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 翌日から、守羽(しゅう)は校舎裏に行くのを止めた。  夏向(かなた)(かがり)のスケッチのことを言いふらすかも、と数日ビクビクして過ごしたが、何も起こらず、誰も守羽のことなど気にも留めず、静かに時間は流れていった。  その週の金曜日、美術部の部長から部室に来て欲しいとメッセージが届いて、久々に部室に顔を出した。  放課後、校舎裏に行かなくて良い言い訳ができた気がして、なんとなくほっとする。 「あ、渡貫(わたぬき)君、お疲れさま。待ってたよ。」  部室に入ると、部長に声をかけられた。 「お疲れ様です。」  守羽も小さく挨拶を返し、部長の隣に座る。  作業用机の上には、野球部の応援旗(おうえんき)のデザイン案が広げられていて、選考の真っ最中 だった。  美術部では時折、学校内でのイベントの時などにデザインを依頼されることがあり、野球部には毎年、応援旗をデザインするのが恒例になっている。  昨年の応援旗は守羽がデザインしたものが採用された。  学校のシンボルマークの鷹と去年のエースピッチャーが投球するところを重ねて描いたもので、大きな応援旗にした時に迫力のある、思った以上の良い仕上がりとなった。  見栄えのする良い出来だったので、美術部の顧問がある企業のデザインコンテストにその まま応募したところ奨励賞を受賞し、しばらく学校の正面玄関に飾られ、デザインをした守羽には企業から金一封が送られた。  企業系のコンテストだったので、学校としてはあまり良い反応を見せるわけにはいかず、 特に校内での表彰などはされなかったが、美術部員たちには大きな励みになったことは間違いなく、今年は去年の倍以上のデザイン案が提出された。  去年、デザイン画が採用された守羽は今年は選考側だ。 「今年は渡貫君の受賞のおかげで応募数、多くて迷うな。」  そう言って部長が机の上のデザイン画を眺める。 「僕のおかげじゃないです。みんな金一封狙いでしょ。」  白けた気分で守羽が返す。 「それでも立派立派。モチベーションを保つのは大事なことです。」 と顧問は満足そうだ。  顧問や部長たちと頭を寄せ合って、あれやこれやと話し合っているうちに塞いだ気持ちも いつの間にか忘れていた。  ワイワイと盛り上がって意見を交わしていると 「あの、すみません、渡貫先輩、呼んでます。」 と美術部の一年生が守羽のところにやってきた。 「え?僕?呼んでるって、誰が?」 「あの、陸上部の二年生の人・・。」 と顔を赤らめている。  守羽の顔が強張(こわば)った。 「もしかして、大井戸(おおいど)君?」  うんうん、と一年生が頷く。  盛り上がっていた空気が止まって、守羽に視線が集まる。  強張った顔のまま 「あ、あのさ、悪いんだけど、いないって言ってくれる?」 と一年生にお願いした。 「あ、え?わかりました・・。」  後輩もつられて強張った顔になり慌てて戻って行く。  すぐにガラリとドアが開く音がして 「しゅうぅ。」 と親し気に名前を呼ぶ夏向(かなた)の声がした。 「やっぱり、いるじゃん。声が聞こえてた。お邪魔しまーす。」  そう言うと、スタスタと美術部の部室に入ってくる。  美術部の部室に明らかに異質な夏向が何の躊躇(ちゅうちょ)もなく入って来て、みなあっけに取られた。 「あ、今年の野球部の応援旗?」  夏向は気にする様子もなく守羽の手元を見て聞いてくる。 「あ、あのっ、ちょっとっ。」  守羽は慌てて夏向の腕を掴むとグイグイと引っ張って部室を出た。 「ん?守羽?あ、お邪魔しましたぁ。」  夏向が美術部員に笑顔を向けている。    なんなの、こんなとこまできてっ    無神経にもほどがあるっ  部室から一番遠い廊下の端まで行くと立ち止った。 「あのさ、大井戸君、何してるのっ。こんなことして面白い?いい加減にしてよ。」  守羽は、軽く息を切らしながら言った。 「別に面白くはないけど。守羽が校舎裏に全然来ないから。いつも来てたじゃん。 俺、毎日待ってたのに。」  あんなことをしておいて、と守羽は腹が立つ。    勝手に待っていられても 「もうあそこには行かないから。」 「あー、もしかして俺のせい?」 「別に。部活、忙しいから。」 「あぁ、野球部の応援旗。今年も守羽が描くの?」 「いや、今年は。・・今年も、って?」 「去年の描いたの、守羽だろ?」  嬉しそうに夏向が笑う。 「・・そうだけど。何で知ってるの?」 「そりゃあ知ってるよ。学校の入り口の所に飾ってあったじゃん。」 「うん、まぁ。」 「俺、絵とかよくわかんないんだけど、あの旗に一目ぼれして。それでこんなすごいの描ける生徒がいるんかって思ったら、同じ一年でさ。名前見たら渡貫守羽(わたぬきしゅう)って書いてあったから。 それで守羽の名前、覚えた。」  守羽は驚きすぎて何と言っていいかわからず、黙ってしまった。 「すげぇー、めちゃくちゃカッコイイ、と思って。あんなの描いてもらえたら、俺ももっと 高く跳べるのにって、思って羨ましくって。」 「いや、あれは・・。」    