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第29話 天使と落語家
⒔ 天使と落語家
定時で会社を出ようとすると、
「中園! 今日は二度目のサークルミーティングだぞ」
先輩に呼び止められた。
「すみません。伯父の葬式です」
と黒いネクタイをひらひら振って見せる龍平である。もちろん襟元には臙脂色のネクタイを締めている。
電車の中で喪のネクタイをビジネスバッグにしまった。音丸は一人で老緑色のネクタイを締められたのだろうか。
香乃子と待ち合わせたのは、真垣宗太郎邸の最寄り地下鉄駅だった。
改札を出たところで待っていた音丸は案ずるまでもまくスーツ姿できちんとネクタイも締めている。
「音丸さん。自分でネクタイ締めたの?」
と駆け寄ると一歩引かれる。
毎度若干傷つくのだが、音丸は外では龍平との間に少し距離を置きたがる。同性愛者同士と知られたくないあまりだが、今回はそれだけではないらしい。
龍平に向き直ると丁寧に頭を下げたのだ。
「すまなかった」
「何が?」
「岡山からこっち、ずっと連絡しなかった。悪かった……」
そこまで言って、もじもじと言い淀んでいる。
「それはもういいって言ったでしょう」
龍平は殊更に音丸に近づいて腕を叩いた。気安い営業マンと顧客のふり。
改札口から続々と出て来る仕事帰りのサラリーマンには、そう見做して欲しい。
腕に手を掛けたまま、上から下まで音丸を観察する。なで肩だからスーツが似合う体型ではないが、目新しさに見惚れてしまう。老緑色のネクタイは似合っている。
「よくない。本当はあの楽屋で言いたかったんだ」
声は抑えているものの音丸は強い口調である。
黙って頷く。岡山の楽屋ではつい口論になってしまったが、音丸には他に言いたいことがあったのだろう。
「岡山でおまえが……」
「おまえって誰?」
少々嫌味に言う。
「おまえ呼ばわりは好きじゃない」
この際、正直に言ってしまう。初めてかも知れない。
いよいよ口ごもる音丸である。
「龍平が……あそこで落ち、落ちそうになって……それで、もし死んだらと……思ったら」
音丸はまるで今が今、あの吹き抜けを覗き込んでいるかのように青ざめている。
ついその背中を撫でてしまう。
「二度とあんなことはするな。誰が落ちたって構わない。龍平が無事なら……生きてさえいればいい。もし別れて……別々に生きることになっても……」
「はい?」
思わず一歩引いて音丸の顔を見上げてしまう。
「音丸さんは僕と別れたいの?」
「違う! そう、いや、そういう意味じゃなく……だから、生きていて欲しいんだ。どうせチンピラ崩れの落語家だ。愛想尽かされて離れたとしても、おま、龍平には……」
「僕は愛想なんか尽かさない」
「………………」
長い沈黙が続く。長過ぎる。
本気で声が出なくなっているようだった。
「龍平は生きてるだけでいいんだ。もし……離れても好き……だから。生きててくれれば、ずっと好きで……」
ようやく絞り出した声だった。
「僕のことが好きなんだ? だから生きていて欲しい。大好きだって?」
「…………」
音丸は子供のように、こくんと頷くのだった。
つい今しがたまで青かった音丸の顔にみるみる血の気が戻ってくるのは、なかなかの見ものである。にやにやと見上げているところに、
「ごめんなさい! 遅くなっちゃって」
改札口から香乃子が駆けて来た。菫色の制服を着て学生鞄を下げている。
陸上部の練習を途中で切り上げて来たという。
妙に頬を染めている二人の間に納まる女子高生である。
そしてRFGの御大との面会を済ませた二人は、香乃子と共に陸上部員さながらに円陣を組んでから別れたのだ。
地下鉄に乗って龍平のワンルームアパートに帰っても見れば。
ドアを開けた玄関は、男二人が立つには密着するしかない狭さである。そこからワンルームは一望である。
「やっぱうちって玄関サイズだよなあ」
真垣宗太郎会長邸宅の玄関とつい比較してしまう。
殆ど抱き合う形で音丸は、
「会長の家は無理でも彼女の家ぐらいなら買えるかもな。会社員ならローンが組めるだろう」
と龍平のネクタイの結び目に指を掛けている。
龍平はその手を握って阻止しようとするも、臙脂色のネクタイはたちまちシュッと抜き取られる。
「上がってから……」
と制する間もなく、いきなり唇を奪われる。
唇や舌に食らいつくような強引な接吻である。同時に抱きすくめられるが、息も出来ない力強さである。
今までにない激しさに当惑しながら龍平も音丸の身体をまさぐる。常ならば脱がせやすい黒い服なのに、今日はスーツにワイシャツで厳重梱包されている。
音丸はといえば、既に龍平の核心部に触れている。
「あふん……」と吐息が漏れてしまう。
そしてせっかちにも龍平のベルトを緩めたと思うや、いきなり下着ごとズボンを引きずり下ろした。尻まで剥き出しの、いわゆる半ケツ。
「やン」甘い声ながら拒否している。
玄関先である。ドア一枚隔てて外廊下なのだ。
こんな所で恥ずかしい格好をさせてくれるな。
音丸は龍平の物を握って淫靡な愛撫を加えるや、長い指を駆使して上下に激しく動かして来る。
「やめっ……」
拒否する間もなく反対の手でワイシャツも半分剥かれる。ボタンが千切れんばかりの乱暴さである。
アンダーシャツまで脱がせる間もなく布の上から胸に強く口づけされる。
布地を伝って濡れた温もりがじわじわ染み入り、乳首の感度は裸の時より高まっている。
「ああン」とまた変な吐息が出てしまう。
頭が痺れるような快感に腰砕けになって、思わず音丸にしがみついてしまう。
けれど理性が叫んでいる。
だから、こんな所でこんな風に淫乱極まりない愛撫をしてくれるな。
「やだってば! やめ、ちょっ……待っ……」
遮二無二音丸の手を振りほどいた。
理性の勝利!
