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 撮影が始まってから、一体どれほどの時間が経ったのだろう。20分以上は確実に過ぎていると思うが──ノイズ・ミュージックは微睡み、と言うか意識の喪失を誘発し、記憶は飛石状に紡がれる。  とにかく、己の周囲でウォルティ、あるいはアールが相当荒ぶっていることは確かだ。軽く首を捻り、マーヴィンは見えもしない周囲へ視線を巡らせた。コットンの枕カバー越しにちらちらと踊る影、時折興奮しきった様子でバレットが声を張り上げる。「いいね、最高だ! ウォルティも、もっと身をくねらせて!」言葉を煽り立てるよう、さっと体のすれすれを掠める細い鞭のようなしなり。  例えうたた寝していようと身じろぎしようとお構いなし。マーヴィンに演技指導を付ける人間は皆無だった。  ここまで放置されると、いっそ不安になってくる。ポルノスターだった時に、どうしようもないボンクラの映画監督と仕事をした事を思い出した。彼も確か有名な映画学科出身で、ヴィスコンティだかパゾリーニだかを気取っていたはずだ。モーテルでのゲリラ撮影で焦っていた事もあり、あのひょろっこい青年はいらいらと爪を噛みながら、埃っぽい絨毯を剥げさせる勢いで部屋を行ったり来たりしていたっけ。  その頃マーヴィンは、うっかり田舎の酒場へ迷い込んだ挙句、革ジャンを身につけた髭面のバイカー達にビリヤード台へ縛り付けられて尻を叩かれる、マッチョで大柄な割には意識高そうなナイスガイ役をもう卒業していた。触られたり舐められたりするのは専らペニスだ。  現場まで送迎ついでに混沌を見物していたピエールは、自分では絶対使わない肉棒の所在について、すっかり憤慨していた。もっとまともで、自分を大事にしてくれる人間と付き合わなければいけないと。犬なんか絶対に駄目、ましてやけだものが挿れた後のアナルにぶち込むなんて論外、フィラリアとかになったらどうするんだ。  で、「まともな人間」というものが、他ならぬ自らなのだと、ピエールは真顔で力説した。全く笑えてくるではないか。当時彼は、フェアファックス・アベニューのサロンで働いてた嫉妬深いスタイリストから乗り換える先を探すべく、あちらこちらの寝室へお邪魔しては味見を繰り返していた。何ならあの日だって、どこかの男のベッドから直行して送ってくれたのではなかったか。  あんまり一生懸命に説得しようとして来て、何なら監督を殴って来てもいいと息巻くピエールを宥めながら、内心マーヴィンは盛大に呆れていたものだった。同時に、お友達だと思っていた年下の男へ、こんなにも絆されてしまったのもその瞬間だったのだから、人間の感情とは本当に分からない。  ピエールの事を愛してる。きっと、心の底から。それなのに、うまく噛み合わないのが、とても悲しい。この感情を彼と共有できたら、どれほど幸せだろう。  そう、己は彼に辛さを汲んで欲しかった。何せ我が子みたく大事にしていた存在が死んだのだ。ピエールが玄関のドアを開けっ放しにしなければ、今頃ご機嫌で顔を舐めてくれていただろう、可愛いローズマリー──「畜生の唾でべろべろになった頬っぺたにキスしたくない」と、あの男は口癖の如くぼやいていた!  ピエールには、誰かと心を通わせようという発想がない。自分勝手に振る舞って、意見をあのチャーミングな笑顔と大きなモノで押し通す。こちらがちょっと抵抗すれば、「だってお前も最終的には納得してたじゃないか」などと訝しげに首を傾げる。納得させられることと折れることは全く違うのに。  思い起こせば思い起こすほど、傷は幾らでも槍玉に上げることができる。  あのいやらしい下着を買ってきた時だって、そりゃあ最後は盛り上がって身につけてしまったが、本当は嫌だった。