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第3話

連れてこられたのは、俺もたまに利用する近所の居酒屋「ふく助」だった。 ここの女将さんは優しい雰囲気で、俺のことを覚えてくれている。 「カウンターでいいですか? あら、お連れさんがいるのね。テーブルにしましょうか」と、奥のテーブルに案内された。 女将さんは俺が好きなクレープグラタンを勧めてくれたが、黒岩と一緒じゃ味わえないと思い、断った。 ビールを頼み、適当に料理を注文する。黒岩は俺に敬語を使わないよう提案してきたが、俺は敬語のほうが楽だった。 会話が始まると、黒岩は突然「入社式覚えてるか?」と聞いてきた。 「ああ、もちろん。俺たちの年からグループ合同でやるようになったよな」と俺が答えると、黒岩は「荒井さんがドッペルゲンガーの話をしていたけど、似てないのにな」と鼻で笑った。 また、「似てない」だ。俺が口に出さなくても、全てが黒岩のほうが上だ。 どんなに努力しても、中の上にしかなれない俺と、親会社で輝いている黒岩。 比べるまでもない。 「黒瀬さんはいつも口角が上がっていて、周りに人がいる。人を引き寄せる魅力があるんだよな」と、黒岩が続けた言葉が俺の胸に刺さる。 なんだそれ。 「俺は無愛想とよく言われる。全然似てないよな」 優しい笑みが、鼻につく。 「完璧なヤツだと思った。だから、仕事以外ではあまり関わらないようにしようと思ったが――休みの日、意外な一面がみれて安心した」 気づいていたのか。 スーッと口角が下がる。 指先から冷たくなる。 アレをみて、意外な一面だって? カッと頭に火がついたように熱くなった。 「冗談。笑えない」 声が鉛となり地面にめり込む。 「俺が完璧?どこみてんだよ」 怒りが抑えられなかった。 「一回戦負けの俺と、決勝進出のお前。新入生代表とその他大勢。子会社と親会社。完璧なのかお前だろ」 「どんなに頑張っても中の上どまりの俺の気持ちわかるかよ!」 「黒瀬、俺は――」 黒岩は何か言おうとしたが、その瞬間、彼のスマホが鳴った。 俺は店を出るように促し、黒岩も外に出た。 その瞬間、全てがどうでもよくなった。 良好な関係を保とうとしていたが、もう終わりだ。俺は疲れ切って、居酒屋のテーブルに突っ伏した。 目を覚ますと、店内には俺と黒岩しかいなかった。時計を見ると日付が変わっていた。 「起こしてくれよ」と俺が言うと、黒岩は「俺も寝てた」と目を逸らした。 女将さんに謝り、店を出たところで「支払いは済ませておいた」と黒岩が言う。 「払う」 「いいよ。今度ご馳走してくれ」 俺は無理と思いつつ、おごられたままも気まずいと思い、懇親会の話をしてみようかと考えたが、当面仕事以外で会いたくない気持ちが勝った。 あ、俺、謝ったほうがいい? いいよな。わかってる。わかってる、けど。 考えていると、駅とは反対方向に歩いていることに気づいた。 「悪い、俺こっち」と言うと、黒岩がいぶかしげに俺を見た。 「今日はネカフェに泊まるから」 適当に流してこの場を去ろうとしたが、黒岩が納得しなかった。 面倒くさい説明をするはめになる。 「俺が住んでるとこ普通の一軒家の2階部分を貸し部屋に変更したとこで、真下が大家さんなわけ。響く階段でさ、門限ってわけじゃないけど、0時過ぎると嫌がるんだよ」 「大変だな」 「まあ、過ぎなきゃいいだけだから。じゃあ」 腕をつかまれる。 「うちにおいで。泊まっていけばいい」 「え」 いやいやいや。 俺は早くひとりになりたいんだって。 「迷惑だろ」 お前も、俺も。 「迷惑じゃない。俺の責任でもあるし。泊まってくれると嬉しい」 問答無用の笑顔で押し切られる。 今日は、厄日だ。 二階建ての一軒家に足を踏み入れると、三匹の猫たちが俺を出迎えてくれた。 どこか温かい空気が漂っていて、少し緊張がほぐれる気がした。 「家族は?」と、つい尋ねてしまった。 「両親はマンションがいいと出て行った。姉たちは海外だから、ここに住んでるのは俺だけだ」と、黒岩が答える。 内心でほっとする。 