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第3話 ルームシェア(1)
朝から降っていた雨は、夕方には止んだ。
幸祐は六時前には駅に着いていて、改札の前で笪也が来るのを待った。笪也が来たのは待ち合わせの時間から二十分も過ぎた頃だった。
「ごめん。俺から誘っておいて、だいぶ待たせたな」
走って来たのだろう、額や首筋に汗が流れていた。
「いえ、お忙しいのに、僕の時間に合わせてもらって、こちらこそ、すいません」
「砂田は遠慮深いな…じゃあ、行こうか」
「あっ、それと、これありがとうございました」
乾かして、きちんと整えた傘を幸祐は差し出した。
「あぁ。帰りは止んだから、結局役には立たなかったな。キレイに乾かしてくれて、サンキュー」
笪也はそう言うと、改札をくぐった。
幸祐はこの駅周辺のどこかの店と思っていたが、笪也は幸祐の帰る時と反対側のホームへの階段を下りていった。
「砂田の方向と反対側だけど、ちょっと付き合えよ」
ちょうど入構してきた各駅停車に乗り込み、二十分もかからない駅に着くと、幸祐は笪也に降りるように促された。降りた駅のホームは工事中のようで、至る所に迂回の矢印があった。笪也は何の迷いもなくホームの階段を上がり改札に向かった。
「この駅、去年から高架化工事が始まっててさ。店は駅を出たすぐそこだから」
幸祐はひょっとしてここは笪也の自宅の最寄り駅ではないかと思った。
「この駅近くの商店街の一角に住んでるんだよ、俺」
「えっ…商店街ですか?」
笪也のイメージからは想像ができない場所だった。それ以上のことは何も言わず、笪也は一部完成している高架線路に沿った道を歩いて店に向かった。
着いた店は昔ながらの定食屋だった。笪也は暖簾をくぐってガラガラと格子の引き戸を開けた。幸祐も後に続いた。
「いらっしゃい…あら、ナルさん今日は早いわね、珍しい。まぁ、それにお連れさんまで」
「たまには、こんな日もあるさ」
笪也は笑いながら、勝って知ったる様子で四人掛けのテーブルに着いた。
そこは高齢に近い夫婦二人でやっている十数人も入れば満員になるような小さな店だった。壁には、日焼けで薄茶色になった短冊のような手書きのメニューが所狭しと貼られてあり、奥には惣菜が入った小鉢が並んでいる冷蔵棚があった。
「ナルさん、今日はビール?」
「あぁ、砂田、飲めるよな?」
幸祐は頷いた。
「そこの棚からさ、好きなのあったら持ってきて、でメインはあの壁から選ぶんだよ。あれだけ種類があってもさ、俺はいつも同じ物ばっか食べてるけどな」
そこへ、はいどうぞ、といって女将が瓶ビールとコップ二つを持ってきた。
「そうねぇ…ナルさんはハムカツかアジフライしか食べてくれないわね。旬の物をいくら云ってもねぇ」
女将はそう言うと、笑いながら奥の厨房に戻っていった。
「それだけ、ここのハムカツがうまいんだよ」
笪也は女将の背中に向かって声を張ると、厨房の大将が、ありがとよ、と手を上げた。
幸祐は社内の笪也と違った一面を見た気がした。同期の瀬田に話すとまた驚くだろうなと思った。
「で、砂田は何にする?」
「僕もハムカツ食べてみたいです」
笪也はニコッとすると、大将ハムカツ二つね、と注文をした。
笪也は幸祐のコップにビールを注いだ。
「あっ、お先に入れてもらってすいません」
幸祐は笪也の手から瓶を取ると、笪也のコップにも注いだ。
「じゃあ、お疲れ」
「お疲れ様です」
乾杯をすると、笪也は一気にコップを空けた。
「小鉢もうまい物があるから、見てみろよ」
笪也は茄子の煮浸しを選び、幸祐はきんぴら牛蒡にした。それをつまみにしてビールを飲んでいると、注文したハムカツが運ばれてきた。
「はい、お待たせです。お兄さん、熱いから気をつけてね」
「はい、ありがとうございます。うわぁ、美味しそう。いただきます」
ハムカツを前にして、幸祐は満面の笑顔だった。女将が言った通り熱々のハムカツをハフハフしながら幸祐は美味そうに食べた。
「成宮さん、マジでこれ美味しいですね」
笪也は、口いっぱいにして食べる幸祐の様子を微笑ましく見ながら、ぼそっと話し始めた。
「今朝さ、砂田はオレンジジュースのことで俺に謝っただろ?」
幸祐はオレンジジュースと言われて、口をモグモグしたままで、箸を置いた。
「おいおい、そんな堅くなるような話しじゃないんだから、食べながら聞いてくれ」
そう言って笪也も箸を進めると、それを見て幸祐もビールを飲んだ。
「砂田がオレンジジュースのことで俺に申し訳ないっていう気持ちを持っててくれたみたいだけど、俺はお前に感謝してんだよ」
幸祐はビールで咽そうになった。
「成宮さん、感謝ってどういう意味ですか」
「意味もなにも、その通りさ」
笪也は優しい顔で、幸祐にビールを注いだ。
「俺、今お茶を手掛けてるだろ、ここ最近どうにも行き詰まっててさ、そんな時、砂田が満面の笑顔で、これ美味しいですよって、俺に飲んでみてくださいって薦めてくれただろ…救われたんだよ、マジで。お前がさ、本当に美味しそうに飲んでくれてんの見たらさ、俺、やっぱりいいもん作ったんだって、オレンジジュースを作った時に感じた自信っていうのかな…なんか、取り戻せたんだよ…だから一度ゆっくりお前と話して、その、礼も言いたくてな」
笪也は最後は照れながら言った。
「成宮さん…」
「それとだな…」
笪也は言うのを迷ったが、少し恥ずかしそうにしながらも笪也の話しを聞いて喜んでいる幸祐の顔を見て意を決した。
「砂田、俺とルームシェアしないか」
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