4 / 24
第3話
連れてこられたのは、俺もたまに利用する近所の居酒屋「ふく助」だった。
ここの女将さんは優しい雰囲気で、俺のことを覚えてくれている。
「カウンターでいいですか? あら、お連れさんがいるのね。テーブルにしましょうか」と、奥のテーブルに案内された。
女将さんは俺が好きなクレープグラタンを勧めてくれたが、黒岩と一緒じゃ味わえないと思い、断った。
ビールを頼み、適当に料理を注文する。黒岩は俺に敬語を使わないよう提案してきたが、俺は敬語のほうが楽だった。
会話が始まると、黒岩は突然「入社式覚えてるか?」と聞いてきた。
「ああ、もちろん。俺たちの年からグループ合同でやるようになったよな」と俺が答えると、黒岩は「荒井さんがドッペルゲンガーの話をしていたけど、似てないのにな」と鼻で笑った。
また、「似てない」だ。俺が口に出さなくても、全てが黒岩のほうが上だ。
どんなに努力しても、中の上にしかなれない俺と、親会社で輝いている黒岩。
比べるまでもない。
「黒瀬さんはいつも口角が上がっていて、周りに人がいる。人を引き寄せる魅力があるんだよな」と、黒岩が続けた言葉が俺の胸に刺さる。
なんだそれ。
「俺は無愛想とよく言われる。全然似てないよな」
優しい笑みが、鼻につく。
「完璧なヤツだと思った。だから、仕事以外ではあまり関わらないようにしようと思ったが――休みの日、意外な一面がみれて安心した」
気づいていたのか。
スーッと口角が下がる。
指先から冷たくなる。
アレをみて、意外な一面だって?
カッと頭に火がついたように熱くなった。
「冗談。笑えない」
声が鉛となり地面にめり込む。
「俺が完璧?どこみてんだよ」
怒りが抑えられなかった。
「一回戦負けの俺と、決勝進出のお前。新入生代表とその他大勢。子会社と親会社。完璧なのかお前だろ」
「どんなに頑張っても中の上どまりの俺の気持ちわかるかよ!」
「黒瀬、俺は――」
黒岩は何か言おうとしたが、その瞬間、彼のスマホが鳴った。
俺は店を出るように促し、黒岩も外に出た。
その瞬間、全てがどうでもよくなった。
良好な関係を保とうとしていたが、もう終わりだ。俺は疲れ切って、居酒屋のテーブルに突っ伏した。
目を覚ますと、店内には俺と黒岩しかいなかった。時計を見ると日付が変わっていた。
「起こしてくれよ」と俺が言うと、黒岩は「俺も寝てた」と目を逸らした。
女将さんに謝り、店を出たところで「支払いは済ませておいた」と黒岩が言う。
「払う」
「いいよ。今度ご馳走してくれ」
俺は無理と思いつつ、おごられたままも気まずいと思い、懇親会の話をしてみようかと考えたが、当面仕事以外で会いたくない気持ちが勝った。
あ、俺、謝ったほうがいい?
いいよな。わかってる。わかってる、けど。
考えていると、駅とは反対方向に歩いていることに気づいた。
「悪い、俺こっち」と言うと、黒岩がいぶかしげに俺を見た。
「今日はネカフェに泊まるから」
適当に流してこの場を去ろうとしたが、黒岩が納得しなかった。
面倒くさい説明をするはめになる。
「俺が住んでるとこ普通の一軒家の2階部分を貸し部屋に変更したとこで、真下が大家さんなわけ。響く階段でさ、門限ってわけじゃないけど、0時過ぎると嫌がるんだよ」
「大変だな」
「まあ、過ぎなきゃいいだけだから。じゃあ」
腕をつかまれる。
「うちにおいで。泊まっていけばいい」
「え」
いやいやいや。
俺は早くひとりになりたいんだって。
「迷惑だろ」
お前も、俺も。
「迷惑じゃない。俺の責任でもあるし。泊まってくれると嬉しい」
問答無用の笑顔で押し切られる。
今日は、厄日だ。
二階建ての一軒家に足を踏み入れると、三匹の猫たちが俺を出迎えてくれた。
どこか温かい空気が漂っていて、少し緊張がほぐれる気がした。
「家族は?」と、つい尋ねてしまった。
「両親はマンションがいいと出て行った。姉たちは海外だから、ここに住んでるのは俺だけだ」と、黒岩が答える。
内心でほっとする。
