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第2話 いつかの過去といつかの未来・前編

 高校2年の終わり、春休みの前のことだった。『もしかしてゲイ?』と学校で1番仲がよかった友人に聞かれた。俺は少し迷って生まれて初めてそれを否定しなかった。  どこかに認めてもらいたい、抱えてもらいたいという気持ちがあったのだろう。  友人はすんなり受け入れてくれた。だけど、たった数日であっという間に周りにバレた。問い詰めるとどうにも抱えきれずに別の友人に相談という形で話してしまったという。真実はどうあれ友人は泣きながら謝ってくれたので許すしかなかった。  別に恨んでいるとかはない。隠さなかった俺も悪いと思っている。未成熟な人間に他人の秘密を抱えさせるのは酷だったと思う。  その友人とは三年生になるとクラスが分かれた。俺もだが、友人もホッとしたと思う。廊下で合えば挨拶だけする。前のようなノリで付き合えるほど大人ではなかったが、普通を装って接することができる程度にはお互い大人だった。  どうせあと一年しかこの学校にはいないのだ。友人はもう要らないと諦めた。三年生は修学旅行もなければ学校行事も休んだってそこまで文句は言われない。特に俺は同性愛者という噂が広まってから一線引かれていたので、逆に俺がいない方がみんなだって楽なのだ。  そこそこ偏差値が高く、荒れていない事で有名な高校だった。揶揄われたり、いじめを受けるような事はなかった。ただ腫れ物扱いされているだけだ。俺にどう接していいのか分からないのだ。  これは俺から歩み寄らない性格も起因しているが、そうしたい相手でもないのにそうする必要があるものか。孤立はしていたが、ある意味他人と関わる煩わしさから解放されていっそ楽でもあった。  そんな事はもはやどうでもいいのだが、俺を辟易させたのは偏見ないからと好奇心で近づいてくる人間が思いの外、多かったことだ。  興味本位で性的な事をあっけらかんと聞いてくる男とか、俺をドラマとか漫画のように見てくる女子とか。ゲイの友達が欲しいと言って近づいてくる女もまあいた。  和田もその面倒な人間の1人に過ぎなかった。  最初の数日は。  和田とはほとんど授業が被っていて、毎日顔を合わせる羽目になった。夏期講習も5日目だったが、和田は昼休みを挟むと毎回飯に誘ってくる。  はっきり金がないから行きたくないと断ったのに、奢ってあげると言われもう迷惑料としてもらってやるという気持ちで付き合うことにした。  店を開拓するのも面倒で、俺たちは最初に行ったカフェの常連になりつつあった。 「ねえ鳥羽ちゃんは彼氏いるの?」  和田はチーズケーキを食べながら尋ねてきた。食事に甘いものを摂る習性のない俺は若干胸焼けがした。空きっ腹に甘いものを入れて気持ち悪くならないのだろうか。  昨日は辛そうなアラビアータを食べていたが今日は正反対だ。和田は甘いものも辛いものもなんでも食べるらしい。それでいて美味しいと口にしたことはなかった。食えるならなんでもいいやという感じだった。 「どうでもよくね?」  俺は海老のクリームパスタを食べながら答えた。最初は遠慮して安いおやつのようなパンを選ぼうとしたが、もっといいの頼みなよと勧められて普通にランチセットを頼むようになってしまった。 「確かに」  本当にどうでもよかったのだろう。和田はフォークでケーキをつつきながら相変わらず視線はスマホに落としていた。  和田は俺に絡んでくる割にいつもスマホばかり見ている。どうでも良いなら聞いてこないで欲しい。 「じゃあ鳥羽くんってどっち?男役?女役?」  こいつにはデリカシーというものがないのだろうか。 「言う必要ある?」 「確かに」  和田は一緒にいる時こういう身のない質問をしてくる。会話が途切れないようにとか、そういう気遣いではない事だけはわかる。俺に興味があるわけではない事も。 「っていうか男とやった事あるんだっけ」  その質問は初日以来、2回目だった。