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第1話

俺、黒瀬優里は鉄道会社を親会社に持つ、不動産会社に勤めている。 オフィスは15階建てのビルの7階から9階。 全階グループ会社が入っている。 毎朝、同じビル内のグループ会社の社員たちと挨拶を交わす。 顔見知りの間柄が多く、俺もそれなりに親しまれている方だと思う。 「おはようございます、黒瀬さん」 すれ違う女性社員が、俺に微笑みかける。 親しげな声色に、ふと気が緩む。 エレベーターで8階に到着すると、出張に出かける上司と出くわした。 「これから外出ですか?いってらっしゃいませ」 「そうだ。ああ、そういえば、親会社の担当が変わるから、その挨拶を来週に予定しておいたぞ。黒瀬と同年代のやつらしい。どうやら仕事ができるようだから、今の担当よりやりやすくなるんじゃないか」 「わかりました」 仕事ができるやつか。 ふと、自分とは違う世界に生きる存在を思い浮かべたが、すぐにかき消す。 俺は席に着き、パソコンを立ち上げ、仕事に集中することにした。 「黒瀬さん、今いいですか」 入社二年目の安田が声をかけてくる。 「いいよ。どうした?」 「ここの駐車場、稼働が悪くて。値下げしたほうがいいですか?」 「周辺の競合他社の状況は?」 「今日みてきたら、けっこう利用者いて」 「立地もあるかもな。ここ奥まってるから。料金は?」 安田はパソコンで周辺調査表を開く。 俺は画面を覗き込んだ。 「うちより安いのは、ここか。ここは入ってた?」 「ここはあんまりでした。場所はわりといいんですけど、車室が狭くて」 「とめずらいのか。収支報告書見せて」 「はい」 「確かに想定より、売上すくないな。けど、支出も抑えられてるから、赤じゃない。値下げより、まず認知してもらうたほうがいいんじゃないかな。まだオープンして2ヶ月弱だろ?」 「確かに、近所の人にもここにあったんだって言われました」 「黒瀬さん、建設の山田さんからお電話です」 「ありがとう」 「黒瀬さん、ありがとうございました」 俺は笑顔でこたえる。 「お電話かわりました。山田さん、お見積もりありがとうございました。その件で、ご相談がありまして――」 ああ――毎日、しんどい。 夜が訪れると、日々の疲れが体にのしかかり、心は空虚感に苛まれる。 自宅のワンルームで目を覚ますと、時計の針が昼を指していた。 週末の俺は、平日に使い果たした気力を補うかのように、屍のように過ごしている。 時計を眺めながら、俺は何もない冷蔵庫を開け、溜息をつく。 重い体を引きずり、近所のスーパーへ向かう。くたびれたスウェット、ボサボサの髪、猫背の俺。 エコバッグには炭酸水と栄養補助食品。 何も考えずに腹を満たすためだけの買い物だ。 ふと、立ち止まった。日陰にできた水溜りに視線が吸い寄せられる。 自分もあの水溜まりのように満たされたい、愛されたい、甘やかされたい。 そんな欲望が心を占める。突如として、衝動に駆られ、俺は水溜りに飛び込んだ。 水が跳ね、近くを歩いていた男の足元にかかる。何してんだ俺――そう思いながら顔を上げると、目の前には、無駄なく引き締まった体躯、シンプルだがセンスのよさを感じさせる服装の男の姿があった。 アイツみたいで嫌味だと思いながら、顔を見てフリーズした。 目の前にいたのは、黒岩優生本人だった。 俺は逃げ帰った。 玄関にしゃがみ込み、早い鼓動を手で押さえる。 「アイツ…気づかれてないよな…?」 8年前の入社式を思い出す。 彼は親会社の新入社員代表として壇上に立ち、周囲の視線を一手に集めていた。 その姿は俺の目には眩しすぎて、自分との違いを痛感させられる。 「黒瀬くん、新入社代表挨拶の人、そっくりだったよね!」 「何ていうんだっけ?」 「ドッペルゲンガー!」 入社式後、同期の女子たちが楽しそうに話していたことを思い出す。 どこが似ているんだ、その時も思ったが、今も同じ気持ちだ。 彼とは全てが違う。俺はただの子会社の一社員で、彼は親会社のエリート。それだけの差が、俺には大きすぎた。 「あ゛あ゛!?知り合いに会わないように、会社に通いにくいところを選んだのに! よりによって一番会いたくない奴に会うなんて!」 現実逃避が得意な俺は、あまりにも完璧な彼の姿に苛立ちを覚える。 彼に対する感情は、嫉妬とも憧れともつかない曖昧なものだったが、会いたくないという気持ちは確かだ。 布団に寝転ぶ。 黒岩に気づかれていなければいいが、どうだろうか。俺は再び目を閉じ、現実から逃れようとする。

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