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第5話 機望の向こうには*
週に3回くらい和田に誘われて、和田のを抜いて帰る。時には泊まる。という事がデフォになりつつあった。そんな生活をしていたらもうお盆の時期になっていた。時折、蝉の死骸が転がっているのが目に付き始める。生き急いだ蝉を尻目に俺は和田と濃密な時間を過ごしていた。
予備校には行くには行っていたが、和田に帰ろうと言われると言われるがままにサボった。時には和田の家に泊まったまま予備校に行かない日もあった。
和田に誘われた日は家に帰ってもぼーっとしたりムラムラしてしまい集中力が続かない。
明らかに勉強時間が足りてない自覚があったのに、どうしようもなかった。夏休み明けの共通テストの模試のことは思い出すたび、とりあえず忘れるように努めた。1ヶ月くらいの遅れなら取り戻せる。全然勉強できてない奴もいるんだし。と俺は大丈夫ではないのに大丈夫と思い込む事材料を探す癖がついていた。
幸い看護師の母と介護士の姉は夜勤も多く、生活スタイルが違うのであまり会うことがなかった。俺は家に帰るたびに母と姉の気配がないとホッとした。申し訳なくて顔が合わせられない。勉強どころか家事もおざなりになっていた。
和田との蜜月は期間限定だ。夏休みが終わったら…学校が始まったら和田は予備校には来ない。そしたらもう2度と和田に声をかけられる事はないだろう。学校の中で俺に構ってくれる未来が想像できない。
だから今だけ、今だけだ。この夏が終わったら、ちゃんと綺麗に忘れるから。
だからゆるしてください。
空調の静かな音と、シーツの衣擦れの音。俺の舌や手から発する卑猥な水音。この部屋で聞く音はいつもこれだ。そして、時には開いていて今は閉まっているブラインドの窓。から漏れる光に照らされる和田。いつもの風景。いつもの音。これが俺の『いつも』になってしまった。こんな非日常な光景が俺の日常になってしまった。
「んっ、ふ」
「あっ、いい、そこもっと強く舐めて」
俺は和田に命じられるまま舌と手を動かす。どこがいいか、どうされると悦ぶかはもうだいぶ分かるようになってしまった。
「はっ、光輝、なんかどんどん上手くなってない?お金取れるよ」
和田が吐息混じりの声で軽口をたたく。
「嬉しくない」
俺は和田の性器に口をつけながらを和田を睨んだ。意地悪そうないじめっ子みたいな瞳と目が合う。
「あれ?褒め言葉だったんだけど」
和田は行為の最中、最初こそ俺の事を見ないようにしてたくせに、最近は慣れてしまったようで俺の顔を遠慮なくじろじろ見ては意地の悪い事を言ってくる時がある。その和田の言動にも腹が立つが、それより嫌気が差すのは自分に対してだった。
俺はあろうことか和田のその視線に体を熱くし、その悪意ある言葉に感じてしまうことがある。こんな奉仕をしていても俺には一切性的な応酬がないのでなおさら焦れた脳が勘違いをする。自分の中に被虐趣味があるなんて思いたくなかったが、和田のせいでどんどん自分がおかしくなっていく。浅ましいし気持ち悪い。
嫌だな。
俺は和田といると自分の嫌いなところが増えていく。
やがて和田は俺の頭を押さえつけながら果てた。一方的な行為の中で唯一和田が俺に触れてくる事があるとしたらこの時だけだ。俺はその喜びも苦味も全て飲み込む。最近ではこの行為も夏休みのドリルを1ページ終えたくらいの感慨しかない。
それでも俺が和田のなすがままになっているのは、律儀にも
「何して欲しい?」
と必ず聞いてくるところだった。性的なことはしてくれないが、和田は一応毎回お返しをしてくれた。和田はそれをログインポイントと揶揄してわらっていた。和田にとってはこんなことはゲームみたいなもんで、それでもって和田は運営側で、俺はブラック運営に課金してるバカなプレイヤーなのだろう。
馬鹿げていると理解していながら、和田は意外とノリが良くなんでもやってくれるものだから俺も馬鹿みたいに報酬を受け取った。だって、そうじゃないと割に合わないし。
手を繋いでもらったりハグしてもらったり、彼の頭を洗って乾かさせてもらったことまである。俺はそのたび、恋人がいたらこんな感じなんだろうなと妄想に浸ったり、和田とはこれ以上の先がない現実に絶望したりしていた。
多分度を超えた希望を持った瞬間和田には捨てられる。それくらい俺たちの関係はあやふやで危うい。