和田の口元が僅かに意地悪そうに笑うのを、見た。 「和田は?」 「ん?」 「男とやった事あるの」  俺は性的な事を聞いてくる奴には同等の質問を返していた。大体それで面倒な奴と認定されて散っていく。 「ないよ?女の子が好きだもん。あ、ごめん何か勘違いさせた?」  しかし和田はあっけらかんと答えた。俺の質問の意図などまるで気づいてないようだった。 「してないよ。じゃあ、今まで何人くらいの女とやった?」 「えー分からん。そういや数えた事ないな。数えてたの中学くらいまでかも」  和田はうーんと過去を回想するように虚空を見上げた。 「お前クズだな」  俺が冷たい声で言うと、 「え?ありがと」  と嬉しそうに言った。 「けなしたんだけど」 「あはは、鳥羽くんっておもしろ」  そして彼はよく分からないタイミングで笑う。 「あのさ。一つ言っておくけど、そういう事、仲良くもないのに聞くの良くないからな。いや仲良くても失礼だから」  和田は本当に不躾な奴だったので俺も遠慮なく文句を言えた。そういう意味では付き合いやすいと言えば付き合いやすい。 「別に男同士ならこれくらいの猥談?しない?それともゲイには聞いちゃだめってマナーでもあんの?」 「ゲイとかストレートとか関係なく、仲良くもない奴にそういう事を聞くのやばいだろ」 「ゲイの反対ってストレートっていうんだ」  和田は論点とずれた返しをしてきた。そうやってのらりくらりと和田は面倒な言葉をかわしていく。後で思えばそれは和田の生き方そのものだった。 「とにかく。俺は俺に興味ないやつに好奇心で根掘り葉掘り聞かれるの嫌だ」 「え?興味あるよ。興味なきゃ聞かなくない?」  和田は急に顔を上げた。さっきまでずーーっとスマホを見ていたのに、突然、顔を上げて心外だと言わんばかりに俺の目をまっすぐに見た。  和田の大きい二重の瞳が真っ直ぐ俺を見てくる。 「興味って、」  俺は和田の目線に気圧されて視線を外す。言葉が詰まってしまった。和田の目は否定することを許さないような、肯定しか受け入れないような強さと自信が満ちている。 「そもそも、俺、鳥羽ちゃんと仲良しになったと思ってたのにひどいなー」  と今度は拗ねたような顔をしてくる。しかしなんと返したから良いか分からず黙ってしまった。少し前なら仲良くねぇよ、とか悪態をつけたはずなのに今日は出てこない。 「……」 「最初はさすがに失礼だったと思ったから今聞いたんだけど。あっ、あの日はごめんね」  そう言って和田は頬杖をついて少しだけ眉を下げて少しだけ申し訳なさそうに笑いかけてきた。今日は皮のペンダントとお揃いのチャームがついたブレスレットをしていた。  真っ白いTシャツから覗く首筋やつるりとした頬を包んでいる手の甲とそこから伸びる腕の血管が綺麗だった。  不覚にもその表情をかわいいと思ってしまった。顔が整ってるのもあるが、和田はなんだか憎めない可愛い表情をする。  分かっている。こいつは全部わざとやってる。顔も良ければ頭もいいのだ。怒らせるのも人を懐柔するのも上手いのだ。翻弄させたり振り回すのを楽しんでいる。のだろう。  俺が何も返さず黙っていると、 「あー、あちーねみーだるー」  和田は突然バタっとテーブルに突っ伏したので俺はびくっと肩を震わせてしまった。  その自由気ままな和田を見つめながら、俺が勝手に振り回されているな、と思った。和田みたいなやつとは、もう少し淡々と付き合った方がいい。俺の本能が和田と深く付き合うなと警告してくる。  テーブルに気怠げに投げ出された和田の長い腕が妙に景色から浮き彫りされたように映る。俺はなんだかその腕に触れてみたくなる。指を骨や血管に這わせてみたくなる。  ああ、ダメだ。ダメだ。ダメだ。   何が?  俺はそっと頭を振る。俺は和田のような無神経で勝手な奴は嫌いじゃないか。  俺の頭はクーラーの冷風が直撃するせいで頭痛がするほど冷えていたのに、どこかで熱を帯びていた。  

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