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三十九 嘘っぽい言の葉。
腕にのし掛かる重さに、カノは目を覚ました。感覚がない腕の上に、ぐったりした顔で清が眠っている。疲れてはいるのだろうが、満足げな顔にホッとして、額にキスを落とした。
(つーか、腕の感覚ねえし)
ずっと頭をのせていたらしく、もはや感覚がない。だが、幸せそうな顔を見ると、退かす気にならなかった。
「……清」
囁くように、清の名前を呼ぶ。もぞもぞと身体を捩り、再び寝息を立てる清を見つめ、カノはざわざわと胸をざわつかせた。
「……好きだ」
ポツリ、呟く。
清の前で、一度たりとも言ったことのない言葉は、口にすると嘘っぽくなって、カノは顔をしかめる。
ホストという職業のせいか、言葉が安っぽくなってしまった。どんなに言葉を尽くしても、偽物のような感覚がどこかにある。
清の髪を指先で弄びながら、カノはモヤモヤした、この感情を持て余す。
自分がどうしたいのか、どうしたら良いのか、解らない。
清が女だったら、なにか違っただろうか。結婚して、子供を作って、普通の家族みたいになれたのだろうか。
(その前に、オレはまともに告白できんのか)
自身の性格を思い返し、自虐的なため息を吐き出す。
生い立ちのせいか、元の性格か、カノは自分の想いを口にするのが苦手だ。察して欲しいと主張できたなら良かったが、知られなくとも構わないと、ここまで来てしまった。
古い友人たちは、カノのそんな気質を知っているから、カノがアクションせずとも不便がないようにしてくれる。
清はカノが珍しく、自分でアクションを起こしてモノにした男だ。それでも、言葉は出てこなかった。
好きだから、抱きたい。気に入ったから、傍に置きたい。本当はずっと、隣にいて欲しい。
そんな単純な言葉が、うまく紡げない。
カノの執着を、清がどう思っているか、解らない。だが、清はどこか、カノとの関係を『ホストと客』の延長で捉えている。
「解んねぇのかよ」
ボソリと呟いた言葉は闇に溶け、ただ清の寝息だけが響いていった。
◆ ◆ ◆
「なぁ、なんで僕じゃダメなんだよ。アキラ」
「だから、俺の一存じゃ決められないんだって。何度も言ってるだろ」
「は。ダサ。マネージャーのクセに」
「オイ、北斗。舐めた口きくな。ぶっ殺すぞ」
「やれるもんならやれば? 朝方までヒーヒー泣いてたクセにさぁ」
「死ねクズホスト!」
飛んできた拳を、パシッと受け止める。アキラは歯を剥き出しにして睨み付けて来たが、北斗は鼻を鳴らして返す。
「カノが幹部で僕が幹部じゃないとかおかしいと思うんだけど。僕だってもう五年も店に居るんだけど?」
「文句はユウヤさんたちに言えよ。俺は幹部会じゃカノより下っ端なんだよ。バカ力イテーわ! 手ぇ離せ人格破綻者!」
「あー、あー、カノより下っ端とかダサ過ぎ」
ハァとため息を吐いて、手を離す。赤くなった手を見て、アキラは顔をしかめた。
「ったく、なんで俺がコイツの面倒なんか……」
ブツブツと呟きながら、アキラは段ボールを開けて酒を取り出す。北斗はしらっとした顔で爪を眺めている。手伝う気はないらしい。
「ボサッとつっ立ってるんなら、補充くらい手伝えよ……」
「幹部になったらやりまーす」
「クソが」
ブツブツ言いながら、アキラは酒の補充を続ける。相手にしてくれないと解って、北斗はフンと鼻を鳴らすと、バックヤードから出ていった。
店の外は、まだ静かだ。営業前の空気はどこか静かだった。ポケットからタバコを取り出し、火を着ける。
(あーあー、ムカつくなァ。僕の方が売り上げあるのに、カノ、カノってさァ)
北斗は苛立ちながら、煙を吐き出す。同年代のカノに対するライバル意識は、北斗一人がから回っている。カノを蹴落とし、代わりに幹部になるのが、北斗の目標だ。カノはやる気がないくせにのさばっている、邪魔なだけの男だ。
(最近は接客微妙だし)
以前はプロ意識の高かった接客が、最近はイマイチになっている。端から見ても、客の男に入れ込んで居るのは確実で、常連たちは文句タラタラだった。それなのに、客が離れないのが腹立たしい。
そんな男、見限ってしまえば良いのに、そうはならない。いつか帰ってくるとでも思っているのだろうか。
(なんか、面白いことないかなァ)
煙を吐き出し、退屈さを吐き出そうとするが、面白い考えは思い浮かばない。戻って、アキラをからかったほうが楽しいだろうか。
『ブラックバード』の古株の一人で、イケメンというより愛嬌のある顔をしたアキラは、笑わせるほうで人気があるホストだ。からかいがいがあるせいで、歳上のクセに北斗にしょっちゅう弄られている。
(はー、つまんな)
ダルい気分を払うようにタバコを揉み消し、店に戻ろうとした時だった。物音に、音がした方を振り返る。
「ん?」
ゴミ捨て場に面した店の裏口に、人陰が見えた。『ブラックバード』の向かいにあるその店は、最近廃業したソープランド『ピーチパラソル』があった場所だ。経緯は不明だが、急に店が潰れたのは記憶に新しい。アキラ言うには、佐倉組が圧力をかけたらしいが、本当のところは解らない。
(また何か店がはいるのか?)
見たところ看板は出ていなかったが、萬葉町は店の出入りが多い。名前を変え業種を変え、すぐに新しい店が出来る。
じっと裏口を見ていると、前髪を真っ直ぐ切り揃えた女が、店の外へと出てきた。
「おい北斗! ちょっと手貸せ!」
バックヤードからの呼び声に、北斗は意識をそちらに向ける。
なんとなく見覚えがある気がしたが、どこにでもいるような女といえばそうだ。
(まあ良いか)
「るせーな。高いぞ」
「良いからさっさと来いっ!」
怒声に、北斗はやる気のない返事を返しながら、裏口の扉を開いた。
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