彼自身が甘党だから、同棲を開始してから半年間はずっとコーヒーにミルクと砂糖を入れて渡してきたし(ある日とうとう、砂糖はいらないと伝えた時、まるで宇宙人を見るような目で見つめられたものだから、てっきり自分が何か悪事を働いたのかと勘違いしそうになってしまった)食べ物と言えば、せっかくオーガニック・メニューを出しても、絶対にボウルでシンクロナイズドスイミングが出来そうなほどドレッシングを掛ける。靴下は裏返してランドリーボックスに突っ込んでおく。掃除機はいつでも部屋を丸く掛けて、家具の隙間とかタコ足配線の周囲が埃だらけでもお構いなし。挙げ句の果てに仕事と称して、一体どこをほっつき歩いているのやら。  基本的に、己は何か衝撃を受けると、まず悲しみを感じる性格だと思っていた。だが今は違う。ピエールに対して怒りを感じているのだと、この瞬間マーヴィンはしっかりと考え至った。  いつもの如く、アルコールを注がれれば、さっと溶け流れてしまう氷じみた激情ではない。日々じわじわと溜め込まれた鬱憤は圧を強め、もはや蓋を弾き飛ばしかねないまでに強まっていた。  呑気に日向ぼっこなんかしている場合ではない。この撮影が終わったら、すぐさま西海岸に取って返し、ピエールと対峙しよう。笑って許す季節はもう終わり、浮かれ頭に思い切り冷や水を浴びせかけてやるのだ。  それで彼が出ていったら? その時はその時、曖昧と惰性に満ちた日々を揺蕩い続けるよりは、すっぱりとカタを付けた方がよっぽどマシだった。  びしゃりと顔を直撃した感触へ、思わず目を瞑ったのも束の間。 「ごめんね! 特殊効果のシャワーミストが引っ掛かった!」  悪びれないバレットの謝罪が、ヘッドフォンを突き抜けて鼓膜へ届けられる。  シャワーミストだって? ふざけた事を抜かすんじゃない。至近距離で焦点を合わすことは難しくても、真っ白いリネンの枕カバーがじわじわと赤く染まっていく様子は、見逃しようがなかった。ぴちっと付けられた糊の匂いを凌駕する鉄錆臭さ。気づけば体もねとねとしているような気がする。  乱暴に頭を左右へ振れば、まずヘッドホンが外れ、ごとんと床にぶつかる重い響きが足元から届いた。不快な、文字通りノイズが消えたら、新たな騒音が耳をつんざく。この今にも殺されそうな雄叫びを上げているのはウォルティだろうか。最初のうち悲鳴は、二重奏で部屋の空気を震わせた──いや、片方は明らかに、快感の色を含んでいる。ポルノ業界で働いていた経験上、マーヴィンは作られた喘ぎ声と本気の嬌声を聞き分ける、欲しくもなかった技能を身につけていた。 「っく、あ、あん、っ、バレット、これ、ぇ」 「最高だよ、アール、もうちょっとこっちに目線ちょうだい」 「む、むり、っ、首、もげちゃう……だめ、きもちいい、っ!!」  ばたばたと、視界の隅で影が踊っている。動きが弱まってくると、あの掠れ気味なのにどこか子供っぽい、少し不気味さすら感じさせるバレットの声が、朗々と響き渡った。 「彼を通じて、彼の中で欲を満たせ。苦痛のうちに流れる血潮へのみ注がれる甘美よ、それこそが汝の望むこと、それこそが汝の全て!」    背後から突進してきた何かに枕カバーを引き剥がされる。突如訪れた眩しさに瞬いたマーヴィンの目が正常に世界を捉えるようになるのと、暗褐色の巨大なゴムホースじみた生き物が、磔刑のような姿勢で四肢を拘束されたウォルティを頭から飲み込んだのは、ほぼ同時のことだった。  生き物で合っているのだろうか? 正直なところ、全く理解が追いついていない。  アールはローブを脱ぎ去っていた。最初から無かったようなものだった下着も破り取られ、片方の足首に辛うじて引っかかっている。後ろ手に固定された腕を引かれて、無理やり顔を持ち上げられると、真正面に陣取るバレットと、彼が手にしたビデオカメラへ微笑んで見せた。 