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第25話 飛躍の再生

「とりあえずこれを見てください」  音丸が動画の再生ボタンを押した。  香乃子と龍平とは身を乗り出して小さな四角を覗き込む。  画面の前面を黒い曲線が大きく遮り、その奥に何かが動いているのが見える。 「すみません。もう一度……ちょっと音声を大きくします」  音丸はボリュームを変え再度動画を再生する。  そこには何やら黒い棒のような物が映っている。次第に焦点が絞られて何かの手摺りと判別できる。  よくよく見れば、岡山のホテルのアネックス。十二階の廊下と吹き抜けを遮る唐草模様の手摺りが大写しになっているのだ。  その向こうに柵の裾に両手をかけて中空にぶら下がっているのは、長襦袢に足袋裸足の少女つまり芦田香乃子である。 「えっ? 待って待って待って! これって……この動画って!?」  龍平が食いつくように音丸を見つめれば、大きく頷かれる。 「あの時だ。撮影していた人がいる」 「誰が?」  音丸は少しく言い淀んでいる。  画面では龍平が叫んでいる。 「放すな! 香乃子ちゃん!」  スマホから緊迫した声が響いて来る。 「音丸さん! 掴んでて!」  という自分の言葉に龍平は改めてごくりと生唾を飲み込んだ。  そして身を乗り出してスマートフォンに見入った。  三人が頭を突き合わせるようにして小さな機械を覗き込んでいる。  手前の手摺りの隙間から撮影したのだろう。  焦点が次第に奥の手摺りに絞られて行く。  手摺の裾に縋っている長襦袢の香乃子。  半身を乗り出してその手首を掴もうとする龍平。  その下半身を抱え込んで押さえている黒い服の人物。顔も見えないから、音丸とわかるのは顔見知りだけだろう。  ただ動画の中で最も明確に聞き取れるのは音丸の声だった。 「あんた! 手伝ってくれ!」 「おいっ‼ 待て、この野郎……」  どうもあまり人聞きのいい内容ではないが。  龍平の声など「yes!」だの「OK!」だの日本語を忘れている部分だけである。  十二階から十一階に飛んだ香乃子の姿は見事に捉えられていた。  初めて見る様子に、龍平は今更ながら固唾を飲んだ。  香乃子は長襦袢の袖を翻して、それこそ鳥のように十一階に飛んだ。  その勢いで全身が壁にぶつかっている。 「Ouch!」  思わず呟いてから慌てて手拭いで口を隠す。音丸は半端に英語で喋られるのが嫌いなのだ。  だが画面に釘付けになっていて気がつかないようだった。初見でもなかろうに。  動画の香乃子は床に落ちるや転がって見事に受け身を取っている。  よくあれだけの怪我で済んだものだと安堵する龍平である。 「香乃子ちゃん!! Are you alright!?」  と龍平が叫んだ姿は見えない。音丸に抱えられて廊下の床に倒れ伏していた時である。  あの時の音丸の顔面蒼白な様子を思い出して本気で胸が痛くなる。 「大丈夫です!!」  香乃子の声も吹き抜けに響いて聞こえたがやはり姿は映っていなかった。  動画はそこで終わっている。 「ええっ! あの時、撮ってる人がいたんですか?」 「一体誰が?」  現実の龍平と香乃子が殆ど同時に声を上げた。  音丸は動画を停止してから烏龍茶をごくごくと一気に飲んだ。 「このアングルって、音丸さんの部屋あたりから撮ってない?」  推理する龍平を見やって音丸は、 「その二つ隣の部屋だ」 「……!」  最初に間違えて入ってキスをした部屋である。龍平が目顔で尋ねるのに音丸は軽く頷いた。 「弦蔵師匠の部屋だ」 「音羽亭弦蔵師匠ですか?」  ようやく香乃子は画面から顔を上げた。 「ご存知でしたか」 「だって落語を聞いたし。帰りの新幹線でも一緒になったんです」 「そうでしたか。……師匠は騒ぎを聞きつけて、部屋からドアを細く開けて撮影したようです。それを送ってもらいました。この角度だと多分、床に伏せて撮ってますね」 「てか、何なのその師匠。助けに来ないか普通?」  言われて音丸は微妙な表情だった。 「師匠にもいろいろとご事情が……それで、まあ、とりあえず撮ったそうだ」  あの夜、師匠の部屋には和服のご婦人がいたはずである。その辺の大人の事情だろうか? 「あの、音丸さん。この動画を来週、叔父の会社で見せるんですか?」  香乃子がまっすぐ音丸を見つめて尋ねた。