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「すみません、慶様。私⋯⋯」 言葉を紡ごうとしたその時。 迷うような手つきで肩を掴まれたかと思うと、御月堂の顔が近づき、唇に触れた。 目を見開いた。 驚きの束の間、御月堂はすぐに離れたが、感触は現実だと思わせる。 「⋯⋯あの、慶様。今のは⋯⋯」 何故急にそのようなことを。彼からしたことは確かないはずだ。 混乱を極めていると御月堂は目を背けたままぽつりと言った。 「⋯⋯エレベーター内でしようとしたことを覚えているか」 それは、退院してすぐに前のマンションに赴いて、二人きりになった途端、安野に嫉妬していた御月堂の匂いがツンとしたものから甘い匂いをし、それに誘われるようにしようとした時、エレベーターの扉が開いた先に安野達に見られてしまった出来事のことだろう。 あぁ、そうだ。恥ずかしいところを見られてしまったのだ。 「え、えぇ、はい。覚えてます⋯⋯」 「その時し損ねたことをしようと不意に思ってな。⋯⋯ここでなら恐らく誰も邪魔に入る可能性は低いだろうし、それに⋯⋯お前の不安な気持ちを少しでも和らげられたらと思ってな」 少し緊張気味に言ってきた。 先ほどの真剣な眼差しで、有無を言わせない口調とは打って変わっての彼の態度が、彼なりのぎこちない優しい愛情が嬉しい。 ほんのりと頬を染める様も微笑ましくて、くすぐったくて肩を竦めた。 純粋に心配してくれた時も感じた温かさがさっきよりもじんわりと増し、その影響なのか、身体も熱くなっていった。

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