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第4話 天然の幸祐(2)
笪也が言った家事の当番制で、幸祐は料理は自分がしたいと言った。
笪也は、祖母の家でずっと世話になっていた幸祐が料理をしたいと言うのは意外に思った。まぁ、笪也にしてもここでの食生活はほぼ外で食べるかコンビニ弁当に頼っていた。
本人が言うのであれば任せることにしたが、電子レンジ意外はまともな調理器具はほとんどない状態であった。
「明日、適当に器具とか食器を買いに行きますね」
幸祐は台所とは言い難いくらいの簡易な流し台を見ながら必要な物品をスマホにメモをした。笪也は、いくらくらいかかるか判らないけど、と言って幸祐に一万円札を数枚渡した。幸祐は驚いて受け取ろうとはしなかった。
「俺のスペースの設えもしてもらって甘えているのに、これくらいは俺にさせてください…その…笪ちゃん」
最後に下を向いて尻すぼみに言った、笪ちゃん、が笪也は嬉しかった。
「わかった。ありがとな。今回だけは幸祐に甘えるよ。でも、これからは二人でやっていこうな」
「はい…笪ちゃん…」
笪也は幸祐の照れてどうしようもない姿に遂にゲラゲラと笑い出した。
幸祐は少しムッとしたが、あまりの笑い様に一緒に笑ってしまった。
翌日の土曜日は休日であったが、笪也は立て込んでいる仕事があるからと、朝から会社に行った。幸祐は昨日メモした買い出し品に漏れがないか、もう一度確認をして、駅の反対側の大型スーパーへ出かけた。
幸祐は徒歩で生活日用品や家電のほとんどを買い揃えに行けることに感激した。一度では持ち帰れないくらいの買い物をした。最後に食材を両手一杯に抱えて帰ってくると、昼食を摂るのも忘れるほど楽しみながら台所のセッティングを始めた。
リサイクルショップで購入した炊飯器やブレンダーやコーヒーメーカーは昔の倉庫の名残のステンレス製の調理台の端に置いた。食材は今はビールとミネラルウォーターしか入っていない業務用の冷蔵庫に好きなだけ入れることができた。
初めての料理はほとんど失敗しない煮込みハンバーグに決めていた。
笪也はできるだけ早く仕事を片付けて、夕方には幸祐が居る家へと帰ってきた。
防犯上、在宅はしていても扉の施錠をすることを決めていた。インターフォンは付けていないため、笪也は自分で鍵を開けて中に入ると、一人で暮らしていた時には感じたことがない、いやかつてのパートナーとの生活でも無かった物音や匂いが、そこにはあった。
靴を脱いで、言い慣れない「ただいま」を言おうとした時、笪ちゃん、と幸祐の声がした。笪也は帰ってきたことに気付いたのかと思ったがそうではなかった。
「笪ちゃん!…笪ちゃあぁん…笪ちゃん?…ねぇ笪ちゃんってばぁ…ハハハ…なんてね」
幸祐は一人で『笪ちゃん』の練習をしていた。その声の合間に、ペタペタと何かを捏ねる音も聞こえていた。笪也は面白くなって、もうしばらく階段の下で幸祐の様子に聞き耳を立てていた。色々なバリエーションの『笪ちゃん』の中でも、甘えた声で、ねぇ笪ちゃんてばぁ、は笪也をちょっと興奮させた。どんな顔で言うのかいつかは見てみたいと強く思った。
そして、笪也はそおっと階段を上り、足音を忍ばせながら幸祐の後に立つと、幸祐がまた、笪ちゃん、と言った時
「なぁに、幸祐」
返事をした。
幸祐は驚いて後ろを振り向くと、ニヤニヤ顔の笪也が立っていた。
「うわぁぁっ…なっ…成宮さん」
幸祐は肉ダネを入れたボウルごと、賑やかな音を立ててその場にへたり込んでしまった。笪也は幸祐の前にしゃがみ込んで
「せっかく、笪ちゃん、の練習をしていたのに、本人を前にしたら、成宮さんかよ」
「えっ…成宮さん、いつ帰ってたんですか?」
「四、五分前かな…幸祐の声、聞いてた」
幸祐は耳まで真っ赤になっていた。
笪也はボウルを拾い上げて、幸祐の腕を持って立たせた。
「ボウルの中身は大丈夫そうだな…」
笪也はそう言うと、続け様
「…ねぇ、笪ちゃんてばぁ、って早く甘えてほしいもんだな」
笪也は真っ赤になっている幸祐を愛おしそうに見つめたが、恥ずかしさいっぱいの幸祐には笪也のその表情は目に入っていなかった。
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