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第24話 飛躍の再生
⒑ 飛躍の再生
音丸は香乃子がダイヤルするなり電話に出たらしい。
「あっ、音丸さんですか。芦田香乃子です。はいっ。ラポール・ファミリオ・グループ真垣宗太郎の孫です」
そう名乗る香乃子に少しばかり違和感を覚える。
と同時に忌々しさも感じる龍平である。
なるほど。音丸ときたら自分の電話はスルーするくせに、ラポール・ファミリオ・グループの関係者になら即座に応答するのかと(いや音丸は香乃子の番号を知らないはずである。仕事関係と思って電話に出たのだろうが)。
香乃子は今日この後で音丸に会いたいと無茶なことを言っている。
音丸は忙しいのだ。龍平だってその日のうちに会えることは滅多にないのに。
だが、それにも音丸は応じたらしい。
やはりラポール・ファミリオ・グループの孫娘……って、何でこの会社はこんなに長い名前なんだ⁉
RFGにすりゃいいだろうが!
ほとんど八つ当たりである。
「カラオケボックスですね? あっ、いえ大丈夫。音丸さんと二人きりじゃないです。友だちと一緒に行くから三人です」
と香乃子は電話の相手に見せるかのように龍平の肩を叩いている。
「えっ? ちょ、ちょっと……僕は行かないよ」
と言った時には「じゃあ、後で」と香乃子は電話を切っていた。
「夕方にカラオケボックスでお稽古をするそうです。その前に少し時間をもらいました」
にっこり笑う女子高生に龍平は返す言葉もない。
音丸が防音効果の高いカラオケボックスで落語の稽古をすることは知っていた。けれどその時間を割いてもらうなど、これまでに考えたこともなかった。
好きな人の都合を優先させるのは当然と思ってひたすら遠慮して来たのだ。
なのに音丸は恋人より、RFGの孫娘を優先するのか。
いや、そもそも自分は恋人なのか?
単なるセフレなのではないか?
半年つきあって飽きたから捨てられたんだろう?
などと自尊心ずたずたの中園龍平はまたもどす黒い思考に捕われるのだった。このところ毎晩のように思い悩んではろくに眠れていないのだ。
反対にこの上もなく健康的に日焼けした芦田香乃子は実に清々しい表情である。それを見るにつけ、龍平の目つきは恨めしげになるばかりである。
テーブルの上には一皿のパンケーキがある。ぶ厚い二枚重ねのパンケーキには、山盛りの生クリームと彩り鮮やかなカットフルーツがどっさりのっていた。
音丸がカラオケボックスにやって来た時、ソファに並んで座った龍平と香乃子はそのスイーツをシェアしていた。飲み物は共にアイスティーである。
ドアを開けた音丸は室内を見て呆然と突っ立っている。例によって黒いコートに黒いハイネックのトレーナー黒いザックを背負っている。
香乃子は「どうぞ」と席を立って龍平の隣を譲った。龍平は緩めていたネクタイをそっと結び直した。土偶のような目は隠しようもないが。
「私、家に遅くなるって電話して来ます」
と香乃子はスマートフォンを持って部屋を出て行った。
音丸はその背中を見送りながらまだ戸口にいる。
知らんふりでフォークを持ってパンケーキを口に運ぶ龍平である。
音丸はこちらを見ないままフロントに内線で飲み物を注文している。そしてザックを下ろすと龍平の向かい側に腰を下ろした。ようやく口にした言葉は、
「悪かった」
だった。
久しぶりに聞くエフ分の一の揺らぎがある低い声。龍平は身も心も震えるような思いである。
音丸はといえば隣のザックに手をかけてそっと優しく撫でている。
それは相手が違うんじゃないか?
