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132.
「大河、拭かないと。汚れたままだよ」
「⋯⋯」
それでも頑なに、さらに俯く息子に急にどうしたのだろうと思った。
「たーちゃんのまま、せんめんじょってどこにありますか?」
「え⋯⋯えっと、そこの扉を出て、左のドアの二つ目だけど⋯⋯」
「わかりました! たーちゃん、ぼくといっしょにあらいにいこう」
椅子から降りた伶介が俯いたままの大河に小さな手を差し伸べる。
すぐにその手すら見ずにいた大河だったが、伶介はそんな大河のことをずっと待ち続けていた。
そうした後、渋々といった形で姫宮から下りた大河はその手を取った。
伶介はその様子に「いこう!」とにこっと笑いかけて歩き出した。
「愛賀、どうした」
「あ、慶様」
大河達の異変に気づいたらしい御月堂が声を掛けてきて、姫宮は分からないながらも説明した。
その後ろでは松下が、「うちの子、本当にいい子⋯⋯っ」と涙ぐんでいるのを見ない振りをして。
「⋯⋯それは急にどうしたのだろうな」
「よく分かりません⋯⋯」
「大河さまはカッコつけたいんですよ」
静観していた小口が不意にそう言ってきた。
「カッコつけたい?」
「ママさまの前ではいい自分を魅せたいんですよ。御月堂さまがいるから特に」
「御月堂さまならばよーく分かるでしょ」と同意とともに煽るように振ると、御月堂は「⋯⋯まぁ、分からなくもないが」と歯切れ悪そうに答えていた。
姫宮の前でもカッコつけたい我が息子の心情。
伶介が言っていた「くまさんみたい」というのは、チョコで口の周りが汚れてしまったことを意味するのだろう。
伶介は少しだけだったが、大河はそう言われるぐらいすごいことになっていたという。
姫宮からしたら可愛らしいものだ。人に言われるまでそんなことを気にせずに夢中になって食べてしまうほどだったのだから。とても見たかった。
それを見られたくなかったのは、カッコつけたいから。
カッコつけたい。カッコつけたかったのか。
伶介が連れだって口周りが綺麗になった大河が帰ってきても、姫宮はイマイチピンときてなかった。
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