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第69話 10章 愛する人の支え
ここに両親が眠る。ほとんど記憶にない父。そして母――。
母には生きていて欲しかった。
無論、父にも生きていて欲しかった。父親に一度は甘えてみたかった。けれど、記憶にない父、その父に甘える自分は想像できない。
しかし、母は違う。もっと生きて、そして穏やかに笑っていて欲しかった、母の優しい笑顔は想像できる。
父亡き後、女手一つで自分を育ててくれた。言うに言えない苦労もあっただろう。夫を亡くして、その悲しみを封印して、自分を守ってくれたんだと今は理解できる。
笑顔が無かったのは、自分に愛情が無かったわけではない。ただ、心のゆとりが無かっただけなのだろう。
だからこそ、安心させて、そして親孝行したかった。漸く母を理解できて束の間、余りに別れが突然で、早すぎた。
これからは、沢山笑って欲しい。いつも笑顔でいて欲しい。そう思っていたのに――。
尚希は、墓前で手を合わせながら涙を溢れさせた。
帰らぬ母への思慕――。
身を震わせて泣く尚希を、尚久は抱きしめる。
泣いていい。私の胸で、いつでも泣いていい。受け止めてやる。お前は一人じゃない。
尚希の背を優しく撫でてやる。尚希が落ち着くように、安心できるように――。
「ごめん……泣いちゃって……」
「いいんだよ泣いて。私の胸はお前のものだから、いつでも泣きたい時は泣くといい」
泣きぬれた顔で詫びる尚希に、尚久は優しく微笑みながら言う。尚希の涙を指で拭い、額に軽く口付ける。
尚久の胸は広くて温かい。そして優しい口付け。それで漸く尚希も落ち着き、自分から離れる。
「ご両親に伝えたいこと、全て伝えられたか?」
「うん、ちゃんと報告できた。大丈夫だよ」
「そうか、じゃあ帰るか」
「尚さんも報告終わったの?」
「ああ、お前との結婚を許してくださいと伝えた。許してくださっていると感じたよ。だから、尚希のことは私が生涯守るから、安心してくださいと伝えた」
「なっ、尚さん!」
尚久の報告は、それだったのか! 尚希は衝撃をうけ、そして自分の迂闊さを悔いる。
そうなのだ。尚久はそういう人なのだ。こんな自分を愛して、その大きな愛でくるんでくれる。こんなにも器の大きい人。
嬉しくて、感激して、尚希はまた涙を溢れさす。
「またお前は……」
呆れたように言いながらも、尚久はそんな尚希の涙を拭い、優しく撫でてくれる。優しくて、温かい、僕が大好きな人。
この人がいてくれたら、自分は大丈夫。どんな悲しみも乗り越えられると、心からそう思う。
母を亡くし、天涯孤独にはなった。頼りになる親戚は誰もいないけれど、尚久がいれば大丈夫。否、尚久がいなければだめだ。尚久さえいてくれたら生きていける。
ずっと一緒にいたい。一生そばにいたい。
ベータでもいい。アルファの尚久がそう言ってくれた。正直今でも、オメガのようにフェロモンがあるわけでもない、ベータの自分に、なぜ尚久が惹かれるのか分からない。
それが、以前は怖かった。いつか、強烈なフェロモンで尚久を誘うオメガが現れるようで――。
でも、もう今はそれは思わないことにした。いるか、いないかもわからない運命の存在に怯えるのは不毛だ。尚希も、それを漸く悟っていた。それが、尚希の成長の証ではあった。
尚久の愛で成長した証ともいえた。
『母さん、そして父さん、僕は大丈夫だよ。尚さんと結婚します。そして幸せになります。どうか天国で見守っていてね』
尚希は心の中で、天国の両親へ語りかけるのだった。
卒業が決まった学生は、卒業式までの期間、最後の学生生活を謳歌する。多くの学生は、卒業旅行を楽しむ。社会人になれば、中々ままならぬと、海外旅行を長く楽しむ学生も多い。
しかし、尚希は楽しむ時間も余裕も無いと思っていた。旅行するなど、考えも及ばない。そんな、暇も、心の余裕も全くない。
さすがに、就職してまでも、ここ北畠家でお世話になるのは気が引ける。北畠家の人達の優しさに甘えるのは良くない。いくら、尚久の婚約者と認められた立場と言えど、マンションに戻るのが筋だろうと思うのだ。
いずれ、尚久と結婚したら、住まいはどうなるのかな? それは分からない。もしかしたら、ここで同居かもしれない。それはいい。むしろ嬉しい。それにしても、一度は戻らないと、尚希はそう思うのだった。
この休暇はいい機会だ。マンションを含めて、諸々きちんとせねばと思っているのだ。先ずは、尚久に相談せねば、そう思っていた。
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