音丸はその目を見返して、 「あなたの許可が頂ければ。あの時の詳しい事情を説明するつもりです」  香乃子は膝に置いた両手で制服のスカートを握りしめている。 「わかるけど……叔父さんとしては創業祭で不祥事があったなんて噂になれば、グループ全体のイメージが悪くなるから。だから音丸さんを呼ぶんだろうけど……でも」 「お察しします。あの時のことを正確に伝えたら、あなたの被害の……何と言うか、二次被害にもなりかねないので」  にわかに香乃子は一人で瞠目した。 「セカンドレイプ?」  この場にいる男性二人は黙り込むしかなかった。 「私……ずっと納得できなかったんです。カウンセラーの言うこと」  香乃子は音丸に向けていた視線をにわかに龍平に向けた。  確かにさっきカウンセリングを受けているとは聞いたが、詳しい内容までは聞いていない。なのに香乃子は言葉を続ける。 「でも、やっぱり私は安土先生にレイプされたんだと思う。カウンセラーの言う通りだと思う」 「彼女はこの時のトラウマでカウンセリング受けてるんだって」  龍平は音丸に小声で教える。  香乃子は二人の男を見ているようで見ていない。きっと自分の心の中を見つめているのだろう。 「この時だって先生に着物脱がされて、こんな目に遭って……でも、そのことが叔父さんに伝わって、もし面白おかしく噂されたら……セカンドレイプになるよね?」  「あなたがお嫌なら無理にとは申しません」  低い声が見事な間で言葉をはさむ。  応じて香乃子は、 「今日は何曜日?」  訳のわからない質問をする。 「水曜日です」  と音丸。  にんまり笑って香乃子が言う。 「木曜日はノー残業デーです」  音丸も龍平もぽかんとするばかりである。 「明日、木曜日の夜なら祖父と叔父が家にいます。二人まとめて会った方がいいでしょう?」  音丸は早速手帳を取り出してスケジュールを調べている。龍平はスマホのスケジュール表を開きながら落語家のアナログさにため息をつく。  音丸は手帳を見ながら、 「夜なら、十八時以降が空いています」 「待ってて」  とその場で香乃子は電話をかけ始める。 「おじいちゃん? お仕事中にごめんなさい。香乃子だけど……」  この少女の手際の良さは何なんだ?  その辺のサラリーマンよりよっぽど出来るぞ。龍平は感心しながら落胆している。自分のスケジュール帳には明日、会社の終業後ミーティングが入っている。  広島の伯母さんの葬儀に出席するために休んだミーティングはサークルの発足式だった。今回はサークル二度目のミーティングである。  ええい、今度は伯父さんを殺してしまえ! 「僕も空いてるから一緒に行こう」  と音丸に向かって言っている。  それに対する答えを得る前に、香乃子が電話に向かって言っていた。 「じゃあ、明日の夜八時頃。柏家音丸さんとおじいちゃんちに行くから、叔父さんも一緒に会ってくれる? うん。じゃあ、それでお願いします」  即座に決まった。明日の夜、香乃子の引率で音丸と龍平が真垣宗太郎会長の家に行くのだ。 「何で龍平まで?」  と渋い顔をする音丸に、 「だって一緒に動画に写ってるから」  香乃子はすまして言うのだった。 「祖父や叔父にお二人で詳しいことを説明してください。私も話すし……」  語尾が小さくなる香乃子を音丸は見つめて言った。 「本当にお嫌なら、無理なさらなくとも。私一人で何とかします」 「そうだよ。香乃子ちゃんがつらい思いをするなら……」  思わず龍平も言葉を添えてしまう。 「ううん。いいの。カウンセラーが言った通りなんだ。私は安土スケベの性暴力の被害者なんだ。ちゃんと認めて自分で告発しなきゃ」  誰だ? 安土スケベって。  龍平の疑問をよそに、香乃子は既に音丸と明日の待ち合わせ時間や場所を詰めている。  そして決然と立ち上がるのだった。にわかに笑顔を浮かべて二人を見比べる。 「私の条件は一つだけです。音丸さんと龍平さんが二人で来てくださること。その時には、そのネクタイを締めて来て欲しい。以上です」  言うなり学生鞄を持ってドアに向かった。左足の捻挫はもうすっかり完治しているらしく力強い足取りである。 「じゃあ、また明日。龍平さん、音丸さん、ありがとうございました!」  と頭を下げると出て行った。  

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