野球部の応援旗は毎年の恒例ではあるが美術部内ではあまり喜ばれていない案件だ。 野球好きの美術部員がいればそれなりに力も入るのだろうが、残念ながら去年の部員にはそういった生徒はいなかった。誰もやりたがらなかったので一年生は全員、強制的に提出させられた、というのが本当のところだ。  守羽も最初はそれほど興味はなかったが普段は描かないような大きなサイズの物になるなら挑戦してみてもいいかな、と思い直して描いたものがたまたま採用された、と言うほうが 近い。  正面玄関に飾られたのはデザインコンテストで受賞したからで、それも顧問が上手くテーマに沿ったコンテストを見つけて応募してくれたからにすぎない。    どうせ野球部の奴らですら誰も見てやしない    応援の気持ちなんて少しも籠っていないものなのに    それをそんな風に見ていた人がいたなんて  守羽は急に自分が恥ずかしくなった 「それで、ずっとあれを描いた奴と話してみたくて。もっとそいつの描いた絵、見たいなぁ、って。」 「あの、あの、ちょっと待ってっ。あれは、そんないいもんじゃなくてっ。」  夏向のはにかんだような笑顔を真っすぐに見ることができず守羽はうつむいた。 「ええ?いいよ。すげー良かったよ。だから賞も取ったんだろ?」 「そうじゃなくって。大井戸君が言うみたいなもん、これっぽっちも籠ってないやつっ。 応援する気持ちとか、ぜんっぜん考えてなくって。」 「え?あぁ、気持ち・・。でも、俺、あの応援旗好きでさ、ずっと忘れらんなくて。」 「はぁ。」 「だから、俺にも応援旗、描いて欲しいんだけど。今年のインハイ用に。」  守羽は夏向の顔を見上げた。 「は?応援旗・・。大井戸君に?僕が?」 「うん。できれば、俺のには応援する気持ち?込めてくれたら嬉しいけど。」 と恥ずかしそうに言う。 「あの、それで、今までずっと僕を追いかけてきてたの?応援旗を頼むために?」 「え?あ、まぁ。」  夏向の間の抜けた返事に守羽は笑いがこみあげてきた。 「それで、病院まで付き添って?」 「あれは、だって、目の前で守羽が倒れたから。心配だし、付き添うのは当たり前って 言うか。」 「それで、スケッチブックも?僕の絵が見たかったから?」 「うん。あれはごめん。あんな風に見るつもりなかったんだけど。でも守羽の絵、どうしても見たかったのに、全然見せてくんないから、つい。」 と拗ねた子供のような言い訳をする。  守羽はとうとう笑いを堪え切れなくなってしゃがみ込むと両腕に顔を埋めた。 「え?守羽っ?どしたっ?気分悪いのか?」  夏向が驚いて膝をつき、守羽の肩に手を置いた。  守羽はフルフルと首を横に振って声を出して笑い出した。 「大井戸君ってさ、バカなの?」 「え?バッ?なんだよ急にっ。笑ってんの?」  笑いながら顔を上げる。 「だってさ、そんなの美術部に一言、頼めば良くない?普通、みんなそうしてるのに。」  笑い過ぎて涙が出てくる。 「え?まぁ、そうだけど。でもっ、それだけじゃなくって。俺、守羽と話してみたかったし、できれば友達になりたくて。もっと守羽の描く絵だって、見てみたかったから。」 「にしてもさ、まわりくど過ぎない?僕、勘違いしまっくっちゃったじゃん。」  夏向もつられて笑い出す。 「うん、なんか、俺、色々、やらかしたみたいで焦ったぁ。」  ペタンと夏向が尻をついて後ろに両手をつき座り込んだ。 「守羽、めちゃくちゃ警戒してるし。どんどん拒否られてる感じしてヤベェって思った。」 「それでもこんなとこまで追っかけて来たんだ?」 「だってさ、守羽、逃げまくるんだもん。ぜんっぜん話聞いてくんないし。もう追いかける しかないじゃん。」 「そりゃ、初めて話した日に下の名前まで知ってたら警戒するよ、普通。怖いって。」 「え?あ・・、そっか、ごめん。でも話せたのが嬉しくてつい・・。」  二人で顔を見合わせて笑う。  笑いが次々に込み上げてきて止まらなくなった。      勝手に勘違いして    勝手に傷ついて    勝手に怒って    勝手なのは全部自分のほうだった 「こっちこそごめん、勘違いして大井戸君にひどいこといっぱい言ったかも。」  守羽は笑いすぎて溢れた涙を(こぶし)で拭いながら言った。 「ううん。あー、でも良かった。やっと守羽、まともに聞いてくれた。」  そう言うと夏向は、よっ、と立ち上がって守羽に手を差し出した。  守羽もその手を握って立ち上がる。 「んじゃあ、俺、練習行く。」  夏向は軽い足音をさせて階段を駆け下りた。踊り場で立ち止り守羽を見上げる。 「あのさ。」 「ん?」 「ナツでいいよ。」 「え?」 「呼び方。苗字でなんて誰も呼ばねーから。」 「ナツ。」 「うん。嫌?」  夏向の顔が陰る。 「嫌・・じゃないけど。」 「けど?」 「かなたの方がいい。」  その言葉に雲から太陽が現れた時のような眩しい笑顔が零れる。 「んじゃ、それで。」 「うん。」 「月曜の放課後、校舎裏でまた話せる?」 「わかった。」  守羽は頷いて跳ぶように階段を下りて行く夏向を見送った。

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