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第2話 笪也と幸祐(5)

 瀬田からの話しで、自分の情け無い行動を目の当たりにした幸祐は、今朝、駅で笪也を見かけたらきちんと話して詫びようと、家を出る時から考えていた。そのせいでなのか、いつもしている天気予報のチェックを失念してしまった。そんな時に限って雨は降るものだった。  幸祐は会社がある駅に降り立つと、ホームから雨足の強さがはっきりとわかった。改札を出たところのコンビニで傘を購入しようと思っていたら、そのコンビニは店舗の改装で休業中だった。  よくよく今日はついていないと、げんなりして他のコンビニへ行こうとした時だった。 「砂田、どうした?」  笪也だった。 「あっ、成宮さん。おはようございます」 「あぁ、おはよう…向こう側に用事か」 「ええ…傘を忘れてしまって、コンビニまで」 「電車の中に忘れたのか?」 「いやそうではなくて、家から持ってくるのを忘れたというか…家を出る時は降ってなかったんですよ」  笪也はしょんぼりしている幸祐に追い討ちをかけるように言った。 「降ってなかったにしても、今日は全域で雨だって天気予報を見てなかったのか?…それにしても、砂田は本当に遠方から来てるんだな」  呆れと同情が入り混じった顔を幸祐に向けると、ほら行くぞ、と笪也は幸祐の背中に手を回した。 「会社はすぐそこなんだから、俺の傘に入っていけばいい」 「えっ?…あっ…でも」 「あぁ?何か問題あるのか?」 「…ない、です。すいません、お願いします」  幸祐は次に笪也と会ったら、オレンジジュースの失礼を謝ろうと心に決めていたが、同じ傘の中でうまく言えるか自信がなくなっていった。  駅のコンコースを抜けると、駅前広場のそこかしこに多くの水溜りができていた。笪也が傘を開くと、幸祐はその傘の柄を持とうと手を伸ばした。 「あっ…僕が傘持ちます」  すると笪也はひょいとその手をかわした。 「俺の方が背が高いんだからいいよ」 「すいません、ありがとうございます…」  いつもなら、仕事や世間一般の時事の話しをするのだが、今朝はまず謝らなければならない。だが、肩が触れるくらい引っ付くと、緊張してどう話せばいいのか、幸祐は急に言葉が出なくなってしまった。  それに顔を少し上げなければ、笪也と目が合わない。幸祐は笪也が自分より背が高いとわかっていたが、この近さになると改めて笪也の大きさを実感した。笪也は胸板も厚く、首も幸祐よりも断然太かった。そして、笪也は大人の男の匂いがした。少し甘くて渋い香り。香水か整髪料のような香りと笪也自身の体臭が混ざった、幸祐がイメージする男の匂いだった。 「…なっ?そう思わないか?」  急に話しかけられて幸祐は慌てた。 「えっ…あっあの、すいません。何でしたっけ」 「聞いてなかった?今の話し」 「すいません…」 「まぁ、いっか、大したことじゃないしな」  笪也は幸祐を一瞥した。 「仕事の時は、ちゃんと聞いてろよ」 「はい…すいません」  幸祐は顔を上げて笪也を見ると、目が合った。   「別に叱ったわけじゃないから、そんな顔すんな」 「はい…すいません…あの」  幸祐は今言わなければと思った。 「あの…この間は失礼しました」  笪也は何事かと思った。  「え?…何が?」 「オレンジジュースのことです」  笪也は益々不可解な顔をした。 「反省してます。何もわかってませんでした。学生気分が抜け切れてなくて情けなくなりました…ご本人を前にして生意気にも美味しさを語ったり、挙げ句にはお薦めまでして…本当に失礼しました」  笪也は幸祐のあまりの真剣さに笑い出しそうなった。それを堪えようとして、クッ、と鼻の奥で音がした。 「あぁ…あの自販機の時のことね…別に俺は何も気にもしてなかったけど」 「本当ですか?…昨日、同期に知らされて。ちゃんと失礼をお詫びしないと、と思ってました」  笪也は、幸祐が珍しく話しかけに上の空だったのは、これのせいだったのかと気付いた。  少しホッとした様子の幸祐を見て、いじらしく思うのだった。

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