もしも二人きりだったら、こんなに居心地のいい雰囲気にはならなかっただろう。 猫たちに感謝だ。 「風呂用意するから、適当に――」 「シャワーでいい」 「そうか」 黒岩が俺のために部屋着を持ってくる。 「先に入るといい。これ、使ってくれ」 遠慮する気力もなく、言われるがままに浴室に向かう。渡された部屋着に袖を通すと、若干大きい気がするが、それはただの誤差だ。 「お先にどうも」と、軽く礼を言って部屋に戻ると、黒岩が俺の髪に目をやる。 「髪濡れたままだぞ」 「そのうち乾く」 黒岩は自分もシャワーを浴びに行き、戻ってくると、ドライヤーを手にして俺の髪を乾かし始めた。 「いいって」と、断ろうとする俺に、黒岩は「俺がしたいんだ」と静かに答える。 その優しい手つきに、どこか懐かしい気持ちが胸を満たす。 子供の頃、両親にドライヤーをかけてもらっていた時のことを思い出す。 弟に邪魔されて、あまり機会はなかったけれど、それでもその記憶は温かいものだった。 黒岩は本当に面倒見のいいやつだ。 きっと、余裕があるから他人にも優しくできるんだろう。俺にはそんな余裕はない。一つのことで手一杯だから。 周りには猫たちが寄ってくる。 「猫の世話って大変じゃない?3匹も」と尋ねると、黒岩は微笑んで答えた。 「世話のしがいがある。最近はあまり手がかからなくなったから、残念だ」 手がかからなくて残念、なんて、俺には理解し難い感情だ。 「名前。猫の」 「膝の上がミツイ、隣がミヤギ、足元がアンザイ」 「なにそれ、バスケ漫画じゃん。好きなんだ?」 「さすが、バスケ部だな」 その言葉に、少し驚いた。 「え?」 「インターハイ。試合見にきてただろ?」と黒岩は静かに告げた。 彼がそんなことを覚えていたなんて、信じられない。 あの頃から、彼も俺を知っていたのか。 「興味をもった、きっかけだ」と、黒岩は続けた。 俺が聞き返すと、彼はただ「乾いたぞ」と言いながら、ドライヤーを止めた。 「ああ……ありがとう」と、俺は感謝の言葉を口にするが、どこか名残惜しい気持ちが残っていた。 翌朝、猫たちの「ごはんくれ」と言わんばかりの声で目が覚める。ふと時計を見ると、もう朝食の時間だ。 「一旦家に帰るだろう?朝、食べる時間あるか?」と黒岩が尋ねる。 俺は頷いて席に着いた。 朝食は食パン、ベーコンエッグ、サラダ、スープが並んでいた。 黒岩が料理をするなんて意外だった。 「和食派だった?」と黒岩に尋ねられ、「食べない」と答えた。 「ギリギリまで寝てる派か?」とさらに聞かれ、「いや、前髪あげるのに時間かかるから」と答える。 前髪をセットして額を出すことで、気持ちにスイッチが入る。 それは俺なりの儀式のようなものだが、こんなことを説明しても、きっと理解されないだろう。 食欲はなかったが、目の前に用意されたものを無下にはできない。 仕方なくスープを一口飲んだ。 「……うまい」 その優しい味がしみて、思わず笑みがこぼれた。 自然と夢中になって食べてしまった。 「口にあってよかった」と黒岩が言う。 俺は少し照れながら、「すごいな、料理。俺なんか、家では栄養補助食品ばっかり」と答える。 「飽きないか?」と彼が尋ねるが、「うーん?気にしたことない」と俺は首を振る。 「そうか……」と黒岩が呟く。 腹が膨れてくると、妬む気持ちがどんどん薄れていく。 「すごいよな」と俺はふと思ったことを口にする。 「仕事だけじゃなくて、私生活までちゃんとしててさ。俺、不器用だから一つのことしかできなくて」 黒岩がニヤニヤと微笑む。 「なんだよ」と俺が問うと、「いや、褒められると気分いいなと思って」と彼が返す。 「慣れてるだろ」と言うと、「そんなことない。ありがとう」と黒岩は言う。 その言葉が、俺の心に響いて、少し恥ずかしくなった。 今まで感じていたしんどさは、栄養不足が原因だったのかもしれない。栄養補助食品だけでは、やはり限界があるんだろうな。俺もこいつを見習って、自炊を始めるかな。

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