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第5話 ホラー映画と褥(1)

 幸祐は笪也に買ってもらったオーブンレンジで、時間があればパンを焼いた。教室に通い始めたこともあり、作る度に上手くなっていくのだった。  休日の午後は家中がパンの焼ける芳しい香りで満たされ、笪也も焼きたてのパンを食べてゆったりとした贅沢な時間を過ごしていた。 「ねぇ、笪ちゃん。来週のいつか、おばあちゃんの家に行ってこようかと思って」 「あぁ、ここに来る前まで一緒に住んでた?」 「そう。元気なんだけど…ちょっと様子見にね」 「お前は、優しいな…そうだ、せっかくだからパンも持っていってあげれば」 「ううん…おばあちゃんはもっぱらのコメ派でね。でも俺が作ったって言ったら、食べてくれるかな」  幸祐は仕事帰りに行くと帰りが遅くなるし、顔を見るだけだからと、出勤前に寄ることにした。その方が電車やバスの本数が多いらしい。これからは月に二回くらい行こうかな、と言った。  二人が一緒に暮らし始めて、ひと月が過ぎようとしていた。幸祐が何かの心境の変化で二人の距離をぐっと近づけてくれて、毎日の生活で自分にしてくれている数々の優しい気遣いは、仕事で疲れた笪也の心に沁みた。  笪也は幸祐のことを想わない日はなかった。銭湯で幸祐の全裸を見た時から、その想いは少しずつ恋情へと変わってきているのは事実だった。  幸祐は自分との生活、いや笪也自身をどう思っているのだろうか。今では手を伸ばすと幸祐に簡単に触れることはできる。が、心まで触れるのはまだ早いと思ってしまう。もし、ゲイであることを知った時にどう思われるのか。  考えて悩んで、そしていつも、もう少し先にしようと結論付けてしまうのだった。  笪也は、時間がある時は家で配信映画をよく観ていた。水曜日の今日は、ノー残業デーで早く帰って来ることができた。しかも持ち帰りの仕事も珍しくなかった。幸祐の月二回のパン教室も今週はなかった。笪也は幸祐に映画を観ようと声をかけた。 「幸祐、食事が終わったら、一緒に映画観ないか?」  幸祐はすぐに嬉しそうな顔をした。 「うん。観たい。どんな映画?」  笪也は上映されていた時はかなり話題となったサスペンスホラーの作品名を伝えると、幸祐は、えっ、と表情が固まった。 「お前、苦手?ホラー物は」 「あんまり観ないけど、笪ちゃんと一緒だったらいいよ」  食事の後片付けも終わり、それぞれのプライベートスペースの間にある食卓のそばの床に笪也はブランケットを敷いた。その上にタブレットを置いて、笪也は寝そべり、幸祐は三角座りをしてそのホラー映画を観た。     ちょっとしたシーンで幸祐がいちいちビクッとするのが笪也には可笑しかった。ストーリーが進むにつれ幸祐は寝そべる笪也の足元に徐々に擦り寄っていった。クライマックスシーンでは笪也の立てた片膝にしがみつき、顔を伏せていた。  幸祐のあまりの怖がり様に、笪也は映画より幸祐が気になって、映画の最後の方はほとんど観ていられなかった。  エンドロールが流れると、幸祐は平気な振りをした。 「…やっぱり、話題になっただけあって、めちゃくちゃ怖かったけど、面白かったね」 「お前さ、本当に観てた?俺の足にずっとしがみついて、顔伏せてたじゃないか」  笪也はバカにしたように言ったが、内心は嬉しくてたまらなかった。 「観てたよ…ちゃんと。しがみつくなんて大袈裟だよ」  幸祐はそっぽを向いて言い返した。 「でも、あの天井から出てきたシーンはヤバかったな」 「そうそう…あぁ、思い出したら、また怖くなってきた」  幸祐のその様子を見て、笪也の意地悪が始まった。 「なぁ、お前のスペースの天井の角さ、なんか染みがあるだろ?…あれって、大きくなってないか」 「………」 「まっ、お前が、気にしてなかったらいいんだけど…さぁ、そろそろ寝るか」  笪也は平然と起き上がり、幸祐に、おやすみ、と言うと、さっさと部屋の明かりを消した。  笪也は自分の布団の中で、天井の染みはガキっぽいやり口だったなと思いながらも、自分の足にしがみついていた幸祐の姿を思い出してニヤついた。  幸祐も天井に染みがあるのは、ここに住み出した頃から気付いていた。  映画終わりに笪也に言われて、その染みを気にしないように布団を被っても、映画のあのワンシーンが頭を過り、怖さで目が冴えてどうにも寝ることもできなかった。  いつもなら、笪也は自分のスペースの明かりを遅くまで付けているのに、今日は早々と消灯している。幸祐は枕元のスマホを手に取った。  もうすぐ十二時になる。それ以降の話しかけは控えるルールがあった。そして、幸祐は意を決した。 「笪ちゃん。寝た?」 「いや、起きてるけど」 「あのさ…今日だけ、そっちで寝ていい?」  笪也は嬉しさで声が弾みそうになるのを、ぐっと抑えた。 「どうしたんだよ…別にいいけど…あぁ、お前、怖いんだな」  枕元のスタンドライトを点けると、幸祐が自分の布団を引っ張ってきた。笪也の布団の横に引っ付けると、照れながらも安心した顔で言った。 「よかった…今晩だけ、お邪魔します」  笪也は今晩だけじゃなくてもいいんだけど、と思いながらも、裏腹なことを言うのだった。 「怖がりだな、お前は。今晩だけだぞ」  幸祐は、へへっ、と笑いながら、顔を隠すように布団を被った。

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