「ん、ふふっ、くすぐった、い……」  筋肉と脂肪が程よく乗った柔らかそうな身体が、くねるに従いぬらぬらとした汗ばみを強調した。蟲達は達は挫けない。まるで壁を伝うムカデのように、無数の足を駆使して、肌の上を這い回る。ブラシじみた体の裏側にぴんと立ち上がった乳首を薙ぎ倒され、アールは顎を反らして喘いだ。 「ぁ、は……」  明らかに、侵略者は彼の体を熟知していた。熱い吐息を漏らした唇を、長く伸びた2本の触覚が割る。赤い粘膜を見せる口腔内へ潜り込む蟲は傍若無人に暴れ回っていたが、アールは恍惚とするばかり。時折固く節くれだった殻を柔らかく噛んで、頬張り積極的に飲み込んでいく。  他の蟲達は、へそ周りや腿の付け根を探索し、弓なりに勃ち上がったペニスに絡みつく。すっかり充血し、濁った雫を先端に溜めた亀頭をちろちろと擦っていた触覚は、堪え性がない。飛沫が跳ね散るほどの勢いで、ぱくぱくと開く穴の中へ滑り入る。思わずマーヴィンは、ひっと喉の奥で息を引き攣らせた。俳優時代にあそこへステンレスのブジーを差し込まれ、痛みの余り気絶しかけたことがあるのだ。 「あれ、起きてる」  片手で銀の振り香炉を揺すりながら、カメラを構えていたバレットが、目をぱちくりさせる。 「大丈夫だよ、マーヴィン。生と死はあくまで地続きだからね」  彼がそう口にしたことで、「生命の危機」という言葉が初めて脳裏を過ぎる。 「ぅ、だめだろ、バレット、そんな、怖がらせちゃ」  喉の奥まで潜り込んでいた蟲を吐き出すと、アールは年下の恋人を嗜めた。火照った頬にぽろぽろと快楽の涙をこぼしながらも、あんぐりと口を開けているマーヴィンに微笑みかける。 「だいじょうぶだよ、きみは、死なない」  そんなことを言われても、到底信じられる訳がない。椅子へ雁字搦めにされた体を跳ねさせ、マーヴィンは出来る限り後ずさろうとした、が、ずり下がればずり下がるほど、ぶにょりと柔らかい物体が肩に食い込む。  逃げられなくなって、初めて辺りを見回した。チョークで描かれた魔法陣はどういう仕組みか、ネオンでも仕込まれたかのようなピンク色に輝いている。マーヴィンが囚われた大きなサークルを取り囲む、6つの小さな円陣から、化け物は姿を現しているらしい。背中へ引っつかれそうになり前のめりになるが、今度は別の場所から怪物は足へと這い寄ってくる。 「あんまり暴れない方がいいよ、こいつらが制御出来なくなる」  バレットが然程深刻さを感じない口調で忠告するのへ励まされたらしい。死に物狂いで暴れていたウォルティが、そのしなやかな体を捩って、頭を舐めしゃぶっていた大物を払い除ける。ハンサムな面は皮膚があちこち溶けて、裂け口から肉色が覗いていた。 「なん、なん、だよ、これ……!」  粘液でべろべろになった顔を振り立て、彼は叫んだ。 「聞いてないぞ! そいつらに捧げるのは、あのおっさんだけだって」  足首に結びついていた蟲がぐっと鎌首をもたげる。そのまま左右に引っ張る動きは余りにも淀みない。逆さまにぶら下げられ、真っ二つに引きちぎられた体が、紙で出来ているかのように見えたほどだった。  撒き散らされた血のシャワーが全身に襲いかかる。思わず叫び声を上げ、真後ろに引っくり返ったマーヴィンを、蟲達は決して逃がしてくれない。食肉工場の畜物よろしく真上に掲げられた半身から、盛り上がって溢れ出した臓物が、胸と言わず腹と言わず降り注いだ。上下される動きにつれ、肩に皮一枚でくっつく頭がぐらぐら揺れる。まるで腹に巨根を突っ込まれて好き放題揺さぶられているかのようだった。  誰だっけ、かつて友達が、カメラの前でこう言うプレイをされたことがある。あれだってやらせじゃなかったけれど、あの子は撮影後、ぷりぷりしながらシャワーを浴びて、自らと一緒にフードトラックでタコスを頬張っていたではないか。