もしも二人きりだったら、こんなに居心地のいい雰囲気にはならなかっただろう。
猫たちに感謝だ。
「風呂用意するから、適当に――」
「シャワーでいい」
「そうか」
黒岩が俺のために部屋着を持ってくる。
「先に入るといい。これ、使ってくれ」
遠慮する気力もなく、言われるがままに浴室に向かう。渡された部屋着に袖を通すと、若干大きい気がするが、それはただの誤差だ。
「お先にどうも」と、軽く礼を言って部屋に戻ると、黒岩が俺の髪に目をやる。
「髪濡れたままだぞ」
「そのうち乾く」
黒岩は自分もシャワーを浴びに行き、戻ってくると、ドライヤーを手にして俺の髪を乾かし始めた。
「いいって」と、断ろうとする俺に、黒岩は「俺がしたいんだ」と静かに答える。
その優しい手つきに、どこか懐かしい気持ちが胸を満たす。
子供の頃、両親にドライヤーをかけてもらっていた時のことを思い出す。
弟に邪魔されて、あまり機会はなかったけれど、それでもその記憶は温かいものだった。
黒岩は本当に面倒見のいいやつだ。
きっと、余裕があるから他人にも優しくできるんだろう。俺にはそんな余裕はない。一つのことで手一杯だから。
周りには猫たちが寄ってくる。
「猫の世話って大変じゃない?3匹も」と尋ねると、黒岩は微笑んで答えた。
「世話のしがいがある。最近はあまり手がかからなくなったから、残念だ」
手がかからなくて残念、なんて、俺には理解し難い感情だ。
「名前。猫の」
「膝の上がミツイ、隣がミヤギ、足元がアンザイ」
「なにそれ、バスケ漫画じゃん。好きなんだ?」
「さすが、バスケ部だな」
その言葉に、少し驚いた。
「え?」
「インターハイ。試合見にきてただろ?」と黒岩は静かに告げた。
彼がそんなことを覚えていたなんて、信じられない。
あの頃から、彼も俺を知っていたのか。
「興味をもった、きっかけだ」と、黒岩は続けた。
俺が聞き返すと、彼はただ「乾いたぞ」と言いながら、ドライヤーを止めた。
「ああ……ありがとう」と、俺は感謝の言葉を口にするが、どこか名残惜しい気持ちが残っていた。
翌朝、猫たちの「ごはんくれ」と言わんばかりの声で目が覚める。ふと時計を見ると、もう朝食の時間だ。
「一旦家に帰るだろう?朝、食べる時間あるか?」と黒岩が尋ねる。
俺は頷いて席に着いた。
朝食は食パン、ベーコンエッグ、サラダ、スープが並んでいた。
黒岩が料理をするなんて意外だった。
「和食派だった?」と黒岩に尋ねられ、「食べない」と答えた。
「ギリギリまで寝てる派か?」とさらに聞かれ、「いや、前髪あげるのに時間かかるから」と答える。
前髪をセットして額を出すことで、気持ちにスイッチが入る。
それは俺なりの儀式のようなものだが、こんなことを説明しても、きっと理解されないだろう。
食欲はなかったが、目の前に用意されたものを無下にはできない。
仕方なくスープを一口飲んだ。
「……うまい」
その優しい味がしみて、思わず笑みがこぼれた。
自然と夢中になって食べてしまった。
「口にあってよかった」と黒岩が言う。
俺は少し照れながら、「すごいな、料理。俺なんか、家では栄養補助食品ばっかり」と答える。
「飽きないか?」と彼が尋ねるが、「うーん?気にしたことない」と俺は首を振る。
「そうか……」と黒岩が呟く。
腹が膨れてくると、妬む気持ちがどんどん薄れていく。
「すごいよな」と俺はふと思ったことを口にする。
「仕事だけじゃなくて、私生活までちゃんとしててさ。俺、不器用だから一つのことしかできなくて」
黒岩がニヤニヤと微笑む。
「なんだよ」と俺が問うと、「いや、褒められると気分いいなと思って」と彼が返す。
「慣れてるだろ」と言うと、「そんなことない。ありがとう」と黒岩は言う。
その言葉が、俺の心に響いて、少し恥ずかしくなった。
今まで感じていたしんどさは、栄養不足が原因だったのかもしれない。栄養補助食品だけでは、やはり限界があるんだろうな。俺もこいつを見習って、自炊を始めるかな。
ともだちにシェアしよう!