靴を脱ぐなり部屋に転がり込む。半端に下ろされた下着やズボンで歩行なり難し。いや、うまく歩けないのだ。
頬が熱いのは羞恥と興奮のせいである。
息も絶え絶えに、口元の涎を手で拭う。
「やめてよ。僕……僕、嫌だ! こんなの」
部屋の隅に逃げ込んで情けなく訴える龍平である。
身体は音丸を欲しているのに、恐怖心が先に立つ。
これまでにない強烈な愉悦のその先を知りたくもあり、逃げたくもあり……。
半ケツで座り込んだワイシャツの裾からは半べその本人とは裏腹に、隆々と天を仰いだそれが姿を見せている。
玄関先に立ち尽くした音丸は黙って龍平を凝視している。これまでに見たことのないぎらぎらした瞳である。
慌てて裾で隠す仕草が色っぽく見えたのか、音丸はいよいよ鼻息荒い野獣の顔である。
こんな音丸見たことがない。
「こんなの……音丸さんじゃない! もうやだ!」
いつもならもっと優しく愛撫してキスして気分を高めてくれるのに。
今日のこれは何なんだ?
いきなり半ケツって?
龍平のその様子に、音丸は後ずさりをした。扉に背中を貼り付けてドアノブに手を掛けている。
「……嫌か。すまなかった」
今にも帰りそうな気配である。
忘れていた。音丸は言葉を直で受け止める。
「嫌だ」と言えば「嫌か」と答える。
「嫌よ嫌よも好きのうち」なんてはなから頭にないらしい。素直に過ぎる。
唇を噛みしめて龍平は、耳の端まで真っ赤になりながら、
「嫌じゃない……帰っちゃやだ……」
もじもじと涙目で音丸を見つめる。
「もっと、して……。すごくいい……けど怖いから、もっと優しく……」
両手を差し出し乞い願う。いよいよ顔が燃えるように熱くなっている。
こんな言葉を言わされるなんて羞恥プレイか?
でも黙っていれば素直極まりない音丸は帰ってしまう。
座り込んだワイシャツの裾で隠した物は、もうぐずぐずである……滴っている。
「でも僕、シャワーを浴びてから……」
言い訳がましく言っているうちに、がちゃりと玄関ドアの鍵を掛ける音がした。
えっ!?
今まで鍵も掛けないでこんなことをやっていたのか?
驚く間もあらばこそ、音丸はにわかに靴もスーツも脱ぎ捨てて龍平に襲い掛かって来た。
だから、こんな音丸は知らない!!
正に襲い掛かって来たのだ。
自分でも下を半分脱ぐと、龍平の物に同じぐらい猛っている物を擦りつける。
上下する手が握っているのは二人分である。
「あっ……やっ……」
「やだ」と言いかけて言葉を飲む。「いい」に変える。
「いい……いっ、もっ、もっと……」
共に互いの物を刺激し合っている。
理性とやらはどこに消えた?
またしても音丸は胸に食らいつく。シャツ越しに乳首を舐めては強く噛む。
その度に脳天に痺れるような快感が走る。
激し過ぎる。
今にも息絶えそうな快楽である。何なら世界は揺れる愉悦のゆりかごである。
しまいに音丸はシャツを歯で引き裂いて直接乳首に舌を這わせる。ビリビリとシャツを裂かれる音さえも、快感を増幅させている。
「いいッ、もっ……あうっ……」
刺激に耐えきれない。胸にある音丸の頭を鷲掴みにすると、引き離すつもりが逆に抱き寄せてしまう。
応えるかのように音丸は龍平の肌を噛んでは歯形を残す。さながら肉食獣である。
「ひいッ!」
龍平はもはや悲鳴を上げている。
身体を駆け巡る快楽の炎は脳天まで到達し、今にも頭は弾け飛びそうである。
何も考えられない。声も出ない。自分の意志では何一つ制御できない。
燃える身体は勝手にうち震え、のけぞって悦びを表現している。
酸欠の金魚もかくやとばかりに、口はぱくぱく喘ぐばかりである。
愉悦の怒涛にさらわれて、脳内は真っ白になりそして……
これまでにない短時間の記録を叩き出した。
会えなかった時間の分、愛が凝縮されている。
もう泣きそうになりながら、音丸にしがみついて激しく震えた。
間髪を入れず音丸も「んっ」と震えた。
達するまでの時間より、荒げた息を静めるまでの時間の方が長かったかも知れない。
龍平の破けたシャツや中途半端な下着とズボンを優しく脱がせる音丸に、
「キスしたかっただけなのに……」
などと呟く龍平である。
音丸はそっと額にキスをした。一重の瞳は糸のように細くなって柔和に微笑んでいる。
この時初めて龍平は、いつもの音丸の和風な芳香を感じた。
これこそが龍平の知っている音丸である。
……でも野獣の音丸も嫌じゃない。
たまにはこういう交わりも悪くはないかも。
音丸はそっと裸の龍平を抱き上げてバスルームに向かうのだった。
夢にまで見たお姫様抱っこ!!
その後シャワーを浴びながら二人が二回戦に及んだかどうか。
まして何回戦まで進んだかなど……知ったこっちゃない。
烏カアで夜は明ける。
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