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十四 カノくんたすけて

 店の外に出ると、人通りは殆どなくなっていた。清はハァとため息を吐き出して、暗い夜空を見上げる。うすぼんやりした黒い空は、田舎の空と違って淀んで見えた。 (良い夜だったなあ……ラストまで居たかったけど……)  残念ながら、もう終電まであと僅かだ。それに、カノも他のテーブルに行ってしまったし、今日のお楽しみはここまでだろう。  人の少なくなった通りを歩きながら、なんとなく唇に触れる。色恋営業されているのだろうとは思うが、自分だけが特別なような気持ちになるのは事実だ。 (悪い男だ。でも好き)  距離を置こうと思っていたのに、またハマり倒している。厄介極まりない。 「まあでも、少し頻度を減らすのはありだよな……。正直散財してるし……」  毎週ホストクラブに通うのは、やり過ぎな気がする。その上、恋までして、破滅まっしぐらな人生しか想像出来ない。なのに、またカノに「今日来てよ」と言われたら、二つ返事でOKしてしまうのだろう。 (まあ、今週末はやめておくか。今日行ったんだし……)  そう思いながら、足早に通りを歩く。少しずつ、客がはけているのだろう。呼び込みの姿も見えなくなっている。徐々に眠りにつく街を見るのは、なんだか面白い。  終電まであと少し。急がなければと通りを横切った時だった。 「――んでよ、そいつがマジで笑えて」 「ギャハハ、ビビってんの?」  男の笑い声に、反射的に身体がビクリと跳ねた。声のする方を、ギギギと音がしそうなほどぎこちなく振り返る。 (――あ)  髪を逆立てた大男。腕にタトゥーの入った金髪の男。じゃらじゃらと鎖のようなネックレスを首からさげた、サングラスの男。真っ赤な髪をした、顔面ピアスだらけの男。服装も、派手なスーツやいで立ちで、見るからに『その筋』の男たちだと見て取れた。 (あの時の――)  ソープランドの裏で、清を取り囲んだ男たち。その男たちが、雑居ビルから出て来たところだった。  咄嗟に近くの路地裏に入り込み、息を潜める。足が震える。ドッドッドッと、心臓が鳴り響く。喉が渇く。目の前が暗くなる。  怖い――。  足がすくんで、動けなかった。男たちの声が、遠くなる。相手は覚えていないかも知れないし、覚えていてももう興味がないかもしれない。それなのに、身体が言うことを聞かなかった。 (カノ……くん……っ、カノくんっ……、カノくんっ……!)  清はどうしていいか分からないまま、路地裏に座り込み、その場で蹲った。  ◆   ◆   ◆ 「今日はありがとう。また来てね」 「うん。楽しかったぁ。今度はデートしてね、カノ」 「アハハ。お休み」  酔って赤い頬にキスをして、客の女性を見送る。彼女の姿が見えなくなって、カノはホゥと息を吐いてフロアに戻る。すっかり、彼女に時間を取られてしまった。 (清くんは――)  清が座っていた席に視線をやり、溜め息を吐く。席は既に無人で、水の入ったグラスに挿した黄色いバラが、そのままになっていた。 (まあ、明日は会社だって言ってたし、ラストまでは居られないって言ってたし)  今日も、ドリンクを結構入れてくれたな、と思う。思ったよりも長く通ってくれて、稼がせてくれている。大口の客ではないが、継続してきてくれる客は貴重だ。しかも清は好奇心よりも好意が大きい。  黄色いバラをグラス空抜き取り、指先で弄ぶ。『ブラックバード』で黄色いバラを見て北斗を思い出さない人間はいない。これは、北斗のキャラ付の小道具だ。イベントごとがある時は、必ずこの黄色いバラを用意する。 『黄色いバラの花ことばは、嫉妬とか妬みとか嫌なイメージが強いけど、良い意味もあるんだよ。知ってる? ――思いやり、献身。愛の告白――なんてね』  などと、歯の浮くようなセリフで女の子に渡すのだ。赤や白いバラと違って、黄色は北斗以外は使わない。だから、清の胸に黄色いバラが咲いていた時、マーキングされたような、不快な気持ちになった。  いつの間に会ったのか。何故黄色いバラをつけているのか。つい、苛ついてしまった。 (清くん、面食いだからな……)  一緒に歩いていると、可愛い女の子の方に視線が行く。カノの顔もじっと見ている。北斗を眼中にないと言い切った時は胸がスッとしたが――。とにかく|チョロい《・・・・》ので、今はそうでも今後もそうとは限らない。  カノは去る者は追わず来る者は拒まずという主義ではあるが、北斗に渡すのは腹立たしい。北斗は『ブラックバード』に来てからずっと、カノをライバル視している。カノが若いころから幹部なのが、気に入らないのだろう。 (は。ガキが……)  バラをぎゅっと握り潰し、ゴミ箱へ投げ入れる。清は目立つ。『ブラックバード』では異物だ。 (そのうち、アフター誘うか。結構、稼がせて貰ってるし)  清とはまだ、アフターには行っていない。ラストまで居たことがあまりないため、誘えないということもある。だが、一度くらいは誘うべきだろう。  欠伸をしながらバックヤードへと向かおうとした、その時だった。  スマートフォンに着信が入る。女の子からの「今日は楽しかった」的なメールかと思い、殆ど作業感覚でメッセージを開き、目を見開く。 「――は」  時計を見る。営業時間など、とっくに過ぎている。最終列車も、もうない。  なのに。 『カノくんたすけて』  その一言に、カノはそのまま外へと飛び出した。

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