5 / 30
第5話 お礼と脅迫
2 お礼と脅迫
地下鉄を乗り継ぐこと三十分。最後の地下鉄は途中から地上を走って最寄り駅に着く。
香乃子が駅を出て歩き始めると黒塗りの車が近づいて来た。
「香乃子じゃないか。乗ってくかい?」
後部座席の窓が開いて顔を出したのはスーツ姿の祖父だった。隣には母の弟である叔父が座っている。白髪の家系だから祖父が真っ白な頭で、叔父が灰色とまるで色見本である。
今日は木曜日、ノー残業デーだった。
「いい。歩いて行く」
香乃子が首を横に振ると祖父は、
「今日はみんなでご飯の日だよ。よかったら後で来なさい」
と言って窓を閉めた。車は静かに走り去った。
家までの十五分ぐらい歩きたい。
香乃子が幼い頃はまだ駅前に田畑が残っていた。
今は駅ビルがあり駅前ロータリーもある小奇麗な街になっている。都心に通勤圏内とのことで人気上昇中の駅だった。道はやがて静かな住宅街に入る。
ここがただの里山だった頃、興行会社を創設した曾祖父が土地を安く買い占めて一角に庭付きの広い家を建てた。今そこには祖父と叔父一家が暮らしている。
数軒おいた先に、その屋敷の娘である母と父が建てた家がある。4LDKの広さの当り前の建売住宅である。二階には香乃子と兄の部屋が並んでいる。
嘘か誠か知らないが、駅から家までの土地は全て曾祖父が買い占めたものだから香乃子が歩く道に他人の土地はない。
母はいつもそう自慢している。その度に父が決まって、
「でも相続税でどんどん減って行く。駅前ロータリーのあたりはもうよその土地だ。おととし、ひいおばあさんが亡くなってバス通り辺りまで全滅したな」
などと言い、母が嫌な顔をするのもお決まりだった。
クリスマスや正月など人寄せの時には、祖父の屋敷に集まるのが一家の倣いである。
それでなくとも母は何かといえば祖父の家に行っていた。多少なりともあった家族への遠慮が消えたのは、兄の聖都が音大受験を決めてからである。
グランドピアノのある祖父の家は音楽大学のピアノ科を目指す兄には最適の環境だった。兄は祖父の家に下宿して受験勉強に励み、この春見事に音大に合格した。以来、母も兄もそちらに住まうようになっていた。
母はまるでパート家政婦であるかのように、この小さな建売住宅に帰って来ては掃除洗濯を済ませて実家に戻る。
たまにここに泊まるのは、
「香織は芦田さんのところにお嫁に行ったんだぞ。聖都の下宿は引き受けたが、おまえに実家に戻れと言った覚えはない」
と祖父にぴしゃりと言われた時ぐらいである。
毎週木曜日、会社はノー残業デーで祖父達は十八時には仕事を終えて帰って来る。一族揃って夕食をとるのが習慣だった。
幼い頃は香乃子の一家も参加していたが、さすがに最近は行かなくなっていた。
今夜は香乃子が帰宅した時、珍しく母や兄が戻っていた。
ダイニングテーブルに向かい合って父と兄はビールを呑んでいる。テーブルには鶏の唐揚げやポテトサラダが出ている。
「今度うちの会社で女子高生を集めてインタビューをするんだ。十代の愛と性について」
と広告会社社員の父が言えば、兄が応じる。
「十代の性って……今時の女子高生で処女なんかいないだろう」
唐揚げの湯気なのか兄の眼鏡レンズはやけに脂っぽく光って見える。
二人の話を信じるなら、未だ処女である香乃子は〝今時の女子高生〟ではないのだろう。安土音也と学校でセックスをしていた生徒こそが正しい今時の女子高生に違いない。
ぐったり疲れて「ただいま」だけ言うと、キッチンで食べ残した弁当を捨てて弁当箱を洗った。
「だめじゃない。お昼をちゃんと食べなかったの?」
と味噌汁を作っていた母が言う。
「今日は田端さんの唐揚げやポテサラを持って来たのよ。お食べなさい」
「いらない。チョココロネ食べて来た」
と断り早々にダイニングキッチンを後にした。
田端さんとは祖父宅の料理人である。この家の料理は田端さんの手作り料理がメインである。今夜のように母が出来立てを持って来ることもあるし、それを冷凍した物もある。
他に料理と言えばデパ地下総菜、取り寄せ総菜などである。
時に妙にまずい料理があれば間違いなく母の手料理である(たぶん今夜の味噌汁も微妙な味だろう)。
階段を上って二階の自室に入ると、制服のままベッドに寝転がった。
ポケットから名刺を出す。カフェラテをぶちまけた時に握り締めたから、くしゃくしゃになっている。皺を伸ばして改めて中園龍平の名前を見るのだった。
父や兄の会話を聞くにつけ、中園龍平はこれまで会ったことのない種類の男性に思える。
大体カフェラテを浴びせたにも関わらず自分に非があったと女子高生に頭を下げたのだ。大人の男性にあのような対応をされたのは生れて初めてである。
スマホがLINEの着信を告げる。母からだった。
〈十一月の岡山行きは今年も一日から三日と決まりました。空けておいてください〉
