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第7話
しばらくしてから玄関チャイムが鳴った。駐車場に車を停めてやって来たのだろう。
何度かチャイムが鳴るのを無視しているとスマホの電話も鳴った。
仕方なく玄関ドアを開けるなり部屋に入って来たのは焼きたてパンの香りだった。
「おいしいパン屋があるから……よかったらリチさんと一緒に食べようかと思って」
サトウカズオはがさがさ鳴るレジ袋を差し出している。
逸生の声より先に腹がぐううと答えていた。考えたら昨日はあの限定ランチを少し食べただけで他には何も口にしていない。
身を引いて部屋に招き入れたのは、サトウカズオというよりも焼きたてパンの方だった。
カバーを剥かれて裸になったソファやクッションをちらりと見ただけでサトウカズオはパンの袋をテーブルに置いた。コンビニコーヒーも買って来たらしい。
「家の近所で……朝早くからやってる店なんだ。リチさんが何が好きかわからないから、いろいろ買って来た」
などと言うだけでもう話すこともなく、互いに黙ってパンを貪る。
「朝からごめんね。全然既読つかないし……ほら、温室は熱帯だから外との気温差で具合悪くなる人もいるんだ。もし一人で倒れてたらって心配になって……」
もぐもぐと口を動かす合間にサトウカズオは訥々と話す。
逸生が思いついてスマートフォンを見れば、なるほどLINEやメールが散々に届いている。それを開けることなく名前を確かめる。
サトウカズオ。佐藤和生という文字だった。
「サトウ……カズオ?」
改めて尋ねると佐藤和生は、ふっと笑った。
「大体そう読まれるよ。ふつう訂正はしないんだけど……」
逸生は思わず頷いていた。
出会い系サイトでの名前である。漢字の読み間違いなど気にする程のことではない。逸生とて本名など名乗っていなかった。
「和生と書いて、カズキと読むんだ。リチさんには、ちゃんと本当の名前で呼んで欲しかったから」
「カズキ……」
オウム返ししていた。
「ふつう読めないよね。初めての男子だったから親が張り切り過ぎたんだよ。女の子が三人も続いてさ」
「僕は逸材の逸に生きると書いて、イツキだよ。カズキのキと同じ読み方だ」
「イツキ?」
佐藤和生はパンを千切って口に運びかけていた手を止めた。
「リチじゃなかったの?」
「……戸倉逸生。本当の名前」
「じゃあ、逸生って呼んでいい?」
「…………」
黙って硬いバゲットのハムサンドを咀嚼する逸生である。
「ごめん。嫌ならリチって……」
「いや、逸生でいい。ごめん。嘘ついて」
「別に、いいよ」
二人黙々とパンを食べる。歯ごたえのあるバゲットサンドは咀嚼している間は話さないで済む。
「こっちに来ない?」
と言ったのは、ようやくバゲットを食べ終えた逸生である。
剥き出しのソファに背中を預けて座っている。テーブルを挟んだ向こう側にいる和生に隣に来るよう促したのだ。
はにかんだ笑顔を浮かべて佐藤和生は立ち上がると逸生と並んで座った。
甘いパンを頬張っては口を動かしている。その頬についているクリームを指先で拭う逸生である。
「リチって前につきあってた奴の名前」
独り言のように言って指先のクリームを舐める。
「前っていつ?」
「……一年ぐらい前」
「ふうん」
佐藤和生は頷くと残りのクリームパンを口に運んだ。そして手指に残ったクリームを、自分の頬に塗り付けた。
「ん」とその頬を逸生の前に突き出す。
うっかり笑いそうになりながら頬に唇を寄せてクリームを舐め取る。
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