんと帰ってくるって約束なさいっ!」
「ヘルガさん……」
「私達にまた息子を失わせるつもり?! ちゃんとまた帰ってくるって誓って! それが出来ないなら行かせません!」
ヘルガはまるで小さな子供を叱る母親のように腰に手を当ててマティアスを見上げてきた。マティアスは言葉を詰まらせた。生きて帰れる保証など無い。
するとウィルバートが口を挟んだ。
「マティアス。俺も行く」
「はぁっ? 駄目だそんなの! あの毒霧の中では普通の人間は生きられない!」
「でも、俺って今不死身なんだろ?」
「それは、ヴィーの力だっ! 向かう相手はヴィーなんだ! どうなるか予想できない!」
「それはお前も同じじゃないか。一人で出来るか分からないけど奇跡に賭けて行くんだろう? だったら俺も行く。マティアス、お前一人では行かせない」
「ウィル……」
ウィルバートのその言葉は嬉しかった。たった一人で『黒霧の厄災』に向かう恐怖心も愛する人が一緒だと和らぐ。しかしウィルバートを失うのはさらに恐怖でもある。だが、ウィルバートの黒い瞳は決意を固め揺らぎそうもない。
「……わかったよ。ウィル」
マティアスはウィルバートがこれ以上引かないだろうと考え了承した。そしてヘルガとハラルドにも向かった。
「ウィルと二人で必ずここへ戻ると誓います。あの山を鎮めて、国へ戻り、この国との国交の回復に全力を尽くします」
何の保証も無い宣言だった。それでもエクルンド夫妻がそれで気持ちよく送り出されるならと思い発したその場しのぎの言葉。しかしそう宣言すると本当にやりきってここへ帰ろうと強く心に響いてきた。
ヘルガは涙ぐみ頷き、ハラルドが強い口調で言った。
「早くしてくれよ! 俺たちが死んじまう前にな!」
マティアスがここに来た時少し怖いと思っていた乱暴な口調。でも愛情がこもり温かいと今は良く分かっている。
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