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環と一織 ⑤

それから、一織は試着したスーツを全部買い上げて店を出た。俺は慌てて止めようとしたけど、「先輩が選んでくれたものだから」と言って頑なに譲らない。 「いいスーツは何着あったって困らないよ」なんて、爽やかな笑顔で言われてしまったらそれ以上何も言えなくて、結局押しきられる形で購入するのを見届けたけど。 一織の親父さん、後で請求みてびっくりしなきゃいいけど……大丈夫だろうか? 以前の俺なら、多分一織と同じことをしたかもしれない。 金額も見ずに、何でもかんでも必要だからとホイホイ買ってた時も実際にあったし。 いつからだっけ? こんな風に買い物をする時に値段を気にするようになったのは。 「今度のパーティ先輩も参加してくれたらいいのに」 「あー、俺、そう言うの苦手なんだよ。それに、ウチは義母さんが俺が参加する事に対してあまりいい顔しないから」 一織から話を聞いた数日後、父さんからパーティの話が出なかったわけではない。元々興味が無いってのもあったけど、義母さんが「貴方は行かなくていいから」と強く言ってきたので、それ以上何も言えなくなったのだ。 義母さんは初めて会った時から俺の事が嫌いなようで、事ある毎に俺を目の敵にしていた。 父さんはいずれは俺に家督を継いでほしいと思っているらしいけど、義母さんはそれが気に入らないんだろう。 性格のキツイ彼女は俺も苦手だし、出来れば関わりたくない。 「そっか、じゃあ仕方かぁ」 環先輩のスーツ姿見たかったのにな。なんて、凄くがっかりした様子で言う一織に、俺は苦笑いを零す。 「俺がスーツなんて着たって、似合う訳ないだろ? 七五三にしか見えないって」 自分で言ってて凹む。ついさっき、スラリとスタイリッシュにスーツを着こなしてた一織を見たばかりだから余計に。 「そうかなぁ? そんな事ないと思うけど」 「そう言ってくれるのは一織だけだよ」 俺が肩を竦めてみせると、一織は少し考える素振りをした後、パッと顔を上げて俺の手を掴んできた。 「じゃあさ、これから俺の家に来ない? 俺のスーツ貸してあげるからさ、環先輩が着てるとこ見てみたいし」 「え? でも……」 「大丈夫、大丈夫。小さい頃はお互いの家に行き来してたじゃん。久しぶりに環先輩と話がしたいんだ。だめ?」 捨てられた子犬みたいな目で見つめられたら、嫌なんて言えるはずなんて――……。 「――悪いけど、それは出来ないな」 「え?」 不意に背後から聞こえた声に、俺と一織は驚いて振り返る。それとほぼ同時くらいに、俺の腕は誰かに強く掴まれた。

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