「どうしよう、ニコスのスカルプチャーじゃ全然匂いが取れないよ」「後で僕の貸してあげるから、今は食べることに専念したら」「そうだね、僕が無理な分、あなたがカルニタス(豚のほろほろ煮)を食べて食べて食べまくって、豚達に仕返してよ」  去来する記憶へ逃避している間に、レンズがこちらへ差し向けられる。 「やっぱり、捧げちゃうなんて勿体無いなあ」 「そう言う、契約だろ」  息も絶え絶えのアールに宥められ、バレットは舌を鳴らす。はっと目を見開き、マーヴィンは不自由な体制から、無理矢理男達と向き直った。 「冗談じゃない! 何やってるのか知らないけど、この縄を解いてくれ!」 「シー、マーヴィン。声が入る。身元を特定されるのはNGなんだろ?」 「こ、この気持ち悪いのは一体……」 「うーん、説明すると時間が掛かるんだけど、見た目ほど悪い存在じゃないよ」  分娩台へ乗せられたように、折り曲げた膝を固定されたアールに、再び惨たらしい出来事が繰り広げられるのかと思わず身構える。けれど彼は乾いた唇を舌先で湿すし、バレットと言えば、粟立つ恋人の太腿を手のひらで優しく撫で続けていた。 「彼らは捧げ物を求める。それと引き換えに、願いを叶えてくれるんだ。本当だよ。ウォルティは名声を望んだし、僕は美しいアールの姿、そしてアールは快楽を」 「ウォルティは死んじゃったじゃないか!」 「そこも理屈を解説するのは難しくて……」 「も、よけいなこと喋ってないで、はやく、っ……!」 「ごめんごめん」  駄々っ子のように首を振るアールの膝にキスを落とし、バレットは足元に香炉を置いた。代わりに手へ取ったのは、転がっていたタッパーウェアに詰められた牛の生肉、だと信じたいが。血も滴るそれを一口齧り、よく噛んで唾液と混ぜ合わせてから、ぷっと手近な円陣の中へ吹き付ける。  狭い円陣の中でうねっていた蟲達は、立ち所に発奮した。アールの下肢に群がり、ますます脚を押し開く。  本人が準備したのか、それともマーヴィンが見ていない間に蟲達が触ったのだろうか。曝け出されたアナルはひくひくと痙攣を繰り返していた。よく使い込まれ、歪に型崩れしてはいるのだが、間違いない。充血し、ふくりと膨れ上がった縁を潜り抜ければ、極上の快感が待ち構えている。こんな状況で信じられない話だが、思わずマーヴィンは意識を吸い寄せられてしまった。  太い蟲達の合間を縫い、一際細い2本、3本が、震える内股を這い上がる。縦に伸びた秘裂を噛むようにして引っ掛け、くぱりと開けば、てらてらと濡れた粘膜が露わになった。塗り込めたローションがべたべた吐き出される程の蠕動は、別の生き物のようであり、本人の意識とは別に呼吸しているかのようだった。  蟲達は、その息の根を止めようとする。我先にと穴の中へ滑り込み、皺を伸びきらせてしまうまでは、あっという間の出来事だった。 「ぐ、ぁっ」  ぶくっと腹が膨れ、アールが苦鳴を漏らした。幾重にも巻き付いた帯に腰を持ち上げられ、丸い尻がびく、びくと跳ねる。 「ひぅ、も、これ、何回やってもきつい」 「でも気持ち良いんだろ。頑張れ、頑張れ」  カメラを回しながら呑気に励ますバレットを睨みつける気力はまだ残っているらしい。アールの顔はりんごよりも赤く染まり、こめかみに膨れ上がった血管は今にも破裂してしまいそうだった。  見ていたく無いのに目が離せない。マーヴィンは息を潜め、一部始終を凝視していた。今のうちに逃げなければと思っているのだが、凍りついた体は指一本動かすことが出来ないでいる。  挙げ句の果て、どさっと傍らへ投げ捨てられた肉塊だった。いや、そんな物言いをしたらウォルティに失礼だ。剥かれた白目が流れ込んだ血でどす黒く染まり、全部が黒目のようになった瞳と向き合えば、呼吸が止まる。  もう嫌だ、ここと違うところへ連れて行ってくれるならば、何をしてもいい。