「思いついたら言って」
和田はベッドに寝っ転がると俺に背中を向けてスマホを見出した。和田は白い綿でできた薄手のTシャツとボクサーパンツ1枚だった。家で寛いでる時は大体この格好だ。時にはパンイチで過ごしている。
俺はベッドに腰かけると、和田の投げ出された脚を装飾するアキレス腱を見つめた。和田は血管や筋がどこも綺麗に浮き出ている。肌は全身すべっとしていた。体毛も薄い。体のラインはほっそりとしているが、ガリガリではない。少年から大人に変わりつつある体をしている。それでいて腹筋はうっすらと浮き出ていてそのアンバランスさが好きだった。
俺は和田の裸を何度も見たが、ちゃんと触れたことはない。和田の性器には手も口もつけたが、そこ以外に素肌に触れた事はほとんどなかった。
本当はその腹筋の硬さを確かめたい。胸に舌を這わせたい。背中に腕を回して撫でたり引っ掻いたりしたい。
それからキスがしたい。キスをしてみたい。キスしてセックスして普通のカップルが普通にやってることをやってみたい。
和田は抱かせてくれなさそうだから抱かれる側でいい。和田と舌を絡めてみたい。和田に触れられたい。色んなところを。キスをして手を繋いで性器を繋げて全てを繋げてみたい。同じように同じだけ気持ちよくなってみたい。そしたらどれだけ満ち足りるのだろうか。想像するだけで恍惚としてしまう。
だけど妄想が甘ければ甘いほど現実は暗くて冷たかった。
「キス……」
俺は思わず口から漏れた言葉にハッとする。そんな事望んだ瞬間に切られる。
「ん?」
和田が僅かに怪訝な声を出した。だけど、聞こえないふりをしてくれたらしい。これはイエローカードだ。次にそんな事言ったら退場だ。
「キスマークつけさせて。どこでも良いから」
かなりギリギリのラインだが、どうだろう。俺は既に断られた時の言葉を考えていた。
「いいよ。光輝のつけたいとこにつけていいよ」
俺は驚いて一瞬固まってしまった。
「…首でも?」
「いいよー」
和田はいつものようにどうでも良さそうに言った。実際どうでも良いのだろう。俺は和田の気が変わらないうちにいそいそと和田の横に移動した。寝っ転がる和田の首元に唇を寄せる。本当は抱きしめながらやりたかったが、我慢した。首元から和田のいい匂いがする。
「くすぐった!」
和田は無邪気に笑いながら避けようとするのでなかなか長い間口をつけてられない。なんとか首に唇を押し付けてもにょもにょと動かしてみたが、やり方が違うのか思うように残らない。
「ついた?」
「上手くつかない」
俺は諦めて顔を離そうとした。
「しょうがないな、実演」
「あっ」
和田は俺の後頭部をホールドするように掴むと、今度は和田の方から唇をつけてきた。その瞬間、全身に電流が走ったような感覚がした。
「んっ、ぁ」
首を吸われてる間、俺は声を我慢することができなかった。時折舌がぬるりと肌を滑ると腰が抜けるほどぞくりとした。
「はぁ…はぁ…」
15秒ほどの出来事だったと思うが俺は大量に汗をかいて、心臓をバクバクさせていた。
「感じちゃった?」
「……」
その通りだ。感じていた。俺の性器は心臓のように血を輸送して硬くなっていた。初めての和田からの物理的な快感は刺激が強くて身動きが取れない。
「光輝って首感じやすいんだな」
和田はそう言うと再び背中を向けてスマホを見出した。
「うるせぇよ」
俺は脈打つ体に抗うように帰り支度を始めた。
和田は俺にこんなことさせて、俺にまでこんな事して、恋人とは言えずとも友達とも言い難い濃い時間を共有しているのに俺を少しも好きになったりしてないのだろうか?
本当は俺の事が好きで、でも認めたくないだけじゃないのか?少なくとも俺を嫌ってはないはずだ。
俺は電車の中で、暮れていく空を眺めながら和田と自分の関係性ついて考える。
夏休みが終わったらこの遊びは終わるだろう。
俺はそれを確信していたし、自分に言い聞かせていた。必要以上に自分が傷つかないように。
だけど、もしも終わらなかったら?昼休みとか放課後も一緒に過ごせたら?俺が余計な事しなければ卒業まではこっそり一緒に過ごせるかもしれない。
卒業後だって高望みしなければこういう恋人ごっこ続けられるかもしれない。
引き伸ばせるだけ引き伸ばしてして終わらないように頑張れば、あるいは。
でもその先は?その先に何がある?俺とずっと一緒にいてくれるのだろうか。
あいつが結婚したら?子供が生まれたら?医者になったら?