ダイニングキッチンから送っているらしい。直接言えばいいものを。
岡山は曾祖父の出身地である。本家があり曾祖父が会社を興した十一月に創業の地で毎年記念式典がある。パーティーと余興と。
何もひ孫の兄や香乃子までが出席する必要はないのだが、家系を大切にしている母がそれを望むのだ。
何やら鬱陶しいばかりである。学校も家も少しも楽しくない。
安土音也と知り合って初めてのキスをして、やっと楽しくなったと思いきや元の木阿弥である。
忘れようとしても、あの光景が繰り返し頭に浮かぶ。
香乃子は高校を出たら同じくセントテレジア女学館の大学部へ進学することが決まっている。一定の成績を修めている生徒は希望すれば自動的に進学できるのだ。
二年生になってすぐに進路相談があった。
「芦田さんの成績なら大学部への進学は問題ないですね」
という担任教師の言葉に「そうですか」と頷いて、気がつくと進学希望書を書く流れになっていた。両親も特に何も言わずに署名をした。
香乃子には他に特別な志望などなかった。兄のように特にピアノがうまいわけでもない。共にピアノを習い始めたのに香乃子は途中で飽きて止めてしまった。
音楽教師に心ひかれたのは何かそんな影響があったのだろうか。あの脂ぎった眼鏡の兄と安土音也を同列に考えたくはないが。
改めて中園龍平の名刺を眺めれば、QRコードがついている。ベッドに投げ出したスマホを取ると、それを読み込んでしまうのだった。
翌日登校すると香乃子の席で菱木忍 が待っていた。同じ二年生の陸上部員だが違うクラスである。
「春の都内女子高ハーフマラソン出るんでしょう。練習しておかないと完走できないよ」
と言って自分の教室に戻って行った。
それだけを言いにわざわざやって来たのか。確かに朝練はサボったけれど。
香乃子が陸上部に属しているのはスカウトされたからに過ぎない。
瞬発力があるから短距離走の記録は良い。けれど長距離はだれてしまって何なら途中で棄権したい程である。
一年生の時の高校選抜駅伝大会は散々な結果だった。
香乃子がタスキを受け取ってから数人の選手に抜かれて敗因となった。体育館で壮行会まで開かれたのに情けない結果である。
その時に陸上部は辞めると宣言したのに、菱木忍や顧問教諭に散々に説得されて辞めるのを諦めたのだ。そのどさくさ紛れに都内女子高ハーフマラソン大会は欠場していた。
また長距離など負けるに決まっている。放課後の練習に渋々顔を出して、今年も欠場すると呟いただけで、
「そんなわがまま言うもんじゃないの。芦田さんは出場できるタイムを持ってるんだから」
と顧問教師に一蹴されただけだった。
出場資格のタイムなんかいらないのに。
ちなみにこの日は校内で安土音也と顔を合わせることはなかった。
中園龍平が柏家音丸とつきあい始めて間もなく半年程たつ。
落語家は世間の人々が休んでいる時こそ忙しい。それはようやく理解したものの、納得したわけではない。
世間が夏休みの間、寄席は夏の特別興行で音丸は連日各寄席に出演していた。その合間を縫って地方公演に回ったり大忙しだったのだ。
九月になってようやく会えたというのにキスひとつ出来なかった。せめてハグだけでもと思ったけれど、乱闘騒ぎのどさくさに鼻血を流して抱かれるなんぞ情けない限りである。
大体、前にデートをしたのはいつだったのか。
いや正直に言えば、セックスをしたのがいつだったのか実に遠い記憶である。
知り合った当初は頻繁に抱き合った気がするが、ここ数か月は顔を合わせることすらままならなかった(高座姿を眺めるのはデートではない)。
落語家の世界には厳然たる身分制度がある。見習い、前座、二つ目、真打、ご臨終……というのはよく言われる冗談だが、死ぬまで現役である。
何しろ九十才の落語家が現役で高座に上がっているのだ。若手とは四十代、五十代だったりする。
弱冠二十九才の二つ目である音丸は、気安く使われる下っ端で自由などないに等しい。
落語家の仕事は殆ど午後からである。仕事が終わればサラリーマン世界では考えられないような凄まじい呑み会がある。
先輩やご贔屓様に誘われれば決して断れないし、たまには後輩にも奢らねばならない。帰宅するのは殆ど明け方。それから眠って午後からまた仕事に行く。
九時から十七時までが定時の龍平とは生活時間帯がまず違う。
そんな時差を乗り越えてやっと会えたと思ったのに……。
考えれば考える程あの時、紳士ぶって余計な口出しをした自分が悔やまれる。
音丸から今日会いに行くとメールがあったのは九月も終わる頃だった。LINEの嫌いな男である。
仕事中にそれを見た龍平は、昼休みに会社の外に出た。首に掛けたIDカードは胸ポケットに入れてデパートに出かけると地下食品街を見て歩く。
〝森伊蔵〟は音丸の好きな焼酎である。少し高いがこの際奢ってやろう。
ともだちにシェアしよう!