もしも突入してくるのがあの能天気男だったとしても、この瞬間ならキスの雨を降らせ迎え入れてやるのに。  次に顔を合わせた時は取っ組み合いも辞さない覚悟だったし、関係改善の為に動かなければならないことは嫌と言うほど理解している。  それでも、危機的状況において一番に思い出す存在はピエールだった。彼ならこんな常軌を逸した光景を目にしても、全く不謹慎に笑い飛ばしてくれる。何せ犬を大事にしない男だ。タイヤで轢き潰され、洗濯しすぎたTシャツみたくよれよれになったローズマリーを目にした時、ただただ気持ち悪そうな表情しか浮かべなかった男が、人間の切断死体をみたところで臆するはずもない──そう、ピエールは間違いなく勇気に富み、決断力に優れた男だった。無能な監督を殴ることはしなかったけれど、マーヴィンがあの仕事を辞めたいと行った時は、一切の躊躇をせず「しばらくは俺が養ってやるよ」と胸を叩いて見せたではないか。 「あ゛、あ゛あぁ、っ」  これでも嬌声なのだ。明らかに苦痛を感じながらも、アールのペニスは萎えることを知らない。尿道に抜き差しされる触覚がしなるたび溢れ出る液体は、白色を通り越して黄味を帯びている。  身を丸め、腹の中で暴れ回るものの感覚に耐える体を、蟲達は無理矢理引いて叱責する。臨月の妊婦のように膨らんだ腹はぼこぼこと蠢き、今にも皮膚を突き破ってしまいそうな勢いだった。内臓を抉られる度、突っ張った足に爪先まで悦楽の電流が走っていると分かる──ローズマリーが死にかけていたとき、ああやって体を震わせていたと思い出して、堪らずマーヴィンは顔を引き攣らせた。  胎動は、やがて掻き出すようなものへと変わる。 「あっ、あっ、あ……! い゛っ、ぐ、きちゃ、きちゃう、バレット! あ゛ああっ」 「うん、来た来た! 大丈夫、全部見てるからね!」  腕へ巻き付く怪物へしがみつき、獣のように喚き散らすアールに、バレットは興奮の余り声を上擦らせながら叫んだ。 「最高だよアール! 君より美しい人間、この世の……それどころか、天国にも地獄にもいない!」  詰まっていたホースが開通したような音を立てて、蟲達が一斉に体の外へ飛び出す。その勢いに乗って、ぽっかり丸い穴から、泡立つ粘液が大量に溢れ出た。  マーヴィンの顔のすぐ脇まで滴り落ちてきたそれは、黒っぽいキャビアじみた粒を大量に含んでいる。しばらくねばねばと地面を舐めていたそれが触れると、周縁の魔法陣が放つ光は赤みを増し、そのおぞましいものを吸い込む。  次から次へと産み落とされる物体にカメラを向け、バレットは「今回は多いな」と頷く。 「それだけ気持ちよくなってくれたってことでしょ、嬉しい」 「ん、んん、まだ、残ってる……」  鼻を啜りながら、アールは息も絶え絶えに訴えた。垂れ流しのままのアナルが、きゅうと窄まるにつれ、尻から太腿、腰から胸が大きく波打つ。 「や、ぁ、前立腺に、からみついてるっ、ぞりぞり擦れて、ぇ……いたいっ、くるし……」 「オーケイ、全部出そう」    バレットが再び香炉を振ると、宙吊りになっていた体はそっと床に寝かされる。汗に涙、涎や鼻水でぐしょぐしょになった恋人の顔を丹念にカメラへ収める時、彼は天使のように無邪気な微笑みを浮かべていた。 「力抜いて、ほら、気持ちよくなるだけだから」  もはや呼吸をしていることそのものが悪夢になりつつあるマーヴィンに向けられる時も、その表情は維持されたままだった。 「ずっと卵を中に残しとくのは良くないんだ。それに僕だって、自分以外が出したものが、彼の体に残ってるのは嫌だから」  ごついライディング・ブーツの靴底は、力一杯踏みつけた腹をへこませる勢いだった。まだ辛うじて閉じ切っていなかったアナルだけではない。開かれた口、耳、ペニスの先端など、ありとあらゆる穴から、迫り上がってきた卵が吐き出される。 