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第2話④

 程良く空調の効いた室内に、軽やかな音色がこだまする。  島の原住民に伝わる弦楽器は、VIPルームの装飾の一つだ。壁に立て掛けられたそれを爪弾いてみる気になったのは、何となくベッドから手の届く範囲にあったという理由に他ならない。  恥じることもなく鍛え上げられた浅黒い肌を晒し、まるで王者のような風格で耳を傾けていたヴィルフリートは、ふと思い立ったように琉斗(りゅうと)を引き寄せた。自分に注意を向けさせるためとはいえ、なかなかの手管ではある。もっとも、本人にその意識があったかどうかは、定かではない。 「――リュート、か……」  一瞬自分の名前を呼ばれたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。博識なCEO様は、琉斗の名前の由来となった楽器の存在に思い当たったのだろう。  そう、『琉斗』は、弦楽器制作の職人だった祖父に付けられたものだ。  しかし、名前の由来についてはそれ以上深く掘り下げることもなく、ヴィルフリートは言葉を次ぐ。 「調律が本職でないなら、君は楽器が好きなのか?」  耳元で囁かれた問いに、琉斗はわずかに身動(みじろ)いだ。  確かに、琉斗は楽器全般に興味がある。が、どちらかといえば演奏よりも、美しい音色を紡ぐその構造にこそ惹かれていた。ピアノの調律を仕事にしていた訳ではない。にも関わらずメンテナンスに明るいのは、それが亡くなった祖父の方針だったからだ。たとえ専門でなくとも、楽器を愛する者としての、誇りのようなものでもあったのだろう。  ――しかし孫の琉斗には、何もない。祖父の後を継ぎたいという気持ちもあったはずだが、結局何者にもなれずに、ここにいる。 「そうかもな」  薄く笑って、琉斗は民族楽器から手を離した。正直に話したところで、琉斗の前職は普通のサラリーマンだ。本物のビジネスパーソンであるヴィルフリートに聞かせるようなこともない。  はぐらかすように勢いよく寝返りをうち、琉斗はヴィルフリートに向き直った。 「それより、アンタだよ!」 「……私か?」  わずかなタイムラグは、正面から向き合った互いの顔が、思いの(ほか)近かったせいだろう。もしくは、腕の中に琉斗を抱き留める体勢に、今更ながら照れたのかもしれない。まったく、強引なのか純情なのか、よくわからない男だ。  しかしそれでも、琉斗が話を反らしたがっていることに気付いているであろうヴィルフリートは、会社の守秘義務に反しない程度に、来島の目的を語った。  曰く、この島の属する国の政府は、今後も開発を継続するに当たって、原住民との友好な関係を維持することを第一に考えている。その為に、島固有の文化と歴史、及び植生の尊重を最優先に据えており、アドバイザーとして白羽の矢を立てたのがハンコックだった。  ハンコックは一族の出自である地域での、「歴史や自然と共存する開発」に定評がある。そのノウハウを借りたいとの要請とともに、「まずは島の現状を御覧いただきたい」と、今回の招待に至ったのだそうだ。  「休暇と商用を兼ねて」との名目に、多忙なCEO自らが応えたのにも、理由があるらしい。 「――一族の者達が、まだ若いのだから羽根を伸ばすことも必要だと言って聞かないのでな」  長い赤髪をかき上げながら、面白くもなさそうに語られた内容に、何か引っ掛かるものを感じる。ん? と眉根を寄せた後、琉斗はヴィルフリートに詰め寄った。 「待てよ。『まだ若い』って、アンタいくつだっけ?」 「21だが」  当然のように返されて、「は?」と思わず目を見開く。立派な体格と肩書きに引き摺られてか、完全に相手の年齢を見誤っていたことに、今更ながら気付かされた。欧米人がアジア人より年嵩に見えるのは、ごく一般的なことだろう。 「年下かよ! 騙された!」  悔しげに吐き出した琉斗に、ヴィルフリートが憤慨したように反論する。 「ッ、何だ、それは! では君はいくつなんだ」 「26だよ! お前より5つもお兄様だよ! 敬意を払え!」 「どういう了見だ!」  ふたりは、一糸纏わぬ姿で抱き合ったまま、子供じみた舌戦を繰り広げた。端からは、じゃれ合っているとしか思えない光景だっただろう。相手が年下であるとわかって、琉斗の「アンタ」呼ばわりも、「お前」に変わっている。  大して意味のない言い合いを繰り返した末に、琉斗は思わず吹き出した。こんな風にムキになるヴィルフリートも、何となく可愛く思えてきたからだ。 「――何だよ。見掛けの割にガキだと思ってたけど、ホントにガキだったんじゃん」 「……失礼な」  ヴィルフリートの抗議に、またしても若干のタイムラグが生じた。憎まれ口を叩いていたはずの琉斗が、意外なほど柔らかい笑みを浮かべていることに目を奪われたためなのだが、取り敢えず琉斗は気付かない。  頬を染めて、まるで拗ねたように顔を背けたヴィルフリートが年齢以上に子供っぽく見えて、琉斗はクスクスと忍び笑い続けた。スパダリ風に見せ掛けておいて、どこまでも意外性の塊のような男だ。 「――ッ、あ……ッ!」  突然股間を大きな(てのひら)に包まれて、琉斗は甘い悲鳴を上げた。完全に油断していたが、どうやらヴィルフリートが笑われるのを止めるために、実力行使に出たようだ。  強弱を付けて全体を揉みしだきながら、指の先でグリグリと括れの部分を引っ掛けるように刺激する。先程までとは明らかに違って、ちゃんとテクニックを行使する様子が窺える。 「講師としての君には敬意を払っているつもりだ……復習をさせてくれ」 「アアッ! ンッ、あぁ、ん……ッ」  耳元で低く囁かれ、思わず身悶える。  天才ヴィルフリートは性技においても、やはり筋がいいのだろう。履修済みの事柄に関しては、異様に物覚えが良い。  琉斗は小さく笑って、既に自信満々の年下の男の、嫌味なくらい整った顔を両手で引き寄せる。 「――しょうがないヤツだな。お兄様が相手してやるよ」  そして、より情欲を煽るように、薄い唇に深く口付けた。  第2話 END

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