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第8話
共同生活が始まってから、俺の日常は驚きの連続だった。
朝の光が薄らと差し込む中、いつものように「おはよう」と黒岩に起こされ、一階へ降りていく。
彼はソファに座って待っており、俺は彼の膝を枕に仰向けで横たわった。
「蒸しタオルのせるよ」と、黒岩の優しい声が響く。
顔全体に蒸しタオルがのせられ、その絶妙な温かさに心地よさが広がる。
蒸しタオルが終わると、次は髭剃り、そして仕上げは冷やしタオル。
これでようやく目が覚める。
ダイニングテーブルには朝食が整然と並んでいて、俺はその光景に目を輝かせた。
「今日は鮭だな! まるで旅館の朝食みたいだ」
思わず声が漏れる。
「時間があったからね。食べよう」
黒岩が微笑んだ。
「いただきます。うまっ」
一口食べると、自然に笑みがこぼれた。
「よかった。魚が好きなんだな」
「一人じゃなかなか食べないから、こうして出してもらえると特別感があるんだよ」
「特別感かあ」
「黒岩の卵焼きも好き。甘じょっぱい感じが絶妙でさ」
「今日はたくさん褒めてくれるね? 昨日は話しかけても反応してくれなかったのに」
「昨日は…半分寝てたんじゃない?」
「パンだからじゃなくて? 昨日は目玉焼きだったし」
「パンも好きだけど?」
「目玉焼きは?」
「…普通かな」
「普通か~」
黒岩は少し残念そうな顔をしたが、俺は笑って答えた。
「いいじゃん。全部食べるし」
「残さず食べて、いい子だね」
「いい子だろ〜」
俺たちはまた笑い合った。
食事が終わると、黒岩は「食べ終わったら髪をセットしよう」と言い、俺は「うん」と頷いた。
「今日のスーツは部屋にかけておいたよ」
「昨日のスタイル、女性陣から好評だったんだ」
「そうか、似合うと思ったんだよ」
黒岩が誇らしげに言った。
俺なら絶対に選ばない色のネクタイや、柄物のワイシャツ、タイトなスーツ――それらを身に纏うと、同僚たちから「いつもと違う」とか「雰囲気が違う」といった声が上がった。
女性たちは細かいところまでよく見ているものだと感心する。
自分では無難な選択肢しか選ばないから、こうした変化は新鮮だった。
その日、不動産協会が主催する講習会があった。
会場に着くと、営業所勤務の同期が声をかけてきた。
内心、一人で過ごせると思っていたのに、残念な気持ちがよぎる。
オンラインにすればよかったと、少し後悔した。
悪いやつじゃないが、彼はおしゃべりが好きで、話していると疲れる。
「昔より顔色が良くなったな」
「そうか?」
「色は相変わらず白いけど、昔は青白かったよな。健康的じゃなかった」
「そうか?」
「彼女ができたんじゃないか? 毎日手料理食べてるんだろ?」
手料理は食べているが、彼女じゃない。
黒岩が作ってくれているんだ。
「いないよ」
「隠し事するなよ? 俺たちの仲だろ」と彼が迫る。
ただの同期だよ、と思いながら、俺は適当に流す。
噂好きの彼に言えば、すぐに社内中に広まってしまうだろう。
確かに、最近の俺は以前より健康的になった。
以前のように週末に疲れ果てて屍のようになることもない。
バランスの取れた食事をしているおかげだろう。
これは、間違いなく黒岩のおかげだ。
「俺は彼女できたぞ。Fカップなんだぜ! 写真見るか?」
ああ、こいつは巨乳好きだったな、と心の中で呟きながら、ふと、黒岩の好きなタイプってどんな子だろうと考えた。
世話好きだから、相手は世話好きじゃない方がいいのか?
わがままなタイプとか、何もできないお嬢様タイプとか?
それとも、巨乳好きなのか?
彼女ができたら、出ていかないといけないんだよなーー
考えはまとまらないし、聞きたくもない彼女話をされるしで、頭が痛くなってきた。
早く講習会が始まらないかと願いながら、不毛な会話が終わるのを待つ。
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