「あとちょっとかなあ」 「あ、あっ、ちょ、だめ、くる、きちゃう」 「えっ、もう?」  じたばたともがくアールに、最初こそバレットは躙る力を強めるばかりだった。けれど訴えが切羽詰まるにつれ、慌てて構えた機材ごと上半身を仰け反らせる。 「あ、あーっ! あああっ、や、やだ、イく、イきそうなのに……!」 「我慢して! 前にあれやった時、カメラが壊れただろ!」 「そ、そんなこと、言ったって……! ああっ、神さま、聖母マリアさま、もう、むり」  荒い息で腹をくぼませながら、アールは声を張り上げた。 「おゆるしください、ぼくは、悪い子です……!!」  胸の前で両手を合わせ、泣きながらどれだけその名を呼ぼうと、黒い子羊へ救いが差し伸べられる訳などない。下腹を突き破って天へと駆け上る蟲は、すぐさま待ち構えていた仲間達と絡み合う。2匹、3匹、4匹。  ぬめぬめとしたそれらがうねるたびに、けれど吐瀉物にまみれたアールの表情は、完璧な法悦へ染まっていくのだ。柔らかく瞼を落とし、うっすらと開いた唇は再び祈りを唱え始めんばかり。静謐な面持ちは人間の快楽を超えた先にあるものへ浸り、こんなことを言うのは許せない、断じて認めたくないのだが、美しかった。 「ほら、血まみれだ……データ、ちゃんとサーバーに飛んだかな」  そうぼやきながらTシャツの裾で拭うものの、血飛沫で体に張り付くほど濡れたコットンは、レンズを一層曇らせるだけの役にしか立たない。 「まあ、後は彼を捧げるだけだし、構わないか」  背後から背もたれを掴まれ、思い切り引っ張られたのも束の間。瞬く間に椅子はばらばらと砕け、ロープが体を滑り落ちる。 「規約違反だ、変なことはしないって言ったのに!」 「服を脱がさないって確約したけど、生贄に捧げないとは言ってなかったでしょ」  これだから撮影は嫌いなんだ。この業界もいい加減、ちゃんと契約書を交わして仕事をするよう改善していかないと。パニックになった頭で憤慨している間にも、蟲達はマーヴィンの体へ幾重にも巻きつき、ずぶずぶと床へ沈んでいく。まるで空港へ親戚を見送りにきた子供のように、バレットはひらひらと手を振って、金切り声を上げるマーヴィンに言った。 「大丈夫、大丈夫、ちゃんと気持ちよくなるから……すぐ終わるよ」  すぐさま人生を終えたいと思ったことなど、これまで一度もない。こんなことならば、家にいてピエールの行状へ腹を立てていた方がよっぽど良かった。  文字通り奈落へ蟲達が還っていくにつれ、円陣は一層眩く発光する。ぎゅっと目を閉じ、マーヴィンは愛する者の姿を脳裏へ必死に思い浮かべた。彼の悪事ばかりだが、今直面している現実よりは遥かにマシだった。  現実? 逃避していたのは今も昔も変わらないじゃないか。そう気付いた途端、わっと泣き出したい衝動に駆られる。だが口を塞ぐように巻きついた帯が、嗚咽を許してくれない。  もはやバレットは、こちらへ見向きもしない。びくびくと痙攣を繰り返すアールの体を抱きしめて、血の気の失せたこめかみに何度も唇を落とす。 「愛してるよ、アール、愛してる……姉さんよりも僕の方が、ずっとずっとあなたを美しく出来る」  ああ、そう言えば、彼の姉さん、ミズ・クロスボウって、こちらではそこそこ有名なポルノ映画女優兼監督だった。確か自らの元にもオファーが来たけれど、信任状が怪しかったから、断ったことがあったっけ。  この期に及んで思い出すなんて、僕もすっかり勘が鈍った。こんな有様じゃ、遅かれ早かれ何らかの破綻が訪れていたに違いない。  後悔ばかりが取り巻く中、マーヴィンはぐったりと力を抜き、もはや逃れられぬ運命を受け入れようとした。

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