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大切な思い出②

「どうしたの?」  突然涙を流し始めた蓮斗に、輝や困惑と心配の入り混じった眼差しを向けてくれる。慌てて袖で拭っても、流れ落ちる涙は止まってはくれなかった。 「っ、目にゴミが入っただけだから」 アリステラとしての人生はとうの昔に終わりを迎えてしまっている。それでも、未練は断ち切れていない。悲しみも苦しみも、幸せだったことすら、全部記憶としてしっかりと蓮斗の中に刻み込まれている。  記憶を思い出したことにはなにか意味があるのだろうか?だとするのなら、どうしたらこの未練は断ち切れるのだろう。蓮斗は消化できず燻る感情を抱えきれず持て余していた。 「よく見せて」 輝が覗き込むように顔を近づけてくる。彼の瞳を見返していると、早朝の青空を見つめているような気分になる。どこまでも澄んでいて、呼吸するたびに体内を清純にしてくれるような空気感。 「なにも入ってないみたいだけど……」 「っ、はやく離れてよ……」  少し動けば唇が触れてしまいそうな距離だ。蓮斗を跨ぐように輝の手が地面につけられている。背が壁についているせいか、まるで押し倒されているような気分にさせられる。 「緊張してる?」 「そんなわけっ……」 「なら、俺のこと意識してくれてるってことかな?」  目元に添えられていた手が頬を滑り、顎へと添えられた。その動きに合わせるように、蓮斗はコクリと生唾を呑み込む。輝の言うとおり、完全に彼のことを意識してしまっている。けれど、それを認めたくはなかった。  目を見返せば、林檎のように熟れた顔をした蓮斗の姿が映っているのがわかる。それだけ、至近距離にお互いの顔があるということだ。ゆっくりと形のいい唇が近づいてきて、慌ててしまう。逃げ場もなく、脳内の整理もできないまま固く目をつぶり、衝撃に備える。 「こんな所にいた」  けれど、その備えは降ってきた言葉によって無意味なものへと変わってしまった。目を開けると、志乃が二人を見下ろす形で屋上の扉付近に立っているのがわかった。あっさりと蓮斗から離れた輝が、立ち上がり志乃の方へと歩み寄る。刹那、寂しさに襲われて蓮斗はうつむきかけた。 (っ、期待なんてしてない。だから、落ち込む必要なんてないんだ!)  けれど、自分に言い聞かせて、ぐっと顔を上げる。立ち上がり、志乃へと視線を向けると、彼が一瞬蓮斗のことを睨みつけてきたのが見えた。輝は気がついていないようだ。すかさず睨み返せば、すぐに視線が外される。  腹は立つけれど、騒ぐようなことでもない。ドキドキとざわついていた心も、志乃の登場のおかげで落ち着きを取り戻していた。 「担任が探してたよ」 「そうなのか。それで俺のことをわざわざ探していたのかい?」 「だって、皆が輝のことは絶対に僕に聞きいてくるんだもの。いつも一緒にいるから輝いのことはなんでも知ってるって思っているのかもしれないね」 「同じ生徒会役員だから自然と一緒になることが多いからかもしれないな。迷惑をかけてすまない」  明らかに蓮斗へとマウントを取ってくる志乃。まるで、輝のパートナーは自分だと主張しているような言い方だ。蓮斗は怒りを募らせそうになる。けれど、当の本人である輝がまったく意に返していないどころか、さり気なくただの役員同士だと否定しているせいで、怒りは鎮火してしまった。 志乃のアピールはまったく輝に通じていない。それが心底愉快でたまらない。 「……う、ううん。いいんだよ。それより、話をしていたのに邪魔をしたみたいでごめんね」 「ああ、いいんだよ。残念だけど行かないと」  輝が再び蓮斗へと顔を向けてくれる。それが嬉しいと感じてしまうのだから、もういろんなことを引き返すには手遅れなのかもしれない。 「いいよ。むしろ邪魔されずに過ごせるからありがたいし」 「相変わらず素直じゃないね蓮斗は」 「っ、ぼ、僕は誰よりも正直に生きてるつもりだよ!」  言い返してみても、笑われるだけで蓮斗の強気な態度は輝の前では空振りしてしまう。それが面白くなかったのか、志乃がおもむろに輝の腕を引いた。ズキリと蓮斗の胸が痛む。  似ている……。志乃はルキナにそっくりだ。相手への触れ方も、言葉も、仕草すら、アリステラのときに嫌というほどに見てきた恋敵そのもの。そんな突拍子もないことを想像してしまい、蓮斗の背筋に悪寒が走る。まさかありえるはずがない。それに、ルキナと志乃は性別も顔もまったく違う。けれど、一抹の不安が拭えず否定できない。 「行こう。先生が待ちくたびれちゃうよ」 「ああ、蓮斗またね」  二人が連れ立って歩いていくのを見るのは二回だ。それなのに、何度も見たことがあるような気がしてしまう。階段を降りていく背が見えなくなると、その場に屈み恐怖を吐き出すように深呼吸をする。そうすると、幾分か気持ちが楽になったような気がした。  元の位置に座り直して、少しだけカピカピになってしまったお弁当を突く。志乃はどう考えても輝へと想いを寄せている。だから、輝が蓮斗にかまうのが面白くないのだろう。わかっていても輝の意思は蓮斗には操作できない。それに、今更関わらないという選択肢を選ぶことは蓮斗にはできそうになかった。 「……キス、しようとしたよね」  先程のシーンを思い出しながら、焦らされたような気分になる。蓮斗の心の中には、たしかに少しずつ輝への感情が芽生えてきていた。 平穏に暮らすためには避けたほうがいいことはわかっていても、自分を受け入れてくれる輝に惹かれてしまう。  アリステラのときのように、後悔する日が来るのかもしれない。そんな日が来ることは怖いし、今世こそは穏やかで幸せな生活を送るという目標は変わらないだろう。それでも、この気持ちも、この瞬間も今しか得られないものだから、蓮斗はそれを大切にしたかった。 (よし!食べて元気をつけるんだ!!)  だから落ち込んでなどいられない。弁当を口の中に掻き込み、気合を入れる。明日も明後日も、蓮斗は自分の気持ちに素直でありたい。それが、平穏に続く道だと信じて突き進むだけだ。

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