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第4話 天然の幸祐(5)
幸祐の心境の変化から数日後の週末、笪也はいつもより早めに帰ってきた。幸祐とゆっくり配信映画でも観れるかなと思いながら玄関の鍵を開けると、いつもの様に階下まで夕飯のいい匂いがしていた。階段を上がりながら、ただいま、と言うと、バタバタと幸祐の足音が聞こえた。
笪也が階段を上がりきると、幸祐は嬉しそうな顔で背中に手を回して何かを隠していた。
「おかえり、笪ちゃん。見て、ほら」
そう言って、笪也の前に出して見せたのは、マッサージ器具だった。電動でブルブルと振動をするタイプだった。
笪也は一瞬言葉を失った。まさかと思った。
「えっ…幸祐、どうしたの、これ」
笪也の真顔での質問に、不思議な顔をした幸祐だったが、それでもあまり気にする様子もなく、また嬉しそうな顔で言った。
「この間、笪ちゃんの肩を揉んだ時に、笪ちゃんの肩めちゃくちゃ硬くて、あぁ、だいぶ凝ってるなと思ってさ、通販で買ったんだよね。で、今日会社から帰ったら届いたんだ。今晩からマッサージしてあげるからね」
「あっ…あぁ…そうだったんだ。ありがとう。嬉しいよ…」
どこかぎこちなく礼を言う笪也だった。
幸祐はマッサージ器を笪也に渡すと、また夕飯の支度の続きをした。
笪也は幸祐は知らないんだろうかと疑問に思った。電マを見せられた時は、正直かなり驚いた。幸祐はこれで抜いたことはない、というより世の男性はこれを使用して抜いていることなんて露ほど知らない様子だった。
笪也が肩が凝っているとわかるとすぐにマッサージ器を購入して、マッサージをしてくれようとする幸祐の気持ちは、純粋に嬉しかった。と同時にマッサージを受けている時に平常心でいられるか笪也は自信がなかった。
配信映画を観ることなど、すっかり頭の中からすっ飛んでしまった。
「今日も美味しかったよ、幸祐。ありがとな」
「いつも褒めてくれて俺も嬉しいよ。コーヒー淹れるね」
幸祐は食後のコーヒーの準備をした。笪也はブラックだが、最近幸祐もミルクと砂糖を入れてコーヒーを飲むようになった。
「そうそう、お前の同期の瀬田がさ、来週から俺の直属じゃなくなるんだ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、瀬田は誰の部下になったの」
「額田 さん。最近リーダーになった経理部上がりの異色の男だよ。正直、俺もあんまり気に食わない男でさ。細かいことをいちいち言ってきて、周りとすぐトラブルになるんだよな」
最近、瀬田が暗い顔ばかりしているのは、そのせいだったんだと理解した。
瀬田は笪也の崇拝者だった。笪也と同じようなネクタイを締めたり、同じような髪型にしたり、幸祐の知らない笪也の情報をよく話してくれた。
瀬田には笪也とルームシェアをしていることはまだ伝えていなかった。隠しているつもりはなく知らせるタイミングを逸していただけだったが、また少し言い難くなったと思った。
コーヒーを飲み終えると、幸祐は笪也にシャワーを促した。
「寝転がった方がマッサージしやすいから、布団の上でした方がいいよね、笪ちゃん」
幸祐は空のカップを片付けて、食器を洗い始めた。
「あぁ…じゃあ、シャワーしてくる」
笪也は着替えを持って階段を降りて行った。
シャワーを終えて、笪也はタオルで頭を拭きながら二階に戻ってくると、幸祐の様子がさっきとは明らかに違っていた。
「幸祐、お先。お前もシャワーしてこいよ」
「…うん」
「どうしたんだよ。なんかあった?」
幸祐は笪也と目を合わすことなく、俯き加減で言った。
「…笪ちゃん。俺、何にも知らなくて…さっきマッサージの仕方を検索したら…ごめんね。驚いたでしょう…マッサージ器を見た時に笪ちゃんが一瞬驚いた顔をしたのも、意味がわかったよ…俺、どう言ったらいいのか…そんなつもりはなかったんだよね、本当に。でも、笪ちゃんが…その、それを使って…その」
「また、お前はすぐそうやって早合点する」
笪也は今は揶揄うことはしないでおこうと思った。今揶揄うと幸祐は傷ついてしまうとわかっていた。
「なぁ、幸祐…正直言うと、最初見た時はちょっと驚いたけどさ…でも俺の肩凝りのためにすぐにマッサージ器を買ってくれて、本当に嬉しかったよ。お前は優しい奴だよ…ありがとな。お前が肩の凝りをほぐす以外の目的で買ったなんて、微塵も思ってないよ。だからそんな顔すんなよ…今から、してくれるんだろ?マッサージ」
幸祐は黙って頷いた。そして意外に思った。このシチュエーションは幸祐を揶揄う恰好のタイミングなのに、笪也からは優しい言葉しかなかった。幸祐は胸の奥がいわゆるキュンとなってしまった。
「じゃあ、笪ちゃんの布団の上で…」
「あぁ、頼むよ。途中で寝落ちしたらごめんな。先に言っとくわ」
笪也は右肩をグルグル回しながら、布団の上に腹這いで寝そべった。
スイッチを入れてブーンという電動の音がすると、幸祐は笪也の右肩や肩甲骨辺りに器具の先端を押し当てた。
「うわぁっ…マジでやばい。めっちゃ気持ちいいよ幸祐。これは即完堕ちだ」
幸祐はふふっ、と笑った。
しばらく肩を中心にマッサージを続けていると、宣言通り、笪也は眠ってしまったようだった。幸祐はもうしばらく笪也の様子を見ながら続けていたが、起きそうになく、幸祐はスイッチを切った。マッサージ器のコンセントを抜こうとした時、笪也の手が動いて、幸祐は手首を掴まれた。
「あれ?寝たのかなと思って…もう少し続けようか?」
笪也は幸祐の手首を離すと腹這いの体勢から仰向けになった。
「ありがとう、幸祐。肩が楽になったよ」
離した幸祐の手をもう一度掴み、顔をじっと見た。そして、すぐに手を離した。
自分をじっと見る笪也の目、幸祐にはその心情が読めなかった。そして何を思っているのか訊いてみた。
「本当?よかった…ねぇ笪ちゃん…なに?」
「あっ…?…うん。あのさ、幸祐は俺のためにマッサージ器を買ってくれただろ?今度は俺が幸祐の欲しいものを何かプレゼントするよ」
そう言った笪也の顔はいつもの優しい顔になっていた。
「なんでもいいよ。幸祐は今何が欲しいんだ?」
「えぇ…本当にいいの?…言っても」
幸祐は、はにかみながら少し甘えた声で言った。
「俺が欲しいのはね…オーブンレンジ…なんだ」
「オーブンレンジ?」
「そう!…家でもさ、パンを焼きたいんだよね」
おもちゃをねだる子供のように瞳を輝かせている幸祐に、笪也は微笑みながら言った。
「いいよ。明日は仕事は休めるから、一緒に見に行こうか」
幸祐は、満面の笑顔で、やったぁ、と言ってマッサージ器を片付けると、ご機嫌でシャワーを浴びに行った。
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