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第3話 ルームシェア(3)
笪也は仕事終わりに、また『権兵衛』にやって来た。大将は何時になってもいいから、と言ってくれた。なるべく早く行こうとしたが、店に着いたのは夜の九時過ぎだった。
「こんばんは。遅くなってすいません」
「あぁ、成宮さん、お疲れのところ悪いわね」
昼間、店を出る時に女将に名刺を渡していた。
店はまだ営業中で、数人の客が大将と話したり、テレビを観たり、酒が入っているせいか、賑やかな雰囲気だった。
客の中の一人が、女将に向かって言った。
「みっちゃん、この人かい」
「そうなんだけど、キミちゃん、ちょっと待ってね。仕事帰りだから、先に腹ごしらえしてもらわないとね」
女将はそう言うと
「成宮さん、お腹空いてるでしょ?今用意するからビールでも飲んで待ってて。キミちゃんビール出したげて」
「あぁ、俺のビールでいいよな」
すると、キミちゃんと呼ばれた『権兵衛』の夫婦と同年代くらいの男が、ビールとコップを持って、笪也のテーブルに着いた。
「お兄さん、忙しいんだね…お疲れさん」
キミちゃんは笪也にコップを渡すと、ビールを注いだ。自分のコップにも入れると、軽くそのコップを上げた。
「ありがとうございます…いただきます」
「いやぁ、家を探してるお兄さんがいるって、ここの大将から連絡もらってね。俺はその見てもらいたい物件の所有者というか、そこの商店街の入り口のところで小さなスーパーマーケットをやってる、君八洲っていうんだけど」
その男は目元の笑い皺が印象的な、いかにも商売人らしい容貌だった。
キミちゃんが話しかけていると、女将が笪也用の夕飯を持ってきた。
「キミちゃん。話しは後でって言ったでしょう。はい、しっかり食べてね」
女将は揚げたてのアジフライと味噌汁と大盛りの白飯を笪也の前に並べた。
「うわっ。美味そう」
「そうなんだよ…ここの揚げ物はどれも美味いんだよ。お兄さん、今度ハムカツ食ってみな」
「あぁ、それは、今日のお昼にいただきました」
笪也は笑顔でキミちゃんに答えた。
「わかってるねぇ、お兄さん。じゃあ、俺はあっちでテレビ観てっから、飯終わったら声かけてくれるか」
キミちゃんはそう言うと笪也にビールを注いで自分のコップだけを持ってテレビの前の席に移った。
笪也が食べ終わった頃に、最後の客も腰を上げた。大将はその客を見送りついでに、軒先の暖簾を下げた。
「ご馳走様でした。アジフライ食べたの何年振りかな…すごく美味しかったです。先にお勘定お願いします」
「何言ってんの。注文も訊かず勝手に出したモンにお金はもらえないわよ」
女将はケラケラ笑って、笪也の食器を片付けた。
「すいません。じゃあ遠慮なくご馳走になります」
「あぁ、いいってことよ。なぁ、大将」
待ち兼ねていたキミちゃんが笪也のテーブルに来た。
「お前がい言うことじゃないんだよ。ったくよう」
暖簾を片付けた大将も笑いながら笪也の側に座った。
「実はな、駅の高架化工事と一緒に都市計画の一環でさ、駅前周辺にバスのロータリーの移設やら道路の拡張とやらで立ち退きを言われててな」
キミちゃんはそう話し始めると表情が一変し、虚しそうな顔をした。
「まぁ、仕方ないとは思うんだけどよ。駅の反対側に大型スーパーができてからはさ、客の流れが急に変わってこっちの商店街はさっぱりだ。見てもらったら分かるけど、文字通りのシャッター通りになってよ」
キミちゃんは、はぁ、とため息を吐いたが、笪也には物件探しとどう繋がるのか、少し不安になる話しに思えてきた。
「まぁ、お兄さんに愚痴言っても迷惑な話しだな」
キミちゃんは笪也の表情を見て、本来の話しを始めた。
少し前まで、つまり大型スーパーができる前までは、駅前という立地もありスーパー『キミヤス』は繁盛していた。が、大型スーパーの開業からは年々売り上げも落ち込む一方のところに都市計画での立ち退きの打診があった。最初は全く話もろくには聞かなかったが、早々に見切りを付けて閉店するところも出始め、キミヤスも店を続けるかどうかを迫られてきた。
仮に数年先に退去を決めたとしても、撤去工事のギリギリまで店を開け続ける体力、つまり資金と店主の肉体的体力は保たないだろうと判断せざるを得ないところに、幼馴染の『権兵衛』の大将が妙案を出した。
撤去工事が始まるまで、スーパーの二階部分の倉庫を居住できるようにして誰かに住んでもらう。そうすれば、これからの立ち退き料の交渉にも有利なるはずだと。迷惑料や慰謝料も十分加算してもらえるのではないかということだった。
「店を閉めた後の倉庫だから、女性や高齢者は防犯上は難しいし、できるなら単身の若い男性に住んでもらえたら、見張りにもなるし。あっ、別に警備してほしくて言ってるわけじゃないからさ」
「俺も変なことを吹き込んだ手前、なんとか誰かいねぇかなと思ってたら、お兄さんが現れたってわけだ」
『権兵衛』の大将も話しに加わった。
「なぁ、お兄さん。見るだけでもいいからさ、一回来てくれねぇかな…」
笪也は今朝までは、何不自由のない都心のマンション暮らしであったが、いきなりのパートナーからの結婚宣言で、住まいを新たにすることになった。倉庫という今までと想像もつかないくらいの真逆の環境に身を置くのも悪くないなと思い始めた。その倉庫は駅近で生活インフラも整って、近くに夜遅くまでやっている食堂があって、物件探しで考えていたすべてが揃っていた。
「わかりました。見に行きましょう、これから」
笪也は笑顔でキミちゃんに言った。
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