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第16話
「キレイだな」
「初めて見たのか?」
「ここまで来たことはないな。それに」
「それに?」
先を促され唇を一舐めした。
「街を見ると寂しくなる」
もう街では暮らせない。発情期があり、抑制剤も大して効かず、だれ彼構わず誘惑してしまうフェロモンを出してしまうので人が多いところは怖い。
犯された過去がラビを小屋に縛りつける。
けれど街には親弟妹がいて、みんな元気にしているか気がかりではある。
実家は城の裏手にあるのでここからでは見えない。でも街が平穏な様子にほっと胸を撫で下ろす。
もう二度と会えないけど、家族はいつまでも幸せでいて欲しい。
「部屋にあったからついでに持ってきたんだ」
「これって」
ウォルフは朝食が入った籠とは別の袋からスケッチブックと鉛筆を出した。新品だったので捨てるのが勿体ないと残しておいていたものだ。
「絵を描いてみないか?」
「でも左手じゃ」
「別に誰かに見せる必要ないし、ただ思うままに描いてみるのもいいと思ったんだが」
三角耳の先を折り曲げるので可笑しかった。
体格ががっしりして上背もあるのに押しつけがましくない。
正直に言うと描きたかった。こんな素敵な街並みを残せるなら永遠に残したいと画家としての血が騒ぐ。
けれど左手ではうまく描けない。思い通りの線が描けない。ざらりとした感触のスケッチブックを撫でると郷愁に近いものが呼び起こされる。
身体の血の巡りが速くなり時間が止まった右手の指先まで温かくなったような気がする。
「そうだな。こんないい景色だもんな」
「じゃあ準備をする」
ウォルフは不器用ながらもイーゼルを組み立ててそこにスケッチブックを置いた。
「よくここまで用意できたな。もしかして絵描いてた?」
「昔、街で絵を描いている人をよく眺めていた。そのときの記憶を思い出して用意したんだが合ってるか?」
「ラフだけならこのくらいで充分」
イーゼルの前に座ると鉛筆を削って尖らせたように意識が細く長く研ぎ澄まされる。
じっと街を見下ろし、思うがまま左手を動かした。
城や商店の屋根、公園の噴水や行きかう人々。風に乗って声が聞こえてくる。多種多様な耳や尻尾の形をした人影は遠くからでもなんとなくわかる。
思った通りの線は描けない。でもすごく楽しい。
初めて絵を描いた子どものようにただがむしゃらに描いて、なぞって、線を重ねていく。
ウォルフが隣にいることを忘れ、夢中になって鉛筆を走らせ続けた。
冷たい風が頬を撫で寒さでぶるりと長い耳が震えた。はっと意識を取り戻すと青空がいつのまにか橙色と群青色が混ざり合い、小さな星がいくつかのぼっている。
隣に座るウォルフは瞬きも忘れたようにラビの描いた絵を見ていた。
「ウォルフ」
名前を呼ぶと青みがかったグレーの瞳が星を散りばめたようにきらりと輝く。吸い込まれる色に惚けているとウォルフは目尻を下げた。
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