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第6話

 サトウカズオの住まいは公営団地のようだった。  その駐車場に車を入れて、 「家で休んで行けば?」  という言葉を殆ど無視してずんずん歩いて電車の駅に向かう。  背後を追って来るらしいが振り向く気にもなれない。  このまま縁が切れても一向に構わない。しょせん出会い系で見つけたセフレに過ぎないのだ。  理知のようにリアルに出会って恋に落ちたのではない。  そしてリアルに浮気をされて、ふられた……。  そうか。自分は浮気をされて、ふられたのか。  会わなくなったのではなく、ふられただけ。  そうか。そうだったのか。  一年もたってからようやく心の底に着地した思いと共に、駅の自動改札口を抜ける。  階段を上る際に、改札前でサトウカズオが心配そうに見送っている姿が目の端に入ったが、逸生は強引にその視線を引き剥がした。  カロカロカロという音で目を覚ました。  妙に視界が狭いのは、目が腫れ上がっているらしい。  あの後、どうやって帰って来たか覚えていない。  ただ部屋に着くなり涙があふれた。だらだらと涙を流しながら部屋を歩き回った。  理知の物は全て処分したつもりだったが、気がつけばいくらでも残っていた。  ソファカバーもクッションカバーもファブリック類は全て理知が縫った物である。それらを剥いてはゴミ袋に詰め込んだ。会社に締めて行くネクタイはプレゼントだったし、寝間着代わりのTシャツは二人で行ったイベントで買った物。その時にくじで当たったダサいタオルも捨てる。  思い出したくないことを思い出しながらゴミ袋を大きくして行く。  歩き回る部屋の壁には今もパネルの跡が四角く残っている。押し入れを開けてそのパネルを取り出した。  何枚かのファッションショーの写真は見もしないでゴミ袋に突っ込んだ。  カロカロ犬と老人の写真だけは何故かまた押し入れに戻していた。  そして卒業制作ファッションショーの写真。ヒスイカズラのドレスを着た新婦と葉っぱのタキシードを着た逸生の姿を目の当たりにした途端に、また涙が溢れ出た。 「何であの時咲いてなかったんだよ!!」  泣き喚く。  パネルにぱたぱた涙を降り注ぎながら嗚咽する。  もしあの時ヒスイカズラが咲いていたなら浮気なんかされなかった。  あんな最低な別れ方はしなかった。  何の根拠もなくそう思い、 「何で一緒に見ないで……何でサトウカズオとなんだよ⁉」  と、拳を振り上げパネルに叩きつけようとするが、出来ない。  パネルを抱き締めまたひとしきり泣く。  そしてようやくゴミ袋に突っ込むと一階のゴミ捨て場まで持って行った。  一人ベッドで裸の枕を抱いて泣き寝入りした。夜中に目を覚ましたが起きる気にもなれずに寝そべっているとまた眠ったらしい。  人間は一体どれだけ眠れるものなのか。  まるでつい昨日失恋したかのようである。もう一年もたっているのに。  理知と会わなくなってから、いや別れてから、逸生は一度も泣いたりしなかった。  一人の寂しさはあったが悲しさも感じなかったのだ。ただ淡々と日常生活を続けていた。その点、経理部の仕事はそこそこ単調で心乱されることもなく、ありがたかった。  今や逸生は犬の散歩のカロカロ音にさえ涙を誘われる有様である。布団を被ってまた寝ようとした矢先、窓下の駐車場でクラクションが鳴った。 「ちよっと! アパートの専用駐車場ですよ! 停めないでください!」  いつも地声が大きい一階に住んでいる中年女性である。 「すいません」と謝る声に聞き覚えがあり、のろのろ起き直り窓から下を眺めると、ブルーメタリックの車の窓からサトウカズオが顔を出していた。駐車しようとしたところを注意されているらしい。 「あっちにコインパーキングがあるから……」  などという声を聞きながら逸生はまたベッドに戻った。

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