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⑥ アルが帰ってきません

 初めて会ったあの青年と、少しだけ話をすると言っていたアルが帰ってこない。  この時間になっても戻らないなんておかしいと、猫の耳をあちこちに向け周囲の音を拾い情報収集をしようとした。けれど、いつまでたってもアルの気配は感じない。  最後に言葉をかわしたカフェへ向かってみるが、明かりは完全に消えていた。あの時感じた不安が、更に大きくなっていく。顔見知りでもないやつと二人きりになんてしなければよかった。今更後悔したところでどうにもならないのはわかっているけれど、俺の安易な判断が間違っていたと気付き舌打ちをした。  書店の入口にも目を向けるが、シャッターは完全に閉まっていた。当たり前だ、閉店時間はとうに過ぎている。なるべく心を落ち着けようと何回か深呼吸をしたあと、ヘンリーが住居としているカフェの二階へ続く階段を、タタタッと足音もたてずに登っていった。 「にゃーん、にゃーん」  玄関ドアに向かって何回か鳴くと、しばらくして静かにドアが開き、ヘンリーが顔を出した。 「あれ? ライオネル? どうしたんだよ、こんな時間に」 「にゃあにゃあにゃあにゃあ!」    懸命に訴えるけれど、完全に猫になってしまった俺は、ヘンリーと会話が出来ない。獣人同士なら相手が完全に種族体の時でも会話は出来るが、人間とは無理だった。そうわかってはいても、居ても立ってもいられない俺は、その後もヘンリーに向かって訴え続けた。 「あー、ごめんな。今のお前の言葉がわからないんだ。……あ、そうだ。ちょっとお隣さんに頼んでみよう。ちょっと来て」  ヘンリーはそう言って手招きをすると、俺を抱き上げ腕の中に包みこんだ。視界が一気に高くなる。キョロキョロとあたりを見回していると、ヘンリーはお隣の敷地へと足を踏み入れた。 「ちょっと大きいからびっくりするかもしれないけど、怖くないから大丈夫。とっても頼りになるんだ」  俺の頭を撫でながらそう言うと、呼び鈴を鳴らした。しばらくしてドアが開き目の前に現れたのは、真っ黒い毛で全身を覆われたゴリラだった。 「こんばんは、ちょっとこの子の話を聞いてあげてほしいんだけど」  相手は完全にゴリラの姿なので人間と会話は出来ないはずなのに、大きな体のゴリラはわかったと頷いた。もしかして付き合いが長いと、ある程度は分かるようになるのだろうか? 俺はそう思いながら、ペコリと頭を下げた。ヘンリーに抱っこされているから守られてる感はあるのだけど、やはりちょっとビビってしまう。 「にゃんにゃん、にゃーん(こんばんは。ヘンリーの友人でライオネルと言います)」  少しビクビクしながらも挨拶をすると、ゴリラはゆっくりと頷いた。俺が驚かないように、ゆっくりと動いてくれているのかもしれない。  挨拶をした後に、経緯を簡単に説明し協力を願い出た。今の俺は完全に猫の姿なので、出来ることが限られてしまっているし、情報が少な過ぎてどうしていいのかお手上げ状態だった。 「ウッホ。ホッホッ。(事情は分かった。ちょっと待ってて。支度してくる)」  ゴリラはそう言うと家の中へ戻っていった。程なくして戻って来たゴリラの姿に、俺は一瞬言葉を失った。さっきまで目の前にいた真っ黒い毛で全身を覆われたゴリラではなく、無精髭を生やした長身の中年男性が立っていんだ。 「にゃっ?」  俺が驚いた声を上げると、ゴリラは大きく頷いた。 「びっくりさせちゃったかな。俺は、人間体にも種族体にも自由に変身できるんだ。……あ、俺のことはネムとでも呼んでくれ」  そう言ってニッコリと微笑む『ネムさん』は、長身でスタイルもよく顔も整っている。顎に僅かに生えている無精髭が渋さを増していて、こんなかっこいい年の取り方を俺もしたいなと思わせるような人だった。  もう一度情報を整理するため、俺はカフェで知らない青年がやってきた時からの話をした。ネムさんは完全に人間の姿になっているのに、俺の言葉もしっかりと伝わっていた。  それからヘンリーとネムさんの協力も得て、あちこち探し回ったが、見つからない。そう広い街ではないし、時間もそんなに経っていないから、遠くへは行かないはずだ。 「少し前に風の噂で、ここからは遠いとある国で、獣人が行方不明になる事件が多発していると聞いたことがある。大規模な組織が存在するらしいんだが、まさか……な」  ネムさんはそう言うと言葉をつまらせ、顎に手を置いて考え込んだ。縁起でもない言葉に、俺は言葉を失い目を見開きネムさんを見た。その誘拐犯がこの街に来ているかもしれないということなのか。しかも、狙われているのは、アル……? その考えに及んでしまった俺は、ブルッと身震いをした。 「そのカフェに来たやつが怪しいな。情報屋に連絡をしてみる。ライオネルはヘンリーの家で待ってろ。明日の朝には連絡が取れると思うんだが……」  ネムさんは俺に向かって「大丈夫だ」と言って頭を優しく撫で、自分の家へと戻っていった。  俺は言われた通りヘンリーの家に滞在させてもらうことにした。一人でいるよりはまだマシだったのだろうけど、やはり落ち着かなくて眠れない一夜を過ごした。

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