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第62話 9章 母との別れ

「尚久先生の婚約者、学生さんらしいわよ」 「えっ、師長ご存知なんですか?」 「私も部長から聞いて、詳しいことは分からない。ただ、学生さんで、亡くなったお母さまがシングルマザーだったらしい。だから、もう身寄りが無くて、それで婚約者の尚久先生が一緒についてらっしゃるって」  師長の話に、皆心が沈んだ。とても可哀そうな身の上のようだ。 「可哀そうな身の上のようですね。学生さんということは、卒業後、結婚のご予定とか」 「そうなの、だからあまり皆、騒がないようにね。尚久先生も悲しんでいらっしゃると思うから。結婚のことは分からないけど、多分そうなんじゃないかとは思うわね」  副院長の彰久から、おおよその事の次第を聞いた看護部長が、師長に指令を出したのだった。尚久の婚約の事実が知られれば、騒ぎになることは分かっていたからだ。それを鎮火するための、指令だったし、その意図は正確に伝わった。  北畠病院の団結力は強い。それが、この病院の伝統であり、強みで会った。  高久と雪哉の夫夫が、長年二人で築き上げた伝統。それを今は、蒼と彰久が守り、育てている。無論、尚久もできる限りの力を発揮している。  帰国後数年、新たに院長、副院長になった二人にとって、尚久は片腕と言える存在になっていた。 「尚久、今日は久しぶりの出勤で疲れただろう。何か問題はなかったか?」 「疲れは大丈夫ですよ。兄さんが上手く手配してくれたおかげで、何の問題もなった、ありがとうございます。お手数かけました」 「そうか、だったら良かった」  あの時病院でも思ったが、今日出勤して改めて彰久の実力を思い知った。一週間の不在が問題なく調整されていた。故に、スムーズに復帰することが出来た。 「それで、今後はどうするんだ? 尚希君、ここに住まわせるか?」 「そう考えている。いいだろうか?」 「それがいいんじゃないかな。ねえ、あお君」 「うん、僕もそう思う。勿論、尚希君のマンションをどうするとか、考えないといけない事は沢山あるけど、当面はここにいたらいいよ。一人では淋し過ぎる。幸い部屋はあるしね」 「うん、ありがとう。お願いします」 「水臭いこと言わないよ。尚希君はなお君が結婚する人、つまりもう家族なんだから。むしろ、もっと甘えてくれていいんだよ。あの子遠慮深いからね」 「そうだね、ありがとう」  もう家族なんだから――その言葉が嬉しかった。実際、高久や雪哉も、尚希を家族として扱っていた。それが、この一週間如実に現れていたから、尚久もここまで対処できた。尚希を支えることを、第一に考えることが出来たのだ。  尚久は、改めて家族に感謝し、この北畠家の一員であることに誇りを持った。そして、尚希を一日も早く、正式にその仲間に入れてやりたいと思うのだ。それは、当然、籍を入れて結婚式だ。  この悲しみが起こる前から、尚希の卒業後結婚しようと考えていたが、それをより強く思うようになった。  来年、尚希が卒業し、一周忌を終えたら結婚しよう。  尚久は、その目的に向かって、進むことになる。

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