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第30話
宣言通り次の日の早朝にウォルフは出て行った。見送りはしない。もう二度と会うことがないのだからかける言葉はない。
それなのにーー
扉が閉まる音を聞くと涙が勝手にこぼれた。
ウォルフと出会って随分泣き虫になってしまった。レイプされたときですら泣かなかったという
のに、身体を繋げたときに感じた安らぎに緊張の糸がぷつんと切られてしまったらしい。
まっすぐな愛情を向けてくれた。こんな汚い自分でも好きだと言ってくれた。
それだけで幸せだと思えるほど強い人間ではない。
あれほど熱く交わった身体はまだウォルフの熱が残っている。かさついた指の感触やキスの甘さが肌の細胞に記憶され、血肉となっていた。
思い出すと恋しさが増す。いまならまだ走れば間に合うかもしれないと考えたが、一歩踏み出す勇気がなくまだウォルフの匂いが残るシーツを握りしめた。
「おーい、ラビ?」
いつのまにか眠ってしまったらしい。シーツから
顔を出すと空は橙色に染まっている。
「なんだ、こっちにいたのか」
扉を開けたのはジープだった。自室にいるから驚いている。
「あいつは帰ったのか?」
「朝早く」
「それはよかった。もうヒートも明けただろ。今夜からがんがん稼いでもらうぞ」
ジープはポケットから赤い封筒を数枚出して、ベッドに放り投げた。
真っ赤な紙は死刑宣告書だ。セックスしていないと存在価値がないと追い詰めてくる。
でももう愛される歓びを知った。身も心も満たされるのは身体の一番大事な部分も大切にしてもらえたからだ。
「……もうやらない」
「はぁ?」
「代わりに下働きでもなんでもする。これ以外の仕事はないのか?」
「セックスしかできないくせになに甘ったれたことを言ってるんだよ!」
ピシャリと鋭い言葉は一瞬で空気を変える。
目を血走らせて歯を剥きだした顔に鼻がひくひくした。怖い。やっぱり嘘と言いそうになる弱い自分を叱責した。
好きな人の悪口は聞きたくないと言ってくれたウォルフの気持ちを守りたい。
「片腕しか使えないくせになにが下働きだ」
「力はないけど、他にできることはある」
「おまえは特異体質なんだぞ? その気になれば一晩で一年分の生活費を稼げる稀有な存在だとわかっているのか! ?」
「しない。もう俺は普通に働く」
「ふざけるな!」
ばちんと音がしてあとから燃えるような痛みがやってくる。頬を殴られたと気づくまで数秒かかった。
ジープは顔を真っ赤にさせて目を釣り上げている。
「おまえにどれだけ手間と時間をかけてると思ってるんだ!」
耳を塞ぎたくなるほどの怒声は簡単に恐怖心を煽る。遺伝子に組み込まれた弱者という烙印のせいで気持ちがしゃんと立てなくなった。
鼻をひくひくさせて怯えているとジープはにこりと表情を変えて、頬を撫でられた。
「これでわかっただろ? どうせ草食動物は虐げられるだけなんだよ」
身体が小刻みに震える。頷きそうになる弱い心はジープの言葉がよく染みた。
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