切れ長の目をちらりと見やって、
「いいよ。僕、別れてあげる」
「何だそれ?」
「音丸さんは別れたいんだろう」
「誰もそんなこと言ってない」
「だって東京に帰って来てるのに、ちっとも連絡くれないじゃないか」
フロントの店員が烏龍茶を持って来た。音丸はそれを一口飲んでから、
「色々と面倒なことが……。終わってから連絡するつもりだった」
「なら、何でそれを言ってくれないの?」
「だから……色々と、つまり……その」
音丸はうまく説明できないらしい。手をひらひらさせたり顔を擦ってみたりしている。
「あんたそれでも落語家か?」
「何を言ってもおまえは泣くじゃないか」
「そんなことないよ!」
と言いながら龍平は既に目頭が熱くなっている。
「ほらまた!」
音丸は鬼の首でも取ったかのようだ。
あわてて手拭いで顔を拭く(涙ではなく汗を拭いていると言わんばかりに)。
そこに香乃子が戻って来た。
龍平の隣に座ると慰めるように肩をぽんぽん叩く。いつの間にやら立場が逆転している。
「私、龍平さんとはただのお友達ですから」
香乃子は音丸に向かって決然と言う。
「はい?」
と音丸は首を傾げて見やる。
女子会よろしくパンケーキをシェアして食べているうちに、龍平は楽屋の喧嘩について全て打ち明けてしまっていた。
「僕の読みでは、あいつはきっと地方で浮気している」
「うそっ。音丸さんてそういう人だったの?」
「あれで結構もてるんだよ。男にも女にも。師匠のお供で女の子のいる店に行ったりして。服に香水の匂いなんかつけて帰って来るんだ」
「うそーっ! やだーっ! Otto&リューは尊いのに! 永遠でなきゃいや!」
ほとんど女子会だった。
そんな事は知る由もない落語家の前で、
「もう泣かないでください」
と香乃子は龍平の背中を撫でて慰めている。
そして音丸に向かって、
「改めてちゃんとお礼をしたかったんです」
と宣言するのだった。
二人のお蔭で人生が変わろうとしているなどと大袈裟に話し始めるのは、先ほど喫茶室瀧川で聞かされた体育大学への進路変更の件である。
「ありがとうございました」
ひとしきり語って、深く頭を下げる香乃子に対して、
「とんでもないことでございます」
と返す音丸である。
龍平はテーブルに包装紙に包まれた二つの箱を並べて見せた。
「彼女からお礼にネクタイをもらったよ。デザイン違いだって。どっちがいい?」
「どっちでもいい」
相変わらずにべもない音丸である。
龍平には見向きもせずに音丸は、まっすぐ香乃子を見つめている。
「少し伺いたいんですが、ラポール・ファミリオ・エンタテインメントはご存知ですか?」
「……グループ会社のひとつです。叔父が社長をやっています。岡山の創業祭も叔父がメインで企画して他の会社も参加したようだけど……ごめんなさい。仕事のことはよく知らなくて」
「いえ、充分です。実は来週早々に、その会社に行く予定でして」
「落語の仕事?」
と龍平が口をはさんだのは、もちろん嫉妬である。やはり音丸はRFGの孫娘に興味があったのか。
じろじろと二人を見比べている龍平を、音丸は制するように鋭い目で睨みつけた。
「呼び出されたんだ。その会社にとある情報が入ったそうで、確認したいと言われた」
「それって、落語家が女子高生に暴力をふるったとか……そういう噂ですか?」
と香乃子。
音丸は黙って烏龍茶を飲んでから、少しばかり首を傾げて香乃子を見つめた。音丸がこの姿勢になるのは、かなり真剣な時である。
「ご存知でしたか。創業祭でそういった不祥事があったとSNSで拡散されたようです。ラポール・ファミリオ・エンタテインメントでは既に、発信者情報の開示を請求しているようです」
「さすがに初動が早いね。彼らは訴訟でも起こすのかな?」
と言う龍平に音丸が目をやった。この部屋に来て初めてまともに顔を合わせたと言っても過言ではない。
「らしい。ただその噂を信じて私の仕事を断わって来た会社もある。学校公演七件が飛んだ」
「七件もキャンセルされて大丈夫なの?」
「代わりに刑務所慰問の仕事が入ったんでとんとんだ」
「刑務所慰問て……真逆」
手拭いに顔を埋めた龍平は声を殺して笑ってしまう。
香乃子が肘で身体をつついているのは諫めているらしい。
「私は来週会社に行って社長に動画をお見せするつもりです。あなたの許可があれば、ですが」
「はい?」
「動画?」
香乃子と龍平は殆ど同時に音丸の顔を見た。
音丸は横に置いた黒いザックのポケットからスマートフォンを取り出して、テーブルに置いた。
龍平のLINEメッセージもメールも電話の着信も何もかも無視したスマホである。黒くて四角い機械を睨みつけてしまう。
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