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第3話 ルームシェア(7)
こうして、笪也と幸祐のルームシェアに向けてのお試し期間が始まった。
笪也は幸祐のために、パーティションにハンガーラックや棚と机、そして寝具は布団の上下組みと枕を用意した。
お気に入りの音楽をいつもより音量を上げて聴きながらの組み立て作業は、久々に笪也を楽しませてくれた。
幸祐は笪也に言われた通り、簡単な身の回り品と衣類だけを持って、ルームシェアの話しをしてもらった次の週の土曜日の午前中にやって来た。そして、笪也が設えてくれた幸祐の部屋となる場所を見て、いたく感激をした。
「えぇっ…ちょっと待ってくださいよ、成宮さん。こんなに色々揃えてもらって…いいんですか?…あぁ、嬉しすぎる…どうしよう」
「どうしようも何も、そんな大したことはしていないよ。とにかく階段穴があれだから、これくらいのことしか用意できなかったけど」
「もう、十分ですよ。本当に僕、ここで暮らしてもいいんですね」
「そうだよ。とりあえずお試しだけど、気になることがあれば何でも言ってくれ」
幸祐は、満面の笑顔で、はい、と言って頷いた。
初日から幸祐は一日の限られた生活時間をどれだけ通勤に割いていたのかを実感した。
起床時間に始まり、仕事終わりに確認する電車とバスの時間、それに家に帰ってホッとしてネクタイを緩める時間がまったく違っていた。
初めての帰宅時間は、祖母の家で過ごしている時であれば、今はまだ電車の中であの駅を出たくらいで、吊り革にぶら下がるように立って車窓に映る自分を見ている頃だった。
幸祐の想いは膨らむ一方だった。
朝は近所をウォーキングをしてから朝食、だいたいの時間に駅に向かってもすぐにやってくる電車に乗って20分足らずで会社のある駅に着く。
家に帰ると毎日でも好きな料理ができる。笪也に得意の煮物を食べてもらいたい。
今まで帰りの電車の時間が気になってなかなかできなかった同期との食事や飲み会、仕事終わりの習い事。最寄の駅前のパン屋でパン教室の生徒募集の貼紙を見つけていた。
だが、これから一週間お試し生活をしてみて、一緒に暮らしていけるのか否か。幸祐は少し冷静になった。妄想に近い想像は大概にしようと思った。
お試し期間の毎日は、同じ会社で勤務していても、二人の出退勤の時間も違った。
今までは電車の運行時間の都合で仕方なく早めの出勤だったが、幸祐は朝はゆっくりと過ごし、笪也を見送ってから出勤した。夕食は一緒に『権兵衛』に行くこともあった。
互いに仕事の話しをすることはなかった。付かず離れずの距離を保ちながら、一週間はあっという間に過ぎようとしていた。
「砂田、明日で一応お試しの期間は終わるが…」
笪也は洗濯物をたたみながら、幸祐に話しかけた。
「お前は遠慮深いから、この一週間で要望や不満とかあっても言わないだろうなと思っていたら、やっぱり案の定だ。それがダメだと言っているわけじゃないけど、一緒に暮らすなら、互いに話していくのは必要だと思うんだ。で、俺とのルームシェアをどうするかなんだが、お前の答えは面と向かって俺に言うより…ちょっと考えたんだが…」
笪也は幸祐の真剣な顔を見ながら続けた。
「砂田がOKなら明日の仕事終わりの十九時に、ここに来て玄関を開けてくれ。もし、NOなら来なくていい」
幸祐との一週間のお試し生活は、笪也にとっては毎日が新鮮で心が浮き立つことばかりだった。幸祐はどう思っているのかを訊いたところで、遠慮深い幸祐のことだから、嬉しいや楽しいや感謝の言葉しか言わない、いや言えないだろうと思った。
先輩からルームシェアの誘いを受けてお試しまでして、結局気に入らないからと面と向かって断るなんてことは絶対にできないだろうと思うと、そうあってほしくはなかったが、断りやすいように逃げ道も作っておいてやりたかった。が、笪也のこの優しさは裏目に出てしまった。
幸祐は察した。
これはもしかしたら幸祐自身を傷つけないようにルームシェアを断る方策ではないかと。幸祐から断るように仕向けているのではないかと思った。明日自分がここに来なければ、ルームシェアの話しは無かったことになる。
幸祐は一緒に暮らすのは無理ならはっきりと断ってくれればいいのにと、笪也の優しさを少し恨めしく思った。
「成宮さん…僕は本当に要望とかなかったんです。でも無かったら無いと言わなければいけませんよね」
幸祐は笪也とここでルームシェアをしたかったが、笪也はそうではないのかもしれない、と思うとそれ以上言うのは控えた。
翌日、答え合わせの十九時前。
幸祐は迷った。笪也の言葉通りに十九時に行くか、言葉の裏の意味を理解して、行くのを止すか。仕事中ずっと考えていた。
お試し期間の最初はドキドキしていたが、すぐに楽しくて心地よい生活となった。
このままこの生活が続くものと思っていたが、笪也のお試し期間終了のあの言葉。自分のことばかり考えて笪也はどう思っているのかまでは思い至らなかった。
一日中迷いながらも結局、幸祐は商店街のすぐ近くまで来てしまった。その角を曲がると商店街のアーケードの隙間から、今朝までお試しで住んでいた倉庫の二階の窓が見える。
幸祐は恐る恐るアーケードの隙間の先の窓を見た。真っ暗だった。
幸祐は立ち止まってしまった。落胆した。やっぱり来なければよかったと思った。
笪也も幸祐は来るはずがないと思い、まだ仕事をしているのかもしれないし、幸祐はこのまま行っても仕方がないと思ったが、置いている荷物を持ち帰ろうと、溜め息を吐きながら狭い通路にある扉の前まで来た。ドアノブを弱々しい力で掴んで、鍵穴に鍵を入れると、施錠されていないことに気付いた。そっとノブを捻ると、カチャッと音がして簡単にノブが回った。
そして扉を開けた瞬間、パァンとカン高い破裂音がした。目の前に細い紙テープが飛んできた。
クラッカーだ。
「砂田…来てくれてありがとう」
扉の内側にいた笪也はそう言うと、紙テープを頭に引っ付けたまま、その場で立ちすくんでいる幸祐をハグした。
幸祐はその場の状況を飲み込めていないようでポカンとした表情をしていた。
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