俺はこんな事望んでいるのだろうか。
「……」
考えないようにしないと。何も考えるな。考えたって無意味だ。何もない。和田との未来なんかないんだ。
俺の家は古いマンションの一室だ。昭和に建てられたマンションで3LDKではあるが狭い。オートロックでもないし管理人も常駐していない。住んでいるのはおじいちゃんおばあちゃんばかりだ。和田のマンションとは全然違った。
鍵を開けると家の電気が珍しく付いていた。
「あ、光輝おかえり。ご飯ありがとね」
母親が俺が今朝用意しておいた晩御飯を食べていた。
「え、あ、カレーばっかりでごめん」
俺はなんとなく母の顔が見れずにパッと視線を逸らした。
「何言ってるの。すごく助かってる。ありがとう。あ、光輝も食べる?お皿出そうか?」
「いいよ。食べてきちゃった。友達の家がいつも用意してあって…それより家のこと全然できてなくてごめん」
俺は和田の家に入り浸るようになってから、洗濯も溜まりがちになり、ゴミ捨てを怠り、掃除機をかける時間が減った。買い物に行かないから献立のレパートリーも減った。学校に行っている時より家が荒れている気がする。
「受験生なんだから仕方ないでしょ。それよりあなたに任せっぱなしにしててごめんなさいね。家事なんて手抜いていいんだからね」
「うん……」
母はさして気にしていないようだったが、家事どころか勉強さえおろそかになっている俺に優しい言葉が突き刺さる。
「お母さん明日から5日間お盆休みだから。家の事できるから。あ、そうだ明日、お父さんのお墓参り行きたいんだけど行ける?」
「何時から?」
「暑いから朝から行っちゃおうと思って。明日お姉ちゃんも行けるみたいだから。そのあとおばあちゃんち寄って夜は外で食事でもしようって言ってるから後から来てもいいよ」
「ごめん、明日夜まで予備校あるし午前は友達と勉強する約束してて…」
嘘だった。別に行こうと思えば行けた。予備校は午後から夕方までしかなかったし、午前中に予定などなかった。でも明日も和田に誘われるなら、そっちを優先したかった。
「そっか。まあ、じゃあ空いてたらまたね」
「じゃあ俺風呂入ってくる。おやすみ」
俺は逃げるように母の前から去った。
「俺、何してんだろう」
机に座ってみたものの、悶々としてしまい何も頭に入ってこない。夕食を食べてないから腹が減った。絹代の飯をもらう事もあったが、今日は夕食前に帰ってきてしまった。母と同じ食卓に座る勇気はなかった。
親によく分からない嘘をついて、してもいない約束を優先させている。これは父に手を合わせるより大事なことか?
でも俺にとっては大切なことだった。和田を好きだから。好きだから、これくらい見逃されたっていいじゃないか。今まで俺は真面目に生きてきた。これくらい、これくらいなら。
和田
和田
和田
無性にあの部屋に行きたい。和田しかいない、和田しかないあの空間に居たい。
どうして和田は俺のものにならないのに、俺は和田に全てを差し出してるんだろう。
小さな鏡を取り出して首元を映す。和田から付けられたキスマークが痣みたいに浮かんでる。赤く鬱血したそれは思ったよりグロテスクでキスマークというより傷跡みたいだった。
俺はそっとそこに触れた。思わず息が漏れる。自分の体に好きな男が触れた跡が残っている。
目を瞑ってそこに触れていると数時間前の記憶が感覚とともに蘇ってくる。和田が俺の首にキスをした。くすぐったくてびっくりするほど気持ちが良かった。
「あ、」
俺は自分の性器に手を伸ばす。
「あ、はっ、はぁ、ひかる……」
俺は声を押し殺して妄想の中で和田を呼んだ。妄想の中の和田は少しだけ優しい。意地の悪い事を言いながら俺の色んな場所にキスをしてくれる。
「あっ」
和田に首を吸われながら、性器を扱かれる想像をして俺はティッシュの中に吐精した。
脱力してすぐ後ろのベッドに倒れ込む。服を直す気力もない。俺はこんなどうしようもない人間だっただろうか。
ごめんなさい、恥ずかしい、辛い、苦しい、寂しい、怖い、ごめん、ごめん、
好き。
俺は和田が好きだ。認めてしまったら、もう止められなかった。
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