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⑧ 神様の登場です

 目の前にアルがいるのに、俺は一歩も動けずにいた。今すぐにでも助け出したいのに、男はアルを入れたキャリーを高く掲げたまま、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた。アルがどうなってもいいのかと言った男を前に、迂闊に動くことができなかった。  万事休す! ……そう思った時、レオの振りをしていた誘拐犯目掛けて、ヒュッと何かが飛んできた。その何かが男をキュルキュルっと拘束すると、アルの入っているキャリーが男の手から離れた。    あっ……! このままじゃ地面に叩きつけられる!  そう思った瞬間、アルの入ったキャリーは床直前でキュッと止まると、衝撃が加わらないように静かに着地した。  ……えっ!?  俺はその光景に目を疑った。キャリーは初めからその場にあったように馴染んでいたけれど、たしかにさっきは不自然な動きをしていた。犯人の男を拘束した縄だって、飛んできた光によって神業のように瞬時にからだ全体を縛り付けた。もちろんこの世界に魔法など存在しない。俺は理由がわからず呆然とその場に立ち尽くしてしまった。  「まったく、平和な街を乱さないでもらえるかな?」    先程まで俺のすぐ横には誰もいなかったはずなのに、突然耳元で声がしたので驚いて横をむいた。するとそこには、人間の姿になったネムさんがやれやれと呆れた様子で立っていた。 「ネムさん!? いつの間に!」  驚いている俺を見てネムさんはふっと目を細めると、いつものように俺の頭をポンポンっと撫でた。 「ライオネル。遅くなってごめん。すぐ助けに来る予定だったんだが、ちょっと手間取っちゃって」 「なんでネムさんが謝るんだ?」 「俺が、この街の守護神だから」  ……ん? 「え? 今、なんて?」 「俺は、この街の守り神」 「はぁぁぁ!?」  俺は、おそらくこの街に転生してきてから一番の驚きの声をあげた。この世界に神がいることも、こんなに気軽に話せることも、なんといってもその神がネムさんだということも。 「本来ならば、上から見守るんだけど、一度試しに降りてきたら、居心地が良くてさ。ついつい、留守にしてこっちに居座っちゃってたんだよ」  そう言いながらネムさんは楽しそうに笑う。 「そんなふざけた神様、いるのか!?」 「ふざけてないさ。この街の住民は優しくて温かくて、勤勉で頑張り屋で。……近くで応援していたくなったんだよ」  俺の問いかけにニコニコしながら答えると、ボンッとゴリラの姿に変身した。    「この姿もなかなかのお気に入りでね。……かっこいいだろう?」  ゴリラ獣人ネム……ではなく、神様がゴリラの姿のまま、くるりと回ってみせた。  訳が分からない。俺の頭の中は大混乱だ。 「あ、そうだ。アル、こっちにおいで」  急に思い出したように、キャリーに閉じ込められていたアルに向かって、ちょいっと指を振ると、キャリーが消えてアルが出てきた。そして、ぼわんと人間の姿になった。 「これで良し。……ごめんね、転生してきた時俺が不在だったから、中途半端になっちゃって。ライオネルも、本来の姿にしてやるよ」  ネムさんがもう一度ちょいっと指を振ると、一瞬だけ俺の目の前が暗闇に覆われたと思ったら、すぐさま元に戻った。──と同時に、頭の中に大量の記憶が流れ込んできた。 「え、まさか……本物なの?」 「……本物?」  あまりにも一気に記憶が蘇ってきたせいか、何がなんだかまだ整理しきれていない。目の前で驚くアルの問いかけに、俺自身も首を傾げてしまう。  でも、栗色でカールしていた俺の髪は視界の隅から消え、代わりにチラチラ見えるのは漆黒の髪だった。いつもアルが話していた憧れの漆黒の髪、それは紛れもなく本物のレオのものだった。 「俺が、レオだったんだ……」  信じられなくて呟くように言葉を吐き出した俺に、アルは目に大きな粒をためたまま無言で抱きついてきた。  ネムさん(神様と言われると変な感じがするから、ネムのままで良いそうだ)の説明によると、アルがこの世を去ったあと、事故に合いそうだった猫を助けた俺は、その衝撃で異世界転生をしたらしい。転生時期がズレたのは、神様不在のままの転生だったからなのかもしれない。 「レオもアルも、ちょうど俺が不在の時に来てさ。本来の手続きを取らずに転生しちゃったわけ。神から与えるべき力が弱いままだったから、一定の時間になると猫に戻っちゃったりしたんだね」 「じゃあ、俺が覚えていなかったのも、そのせい?」 「おそらくね。……本当に、不便をかけてしまってごめんね」  神様が頭を下げるというのは、どういう状況だろうか。明らかにおかしいだろう。それに、ずっと頼りになる隣人だったネムさんが、神様だと言われてもいまいちピンとこない。 「また詳しい話は後日するから、今日は再会を祝して、二人ゆっくりしたらどうだ?」  ネムさんの提案に、二人で顔を見合わせ同時に頷いた。 「ありがとう。そうさせてもらうよ」  心配しているヘレンとヘンリーにも元気な姿を見せたい。ネムさんとの話は後日ゆっくりするとして、今日は家に帰ることにした。

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