44 / 51

四十四 露木夏音

 期待に応えないと。という宣言通り、清はカノに連れられてホテルへと連れ込まれた。駅近くにある古ぼけた外観のラブホテルは、中は清潔だった。カノに「使ったことある?」と聞かれて返事に困っていたら、少し不機嫌になってしまったが、実際は使ったことはない。女の子と付き合っていた時期も、大抵こういうことをするのは家だった。社会人になってから、清には彼女がいない。 「あっ♥ あ、だめっ……♥」 「ダメじゃねえよ……。本当に、乳首こんなに弱くなって、どうすんだよ」  そう言いながら、背後から両方の手で乳首をこねくり回す。摘まんだり、引っ張ったりされると、ビクビクと腰が揺れた。 「んぁ、んっ……♥ カノくん、の、せいっ……だか、らぁっ……♥」  甘い声で文句を言いながら、顔を逸らせてキスを強請る。カノは噛みつくように唇に吸い付き、舌を絡ませる。互いに身体をぴったりと密着させ、貪るように触れ合う。理性などとうにない。背後から抱きしめるようにして抱えられ、穴にはカノの狂暴な性器が、深々と突き刺さっている。 「んふ、んっ……♥」 「清……。清……」  首筋に顔を埋め、カノが切なげに名前を呼ぶ。その声に、胸がどうしようもなく締め付けられる。目の前にいるのに、すぐ傍で抱きしめているのに、カノは清を探しているように感じた。 「カノ、く……」  カノの腕を解き、正面に向き直る。カノが驚いて目を見開く。そのまま、抱き着く。 「カノ、……」  カノくん。そう呼ぼうとした唇を、カノが手で制した。真剣な顔で、じっと清を見つめる。 「吉田、清」 「え?」  急にフルネームで呼ばれ、首を傾げる。カノの目は、やはり真剣だった。 「|露木夏音《つゆきかのん》。夏音、だ。夏の音、で、夏音」 「かの……、ん」  一瞬、何のことかわからず、目を瞬かせる。が、次の瞬間、それがカノの本当の名前なのだと気づいて、清はパァと表情を明るくした。 「夏音くん?」 「夏音で良い」 「綺麗な名前じゃん。お母さん、音楽好きだったの?」 「あ? ……知らん、けど」  夏音は名前の由来など、聞いたことがない。そう言う話を、彼女としたことはなかった。 「カノンは、輪唱の意味だよ。一つのメロディを、複数の音が追いかけ合う歌。お母さんは、夏音が一人にならないように、着けたのかもね」  フッと、清が笑う。その笑顔に、夏音は思わず見入った。 「そんなこと、あんのかな」  一つの音を重ね合う音楽。一人では、決して出来ない音。そんな深い意味を考えて、着けたかなんて、解らない。だが、もしそうなら、夏音の周りには何だかんだ人が居て、いつだって助けてくれる人たちがいた。  今だって――。 「清」 「ん……、」 「清、ホストじゃない、ただの、夏音は……好きか?」 「……? どの夏音も、全部、好きだよ……」  清の瞳が、愛おしそうに夏音を見つめる。切なげな表情に、互いに唇を寄せた。 「でも、ホストの『カノ』、好きだろ?」 「ん。夏音は、夏音だろ……」  ちゅ、とキスを繰り返しながら、ゆるゆると愛撫を繰り返す。清は、なんとなく夏音の様子がおかしいとは思っていたが、何かを追及はしなかった。  ホストじゃない、ただの夏音としてやって来たこと。  本名を教えてくれたこと。  以前より確実に、夏音は清に心を許してくれていて、清はそれを受け入れている。 (なにか、迷ってるのかな……)  清には、夏音の気持ちを推し量ることは出来ない。夏音の歩んできた人生の殆どを清は知らず、交友関係もなにも知らない。何も知らない同士が出会って、ただ、彼だというだけで恋をした。  清にも、どうしてこんなに夏音に惹かれるのか分からない。  あの夜、助けてくれたからなのか。甘い声で囁かれたからなのか、指先で蕩かされ、隅々まで愛されたからなのか。  彼のことを何も知らない。けれど、それも含めて、夏音のことを愛している。 「夏音……、何か、あったの?」  干渉するのは、今までずっと、避けて来た。「お前には関係ない」と言われるのが怖かった。関心がないふりをして、『客』の一線を超えないように、最新の注意を払って来た。  けれど、なんとなく。  そう、口にしていた。 「……」  カノが視線を上げる。それから、フッと笑って、啄むようにキスをした。 「お前、知らないだろ」 「え……?」  ドキリ、心臓が鳴る。何か、否定されるような気がして、心臓が跳ねた。だが、夏音の唇から紡がれた言葉は、予想とは違うものだった。 「オレが、枕しないって、知らないだろ」 「――え?」  意味を図りかねて、一瞬思考が停止する。 (枕、しない?)  その意味を、ゆっくりと考える。  枕――。枕営業という言葉は、当然、清も知っている。ホストであればそう言うこともあるというのも、知っている。  夏音が枕営業をしているのだと、具体的に考えていたわけではない。ただ、『絶対に枕営業をしないホスト』だというのは、知らなかった。考えたことも、なかった。 「――え?」  もう一度、口にする。夏音は笑っていた。 (え?)  ジワリ、顔が熱くなる。  そんなの、おかしい。じゃあ、どうして。いつから。なんで。  疑問が、頭をぐるぐると回っていく。 「あの……」 「こっち、集中しろ」  ずんっ、下から突き上げられ、ゾクンと背筋が弓なりになる。 「あっ♥ 待っ……♥」 「待たない」  聞きたいのに、快感がせり上がってくる。背後からメチャクチャに突き上げられ、快感に翻弄される。 「あっ、あ、あっ……!」  誰とも寝ないのに、どうして自分とはこうしているのか。客と寝ないというホストなら、自分との関係は何なのか。  聞きたかったのに、夏音は教えてくれそうにない。 「清っ……」  熱っぽい声で、夏音が囁く。手のひらの愛撫が、唇が、舌が。夏音の指が、目が、すべてが。 「――っ」  今更ながら、すべてが自分に向いていることに気づいて、ドクンと心臓が跳ね上がった。

ともだちにシェアしよう!